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心の灯

作者: 祐希

高校の頃に作成した小説です

 足の裏から伝わる冷たさを噛みしめるように歩いていく。校舎の中は日光が直接入らないせいか、外の気温よりもひやりとした冷たさを持っていた。その中を裸足で歩いている彼女、カナメは『異常』だった。すれ違う人々は、皆、カナメを何事かと見つめ、しかし心配するそぶりも、何があったのかと声をかける者もいない。みなが皆、こそこそと話し合っては目が合わないように目を背けるだけだった。

 そんな生徒の横を通り過ぎる彼女は、長い髪を歩くことで生まれる風になびかせ、スカートを揺らしながら歩いていく。その姿は背筋をピンと張っていてとても堂々としていた。

 カナメは立ち入り禁止と書かれた鎖をまたぎ、階段を上っていく。そこはもう完全に日光が入らないため、さらに気温が1、2度下がった。

 上っていけば、立ち入り禁止と書かれた紙が貼ってあるドアがあった。そのドアはもう何年も使われていないのか、かなり錆ついていて、曇りガラスの端には蜘蛛の巣がへばりついている。

 ドアノブに手をやりゆっくりと回せば、ある程度いったところでカチャという音が鳴りドアが少し開いた。鍵はかかっていなかったようだ。

ドアを押しあけて外へ出た瞬間、熱気を含んだ何とも言えない空気が彼女を包みこんだ。一気に額からは汗がにじみ出てくる。照りつける太陽は容赦なく彼女の肌を襲う。

 ああ、熱い…

 そう思わずにはいられなかった。四方八方から聞こえてくる蝉のうっとうしい鳴き声が、より一層温度をあげている気がする。

「やあ、カナメ。やっと来たね」

 眩しい視界に映ったのはこの暑い中、長ズボンに半袖のポロシャツを着ているこの学校の男子。しかも、幼馴染だ。

「……純」

 ああ、やっぱり、もう…。

 そう思わずにはいられなかった。

 カナメは裸足のまま屋上へと足を踏み入れた。ここは、落下防止のための柵がない。錆ついた柵はいつ落ちるかわからないということで撤去されたのだ。屋上は本来なら鍵がかけられ入れないようになっている。その鍵が壊れていることを知る生徒は少なく、先生も知らないものが多い。そのためか、新しい柵がつけられるなんてことはなかった。

 今の彼女にとって、それは好都合だった。下がよく見える。柵がある屋上は好きじゃなかった。まるで、自分が動物園の動物にでもなったかのような気になる。もしかしたら、檻の中にいる動物にとっては同じようなものかもしれない。ただ、中と外が逆転しているだけ。中の動物にとっては、外が中に見えるということもあり得るのではないだろうか。なら、どちらが檻の中につかまっているのか解らなくなる。

 のんきにそんなことを考えながら、屋上の中心で立っている純を見ないようにして彼女は、柵のない屋上の端を反時計回りで歩いていく。右には深水プールが。深さはどれくらいあるだろうか。足なんてつくわけがないのだろう。そのまま進んでいけば、角につき、左に曲がる。そして、台形の形をしたグラウンドが広がっている。野球部が部活をしていて、声が聞こえてくる。夏らしい、まさに青春というような、どことなく懐かしさを漂わせる声だ。そのまま行けばすぐに角につくから、再び左に曲がれば、そこからは学校の中庭が見える。ほとんど生徒のいない中庭には、あまり手入れされているようには見えない木々が生い茂っていた。

 一周するまで純は何も言わずただ彼女の行動を見ていた。カナメは一周してしまったので、もう一度プールの方に向かった。プールには、やっぱり水があって底の色のおかげできれいな水色をしている。きっと、この蒸し暑い中入ったら気持ちいいだろう。

 「ねえ、」

 話を切り出したのは純だった。カナメは顔を向けることはしない。しかし、そのまま純は話し続ける。

「俺は、お前が嫌いだよ」

「…知ってる」

「俺は、弱かった俺を守ろうとするお前が嫌いだった」

「うん」

「俺を守ろうとして突き進んで、傷を負って帰ってくるお前が嫌いだった」

「……うん」

 身体が弱かった純はよく苛められていた。それが許せなくて、強くなろうと決めたのはまだ幼かったカナメ。それは大きくなっても変わらない気持ちで、純も変わるということに気付いたのはつい最近だった。彼が喧嘩をしているのを見て、相手を勢いよく殴る姿を見て、まるで遠い存在になってしまったようで悲しくなった。もう自分はいらないのだと、守るということで傍にいようとしていた自分の幼さに気付いた瞬間だった。

