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妖怪の叙事詩  作者: 妖叙 九十
第一章 神世界
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第十四節 シアンの別れ 後編

 目には、薄明かりを。

 耳には、入りまじれる声を。

 鼻にはむせ返るほどいい匂いを、胃袋に刺激を、口によだれを、酒場は与えてくれた。

 というのも、今日は食事を取っていなかった。とは言え、夕暮れまで寝ていたのだから仕方がない。

 おそらく、リリーさんも今日は食事を取っていないだろう。僕がもっと早く起きて、ご飯を作ってあげればよかった。お腹も空いていただろうし、暇だっただろう。悪いことをした。


 目の前のテーブルに広がる食事に、誰よりも早く手をつけようとする動作が、僕にそう思わせた。


 僕の左に腰かけるオーレンティウスさん、正面に腰かけるローナさんも食事に手をつける。右のリリーさんはもう食べている。

 乾杯もすでに終わらせていることだし、僕もさっそく食事にありつこうと思い、あまり期待はできない肉に口を開ける。が、どうにも気になることがあってその手が止まる。

 オーレンティウスさんが、こちらを見ながらニタニタと笑っている気がするのだ。お金は、すこし多めに返したと思うのだが……なんだろう、足りなかったか?


「どうかしましたか?」

「いやぁ、オウガはモヴィニアのお嬢さんにずいぶんとご執心だと思ってな」


 あぁ、リリーさんのことだろうか。いや、しかし。


「どうしてそうなるんですか?」

「ここに来るまで、ずっと手ぇ繋いでよぉ、見せつけてくれたじゃねぇか?」


 そういうことか、誤解だけど。


「そうですよ!」


 ローナさんまで誤解している様子だ、なんでそんなに興奮しているのかは知らないが。


「勘弁しろ!」


 誤解を解こうと、僕は口を開いた。そのまま、開きつづけた。

 リリーさんが、両手を力づよくテーブルにたたきつけ、僕よりも先に言葉を走らせる。

 そんなに嫌なのか。べつに構わないが、自信がなくなるなぁ。


「目の調子が悪いので、手を引いてもらっていただけですよ」


 補足をつけたしながら、僕は串肉に手をつけると、どこかから息を漏らしたような音が聞こえた。

 しかし、おいしくない……焼きすぎではないのだろうか、肉汁がない。


「大丈夫なのかよ?」


 オーレンティウスさんの質問に対する答えが、わからない。

 僕も悩んでいる。非常によろしくない状況だし、どうしたもんか……いや、大丈夫でなくとも、心配はさせてはいけないだろう。


「大丈夫ですよ」


 作った笑顔で返すと、オーレンティウスさんも『そうか』と笑いまじりに言った。


「ところでオウガさん、どうしていきなりお礼なんて?」


 ローナさんは、すでに落ちつきを取りもどしているようだった。

 僕は水で肉を喉奥に流しこんで、頭を下げる。


「お金もたまりましたし、明日には、ムーリンを出ようと思うので……今までのお礼です、ありがとうございました。もし僕にできることがほかにあれば、今のうちに言っちゃってください」


 オーレンティウスさんやローナさんの頼みなら、できるだけ聞こうと思っている。リリーさんも、なにかあるなら聞くつもりだ。


「俺は十分だ、本当にすこしの間だったが、楽しかったぜオウガ」

「やっぱりそうですか……わたしは……」


 ローナさんが言いよどみ、リリーさんは黙りこくって肉を貪っている。

 言いにくいほど困難な願いなのだろうか。僕にできることなんて、多くないが……それを言っちゃ元も子もない、やるだけやろう。


「……わたしは、もうすこしオウガさんと一緒にいたかったです」

「ほぁ」


 長い沈黙の末に出た言葉は、僕の予想を裏切るものだった。思わず、素っ頓狂に声を上ずらせてしまうほどに。


「ですが、家族を探しているんですよね、そうもいきませんよね」


 僕が返事をせずとも、ローナさんは自己解決したみたいだ。

 しかし、家に厄介になっていたとはいえ、ローナさんとの関わりはそう深くない。寂しさを与えてしまうほど、共に過ごしたわけではないはずだが……いや、寂しいのか。思えば、ローナさんは一人であそこに住んでいるのだ。


