第百節 妖怪の叙事詩
見てきたすべての景色が、金色に包まれ、そして現実へと戻ってくる。
忘れていたことも多い。だがいま、見てすべてを思い出した。
なんとショッキングなのだろうか。いくらなんでも自分が不安定すぎる。そう思うのは、もう長い年月が立っているからそう思うのだろうか。
あのころの僕は、がむしゃらだった。間違ったことも多かった。きっとそれはいまでも変わっていない。むしろ悪化しているかもしれない。
僕は目的のために、思考をシンプルにした。味方は守る、敵は倒す。それだけだ。もう、長内王雅という人間はこの世界において、個人として動ける存在でなくなった。使命がある、迷惑をかけられない仲間も居る。だからいちいち悩んではいけないのだ。
でも、あぁ、やっぱ、旗から見れば昔のほうがひどいかな? 嫌われちゃうのかな。悲しい。誰かにフォローしてもらおう。七愛はあのころと変わらず、能天気だから役に立ちそうにないし。こういう場面で一番うまくフォローしてくれるのは間違いなくアリスだ。彼女に頼もう。
にしても、感慨深い。妻たちと離れ離れになって、それでも足掻いて、再会した。いまあのころの力で、同じ状況で真似しろと言われても、同じようにできるかわからない。
あのころを見ていて、よくもまぁここまでうまく行ったなと思う。きっとそれは、あのときの僕は気づかなかったけど、影で助けてくれていた人たちのおかげだろう。感謝だ。
本当に、あのころは良い出会いが多かった。いまも顔を合わせられるのはごく一部だけど、それは仕方ない。生き物というのは、いつかは死んでしまうものだから。
僕たちが例外なだけだろう。
だけど、理から外れるのを望んでいなく、それでもこの恩恵を受けてしまう人だって居る。本当に申し訳ないと思う。できれば、もう少し先がよかった。それでももう、時間を巻き戻すことなんてできないんだ。
僕はとくに。
妻たちは、そう気にしている様子はない。妖怪とは元々そういう種族だし、七愛もメアリーもあまりそういうことを深く考えないタイプだ。
僕は、はっきり言って、気にした。
でも同時に、うれしくも思ったんだ。
こうして感情を処理できるのは、当事者だからだろう。あのとき、居合わせたからだろう。僕が導いたとも言えるからだろう。だから、な。
まぁ、どうしようもないことを嘆いていても仕方がない。これからのことを考えよう。
僕はとりあえず、妻たちを心から愛している。家族全員を心から愛している。そこに差はない。仲間たちは守る、目的は果たす。あるべきものをあるべきままに行う。
まぁ、やりたいことがあれば道理を曲げてでもやるけどね。
さて、長かったな。
この回想は、あったことをありのままに映したものだ。神世界に転移してから、一年とちょっと、妻たちと再会するまでの冒険。
これだけ生きてしまえば短いとも思う。それでも見てみれば長く、いちいち後悔するものばかりだった。それでも、いまも妻たちは健康に生きてる、僕も健康だ。それでよしとするか。
否、よしとできない。これを見たのが僕だけではないという点においてだ。
アリスなら怒る程度で済むだろう、菫はなにも言わないけど若干引いて終わりだろう。七愛は意味もなく感動しそう、メアリーは無言だろう。
ただ、これを見たのが妻たちではない。
嫌われるのが、怖い。
僕たちはそう親しくない。こういう間柄でそれが妥当の言葉なのかはともかく、とりあえず親しくない。始めて顔を見たのも数日前だ。それでも愛おしい、当たり前のことだ。
思い出したくもない悲しい事故があって、一年ちょっとの冒険を見せてくれれば許してくれるという話をされて、それで見せた。
最初はありのままではなく、すこしばかり着色しようと思ったのだが、ありのままを見せてほしいと頼まれた。だから仕方なく、見せた。
他人から見れば無様で、狂ってて、決して褒められない自分を。
自分から見れば、よくやったほうだと思う、苦渋の末の選択を。
判断するのは僕じゃない、だから怖いんだ。
もう僕は、ほぼ人の心が読めると言っても過言ではない。というか、力を使えばすべて見通せる。そいつが生まれた瞬間からいまに至るまで、なにをしてきて、なにを考えてきたのか。たった一瞬でわかる。
しかし親しき仲にも礼儀ありと言う。親しくないならもっとありだと思う。
僕は仲良くしたいんだ、できれば一緒にお風呂とか入ってみたいし、一緒に寝てみたいし、遊園地とか行きたいし、キャッチボールとかもいいかな? 仲良くしたい。
そんな相手の心の中を、力を使って探るというのはだめだろう。信用していないみたいだし、信用されなくなる。
じゃあ、僕にできることは……うん、そうだな、知られてまずかったことのフォローだ。
最初に僕は、森に転移した。オーガと相対し、なんとか倒した。その後偽アレクトとの出会い。そして大事なものを取られる、その恐怖に負けて暴力を振るった。
これに関しては、この世界では誰もなにも言わないし、思わない。盗賊に襲われて、逆に盗賊を殺せば、褒められるくらいだ。逆に暴力で済ませ、衛兵に突き出したり殺さなかったことが責められるだろう。だが、あの状況では仕方がない。そういう世界だと知らなかったのだから。
ここまでは問題ない。ほかに問題がありそうなところを言えば……うーん。
ローナさんに欲情して、トイレでこっそり男の時間を楽しんでいたことか? あれは覚えてさえいれば、見せなかったのに……しくじったな。ありゃないな、言い訳のしようもない。
エインさんに暴行したこと、あれはまぁ……言い訳のしようがない。
魔王軍を裏切って、みんなに一目置かれているミッドを人質に取ったこと……これも言い訳できない。
そのあとまた魔王軍に戻って、氷界城に戻る途中にリリーとやりあったこと……言い訳できない。
あれ、ヘコむな。僕って言い訳もできないような悪逆非道なのか? それより悪化してるいまの僕って、もう悪の化身なんじゃないか? ヘコむ。
いやいや、待て待て。人の役に立たなかったわけではない。
例えば……例えば……あ、あったっけ。そりゃ、感謝されることはごく稀にあった。でもそれは善意だけでやったことじゃなかった気がする。なにか裏があったり、事情があったりして、その結果として感謝されただけだったり、おまけに感謝されただけだったり。
よろしくない、よろしくない。普段なら威厳なんて微塵も気にしないが、この状況だと違う。威厳ある、風格のある男で居なくてはならない。
頼れて、格好良くて、素敵!