 それからは守るという理由をなくして、どう傍にいていいか分からなくて話しかけることができなくなった。話しかけられても、そっけなく返して逃げた。

 弱い自分が大嫌い。

 自分は弱くない、弱くないと言い聞かせて意地を張って突っ張って。そして、いつの間にか頼れる人なんていなくなっていた。友達なんていなくなっていた。無視がはじまり、物を隠され、居場所が無くなり。

 なんで、こんな風になってしまったのだろう。本当は、もっと、女の子らしくなって、普通に、純に接したかった。普通の子みたいに。

「ねえ、純。勝負しよう?」

 いつだっただろう、純の手が私の手よりも大きくなったのは。

「俺はお前と勝負するつもりはねえよ」

 いつだっただろう、純の背が私よりも高くなったのは。

「それに、俺も男だぜ?女のお前が勝てるわけがない」

 いつだっただろう、純が『男の子』から『男』になったのは。

「……そんなの、わかんないじゃん」

 いつからだろう、彼をちゃんと見なくなったのは。背を向けて見ないようにし始めたのはいつだっただろう。

「わかるよ」

「わからない!」

 より一層、蝉の鳴き声が強くなった。それと同時に屋上に激しい風が吹き、髪をなびかせていく。

 純がゆっくりと近づいてくる。それに合わせてカナメもゆっくりと後ずさる。一歩、一歩。しかし、もともと、屋上の端立っていたカナメはすぐにくるぶしが屋上の一番端の段差に当たり、後ろに行けなくなってしまう。

「来ないで」

「カナメ」

「来ないで!」

 しかし、純は足を止めなかった。そのまま近寄り、俯く彼女の目の前で立ち止まる。

 カナメは勢いよく顔をあげたかと思うと、いきなり殴りかかった。

 しかし、その拳は易々と純に受け止められ、そのまま腕を握られる。ほどこうとしてもがくも、もう片方の手もつかまれて身動きが取れなくなった。男女の差。その言葉が頭に浮かぶ。まったくもって歯が立たない。いくら力を入れようと、純に勝てない。その力の差をまざまざと見せつけられ、カナメの体に恐怖が駆け抜けた。

 男にだって負けない自信があった。何があっても大丈夫だと、腕を掴まれても振りほどけるし、絶対に大丈夫だ、と。ましてや純だ。あの弱かった純だ。そう、思っていた。今の今まで。でも、無理だ。振りほどけない。

「離して!」

「いやだ。また逃げるから離さない」

「私のことが嫌いなんでしょ! だったら、どっかいっちまえ!」

「嫌いじゃない」

「え…」

 驚いて顔をあげれば、真剣な表情の純がいた。

「俺は…」

「純?」

 そう、呟いた瞬間、近くでカラスが鳴いたかと思えば、視界の隅に黒い物体。それがどんどん近づいてくる。驚いて後ずさろうとすれば、段差のせいで躓き身体が後ろに倒れた。

 一瞬のことだった。カナメの腕が純の手から滑るように離れ、カナメの身体は空中へと投げ出される。純が手を伸ばした先には伸ばされたカナメの指先。

「カナメ!」

 視界が回転する。空の青と地面の色と木の緑。それらの色が全て混ざり合いぐちゃぐちゃになって、あ、落ちてる、と思った瞬間誰かに腕を引っ張られた。そして、背中をたたきつけるように落ちた先は、水の中で咄嗟に息を吸い込もうと開いた口からは空気が入ってくることはなくただ水が入ってくるばかりで、一気に視界がかすんでいった。

 次の瞬間、腹部に何か圧力を感じて勢いよく上へと引っ張り上げられる。

 ザバッと音を立てて地面に倒れこむ。荒い息を繰り返し、なんとか目だけを開けて周りを見れば、隣に純が同じように肩で息をしていた。そして、その後ろには、深水プール。

「…プール、か」

「これが、普通のプールだったら死んでたぜ?」

「…というか、あほじゃないの!? なんで、あんたまで飛び降りるのさ! 普通、先生呼ぶとか、階段でおりてくるとか! するでしょ!」

一気に覚醒した頭で一緒に落ちてきた純に怒鳴りつける。

「いや、無我夢中で、そこまで頭回らなかった」

「あんたまで死ぬ気?」

「…カナメが無事でよかった」

 真顔でそう言った純に、カナメは眼を見開く。

「……バッカじゃないの」

「酷いなあ…」

「あ、ねえ純。落ちる前なんて言おうとしたの?」

「……聞きたい?」

 とたんに真剣な表情になる純に少し戸惑いながらもうなずく。

「それは…」

 引き寄せられ、耳元でささやかれた言葉に顔に熱が集まった。そんなカナメの表情を見て、純はとてもうれしそうに笑うのだった。

 プールのふちで、抱き合うようにいる二人。そんな二人を優しい風がそっと包み込んだ。


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