「その、すみません」


 うまい言葉が見つからず、謝ってしまう。

 そうすると、ローナさんはコップに入っているであろう酒を飲みほして、うつむいた。


「わたしは、わたしはオウガさんがすこし気になっていたんです」


 体勢を変えずに、いつもとはすこし違うトーンで、ローナさんが言った。おそらく彼女は、酔いが回っている。

 オーレンティウスさんも、リリーさんも、なにも言わずに、なにも聞かなかったように、食事を進める。

 その反面、僕は硬直した。

 言っている意味が、そこに繋がる意味がわからなかった。


「な、なんでですか……」


 意味がわからなすぎて、口が滑った。


「だって、オーガに襲撃されている村に乗りこんで、自らの命を省みず、赤ん坊を救おうとした人ですよ? 異世界からやってきて、家族を探すために、一人旅をしているんですよ。そのために、本を読んで勉強したり、冒険者になってボロボロになったり……勇敢で、勤勉で」


 そこまで聞いて、僕は『誤解です』と叫びたくなった。

 ローナさんの言ったことは、あまり間違っていないかもしれない。ただ、勇敢とか勤勉とか、僕はそんなんじゃない。妻たちなしじゃ、情けないほど生きていけないんだ。ただ、卑屈で、間抜けで、非力で、自分がいない、いる意味がわからなくなる。七愛が、菫さんが、アリスさんがいないと、そこから抜けだせない。


「なんて、わたしに言われてもうれしくないですよね」

「いえ、うれしくないなんてことは」


 これは、たぶん僕の本心だ。きっとうれしいのだろう。ただ、そこに誤解が混じっているから困惑しているだけだ。この気持ちが、表情に出てしまったのだろうか。それで僕が嫌がっていると思ってローナさんは自虐的なことを言ったのだろうか。最後は笑いあってお別れしたかったのに、そんな風に思わせてしまったのだろうか。


「僕が結婚してなかったら、ローナさんのことを放っておかなったでしょうね、きっと」


 フォローしたつもりだった。

 が、黙っていたリリーさんも、オーレンティウスさんも、眉をしかめて僕を凝視した。

 ローナさんなんか、横に頭を倒している。


 失言してしまったか? なんだ、なんで僕をそんなに見るんだ。

 許してほしい、なにがいけなかったかわからない愚かな僕を。


「オ、オウオ」


 オーレンティウスさんは震えた。


「妻……え? あは……え? 家族って、奥さんだったんですか? あはは」


 ローナさんは笑った。


「冗談だろ?」


 リリーさんは信じなかった。


 そうだ、はっきり妻とは言ったことがなかった。

 言いわけをさせてもらうなら、この世界で重婚が認められているのかわからなかった。

 続けさせてもらうなら、菫さんの見た目を説明すると、どう転んでも幼女になる。その人が妻ですと言ったら、どんな反応をされるかわからなかった。

 だから、家族とだけ言っていた。

 僕が悪いのだろうか。

 悪いだろうな。


「本当です、僕は妻を探しているんです」

「裏切り者がぁ!」


 冗談染みた怒声に僕が抱えこんだ雰囲気の重さは、串肉の湯気と一緒に消えた。


「そうですよオウガさん、わたしが恥ずかしいじゃないですか」

「すみません。でもローナさんは僕のこと、誤解してますよ」


 いかに自分が妻がいないと駄目な男か語ると、オーレンティウスさんがついに『惚気話をするな!』と本気で怒りはじめ、ローナさんも僕が空気を読めていないかのような口ぶりをした。

 そうかもしれない。今告白してきた相手にこれはさすがに空気が読めていないのだろう。告白と言っても、ローナさんは酔っていてみんなの前で口を滑らせてしまっただけだろうし、言葉のとおり『気になっている』程度なのだろう。

 しかし、空気は軽いのにこんなに責められてしまうのか。


「心の呪いみたいだな」


 リリーさんに助けを求める視線を送ったつもりなのだが、どうにもわかってもらえなかったらしい。

 わかってもらえないどころか、呪い呼ばわりだ。


「それを言うなら心の病では?」

「ヤマイってなんだよ」


 馬鹿な、さすがにそれは知っているだろう。

 知っているよね?