そう思われたいのだ。
困ったな、なんて言えばいいのかな。
昔のことだし、このころは青かったなぁ……と遠い目でもしてみようか。いや、いまが対してすごくないんだから、昔のほうがまだマシだったと思われるだけなのかな。
ぢくじょう! こんなことになるのならもっと善行を積んでおけばよかった! 誰からも尊敬されるエリートナイスガイになっておけばよかった!
キャー! 王雅さまよー!
すげぇぜ王雅!
王雅! 王雅! 王雅!
みたいに言われる努力をすればよかった。
そんなの僕じゃないけど。
いまの僕はすごくない。でも、ちょっとくらいあるのかな?
例えばそう……部下、家来、手下、そんな手合いのがたくさんできた。けれどもこれは、僕がカリスマだから集まったのではない。
集めようとして集めたのだ。だからすごいことじゃない。最悪金があれば真似できることだ。
じゃあ、えっと、力?
それはたしかにすごいだろう。正直勝てない相手はいない。妻たち以外は。
いまの僕なら、空に、食獣に、神に、傷一つ負わずに勝てる。
でもなぁ、いい年こいて力自慢ってのも、なんともダサいよなぁ。
世界を救ったことか? でもあれは家族を助けるためにやったことで、被害も出てしまったし、べつに褒められるほどのことではないだろう。
うーん。
ない。
ないのか!?
じゃあ僕はフォローもできないよ! さすがのアリスでもフォローできないかもしれないよ!
このまま嫌われちゃうのか、このまま軽蔑されたりしちゃうのか。避けたい、それだけは。
なら、あれはうそだった、即興で作り出した映像だよ、と言ってみるのはどうだろうか。
あのころの本当の僕は。
まず、森に転移し、百体にものぼる数のオーガと対峙し、難なく勝利。その腕を買われ、悪逆の限りを尽くす魔王軍、その頂点に君臨するアルナ討伐を国王あたりに命じられる。
そして囚われのお姫さまーズ……菫とアリスと七愛を救い出すため、そして人々の平和を守るために僕は動き出すのであった。
途中で出会った黒猫エンドを仲間にくわえ、さらに敵に操られていたメアリーを救い、ついに魔王軍との決戦を。
だったんだよ、みたいな。
いやいや、まず数日かけてこの映像を見せている。全部うそでした、はキレるだろう。そもそもほかの人に確認されたら終わりだ。没。
いや、そもそも引かれていないのではないだろうか。表情を確認……って、まだ見せ終わってから一秒も立ってないから読めないな。
じゃあ、表情を見てから考えればよいのではないだろうか。
いや、思考の高速化は戦闘時と通常時しかできない。戦ってもいないのに、軽蔑の眼差しを向けられたら思考がにぶる。とんでもない墓穴を掘ってしまいそうだ。
まだまだ弱いな、僕は。とくに家族に対しては弱い。支えられっぱなしだし……とりわけ、今回はすごく臆病になってしまう。
家族と言っても、まだ……いや。ぐじぐじするな。男らしくない!
いつも通り、逆手に取れ。
この状況、あのような醜態を知られて、なおも開き直る。これが僕だよ、これこそが僕なのさ。と言わんばかりに。
背筋を伸ばせ。目にも止まらぬ速さでしわを伸ばし、表情も作る。目、見開く。眉、ちょっと力入れて。口、かたく結んで。
次の言葉を考えろ。この言葉が勝負の決め手だ。
なんだかんだ、見てきた映像に引っ張られて昔のような考え方をしてしまったが。いまはそれではいかん、僕は変わったし、あれは妻たちを助けだした栄誉ある過去なのだと信じ込ませろ。
いつもやっていることだ、相手の思考を操り導く。
よし。
ちょうど、一秒が過ぎた。
「これが妖怪の詠った、叙事詩」
そう、言うなれば。
「妖怪の叙事詩だよ」
僕の口がつりあがるのを感じる。
きっと、いまは。
愛おしい者を安心させるための。
口になっている。
僕の目から力が抜ける。
きっと、いまは。
この眼は。
家族の。
この子たちのためにある。