「ローナさんは知っていますよね?」

「ヤマイですか? いえ、聞いたことがありませんね」


 冗談だろう、きっと。


「アタシをバカにしてるのか?」

「いやいや……オーレンティウスさんは知っていますよね?」


 馬鹿にしていると言ってもよかったのだが、それだとローナさんも貶したことになるのでオーレンティウスさんに振る。 


「異世界では呪いのことをヤマイって言うのか?」


 たぶん逆だよ、病のことを呪いって言ってるんじゃないか?


「異世界……さっきローナも言ってたが、オマエは異世界人なのか?」

「そうですけど、これも言ってませんでしたか?」

「ふぅん」


 ……深く追求されるかと思ったが、リリーさんはあまり興味がないようだ。


「そうだ。オウガさん、異世界の話を聞かせてくださいよ」


 ローナさんは興味あるのか。そういえばこの間も、結局説明できなかったな。

 とはいえ、なにを話せばよいのだろうか。

 簡単に説明できるものなら……そうだな。


「異世界には魔獣がいません」

「ええ、そうなんですよね。動物しかいないんだとか」


 それは知っているのか。スマフォは知らなかったようだが……あ、本か。あれは異世界のことが書いてあった。だけど、スマフォやパソコンのことは書いていなかったな。情報が古いのだろうか、いろいろな世界のことを書いているから、そこまで記載しなかったのか。どっちでもいいか。

 それより驚いたのは、普通の動物がこちらにもいるということ。

 僕がこの世界で見た生き物といえば、さまざまな種族の人と、魔獣と……虫か。猫とか犬とか兎とか見たいな。馬は見たけど。


 あの本のことを思いだしながら、記載されてないことを挙げていった。一番ローナさんとオーレンティウスさんの関心を得たのは、ドラマだった。

 この世界にも演劇はあるらしいが、それがテレビという道具だけ所持していれば、無料でいつでも見れるというのは考えられないらしい。

 僕はドラマよりアニメ派だから、あまり見ないけど。


「演劇はいいですよね、素敵な物語ばかりで」


 たぶんローナさんが目を輝かせている。たぶん。


「いつの間にか、すっかり乙女になりやがって。昔のお前は、俺よりも男らしかったじゃねぇか」


 オーレンティウスさんはあれか、酒と軽口を織りまぜないと生きていけないのだろうか。ローナさんほど女性らしい人はいないよ。礼儀正しくて、優しくて、オーレンティウスさんの言ったとおり乙女だ。昔は男らしかったなんてあるはずないだろう。


「もう、それは言わなくていいですから!」


 と思ったら、図星らしい。

 オーレンティウスさんは、昔のローナさんのことをベラベラと喋りはじめた。途中から、観念したローナさんの補足も加わった。


 ローナさんは、入団したとき、髪も短くて体に凹凸がないような人で、完全に男に見えたらしい。言動もリリーさんに似ていて、ぶっきらぼうな感じだったとか。

 周りには、兄と弟のような関係に見られていた二人で、本人たちもそんな感じに思っているらしい。今でも。だから二人が恋人になることは考えられないと。

 しかしローナさんは年を重ねるにつれ、このままではいけないと奮起し、女性らしくなろうと決心した、ということだ。

 その結果、今のローナさんが誕生したらしい。努力の結果、体型まで女性らしくなって大変うれしかったとか。だが、もうローナさんの年齢は二十一歳で、この国ではもう婚期を逃しているらしい。それならオーレンティウスさんはどうなるんだ。男性はまた違うのだろうか。

 僕は、正直言ってこの話が信じられない。こんなに綺麗でこんなに女性らしい人がモテないなんて。

 しかも、年上だったなんて。


「見る目ないな。ローナはいい女だろ」


 リリーさんも僕と同じ考えだ。


「僕もそう思いますね。僕の住んでいた世界なら、男に困りませんよ」

「そう言ってもらえるとうれしいです……それで、異世界なら好かれるって本当ですか!」


 声が真剣すぎて怖いが、とりあえずうなづいておいた。

 うそを言ったつもりはない。ローナさんならモテるに違いない。モテなかったらうそだ。

 だって七愛がモテるんだ、女性ってより、女の子って感じの七愛が。

 僕が隣に立って歩いていたら、指を指されるんだ。本当に迷惑だ。『男のほう、不釣合いだよな』とか聞こえてくるのが大変不愉快だ。

 もう、妻たちを見つけたらこの世界に住もうかな。こっちの世界でも同じだったら嫌だな。


「俺も女に困らなくなるのか?」


 オーレンティウスさんは僕の悩みなど露ほども知らないらしい。僕がどれだけ悩んでいると思っているんだ、彼も悩んでいるのだろうけど。

 オーレンティウスさんがモテるかどうか、か。

 見た目はいい、凡銀貨ハゲに目を瞑れば。性格は、ワイルドで軽口だが、優しくて真剣な人だ。

 きっと、モテると思う。


「僕は好きですよ」


 モテると言ってしまってもいいのだが、この答えのほうが面白いと思った。


「妻が三人も居る癖に、俺にまで唾をつけようってのか?」

「冗談ですよ」

「わかってないと思ったのか!?」


 この世界で関わったのが、この人たちでよかった。

 そう思わせるオーレンティウスさんの答えと、リリーさんとローナさんの笑いだった。

 最後に笑顔が咲いてよかった。



 依然として、視界は(かす)む。

 広がる空、それを映す海は、色だけを見せてくれる。

 それは、もう仕方がない。


 酒場で話した翌日、今日。

 僕は、船の上にいる。

 ローナさんとオーレンティウスさんは、仕事だから見送りには来られないらしい。

 だが、激励の言葉はくれた。

 オーレンティウスさんなんかは、氷界城と言いかけてしまって、危うくローナさんに気づかれるところだった。口止めしたのは彼なのに、おっちょこちょいだ。


 リリーさんは、見送りに来てくれた。来てくれたどころか、出港前の船にまで乗りこんできた。


「お見送りありがとうございます、リリーさん」

「なに言ってんだ」


 僕は、なにか変なことを言っただろうか。照れ隠しだろうか。


「アタシも乗るんだよ、この船に」

「もう乗ってるじゃないですか」

「そういう意味じゃない」


 そういう意味じゃないのか。つまり、この船に乗るということだろうか。いや、乗ってるし。

 ……リリーさんも、同行するということか?


「なぜ?」


 僕は陽のまばゆさに目を細めながら聞いた。


「アタシもあの場に居たんだぞ。言っただろ、『アタシらを探しまわっている』って」


 そうか、リリーさんもお尋ね者なのだ。僕のせいで。


「すみません」

「なんでオウガが謝るんだよ、アタシは自分のしたいことをした、それだけだ。なんもしてないけどな」


 波に流される声には、確固たる意思があるようだった。

 本気で、そう思っていそうな。


 リリーさんがそう言うなら、僕はもう気にしない。リリーさんがしたいことをしたのなら、僕がどうこう言うのは傲慢というものだろう。

 そういえば、リリーさんの装備はパルチザンだけのように見える。着替えとか機能兵器は持っていかなくていいのだろうか。僕も人のことは言えないが。


「リリーさん、機能兵器はどうしたんですか?」

「売った。じゃなきゃ、オマエがそんなに通貨をもっているわけないだろ」


 機能兵器の分も、上乗せで僕にくれたのか!?

 リリーさまだ。もう、さんでは足りない。さま付けだ。


「ありがとうございます、リリーさま」

「沈めるぞ」

「ありがとうございます、リリーさん」


 すぐにやめた。さっきと同じで、声のトーンが本気だった。


 それから、数分だろうか。

 次々と人が流れこんでくる中、波紋を生むほどの音が鳴りひびいた。

 出航だ。


 大きな船が、ゆっくりと動きだす。


 さよなら、ムーリン。

 さよなら、オーレンティウスさん。

 さよなら、ローナさん。


 氷界城を目指して。


 哀歓(シアン)の海が、流れていく。

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