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「今あなたの状態はいわゆる幽霊ってやつの様なものです」

「僕たちは自分たちのことをカケラって呼んでます。

自分たちのことを幽霊っていうのはやっぱりいい気はしませんからね。

予想ですけど多分あなたはその車に引かれた時に死んだのでしょう。

それで千義桜子の欠片であるあなただけがここまで飛ばされてきた、

文字通り引かれ飛ばされてきたんでしょう。

重さなんて幽霊には関係ありませんからね。」

「待ってよ、そんな風に流されたポリ袋じゃあるまいしそんなに飛ぶわけないじゃない。それに私死んでないし、今こうして普通に息だってしてる、心臓だって動いてる」

胸に手を当てて確認してみる、心臓が脈打つ音が手を伝わってきた。まだ暖かい体に触れた。

「カケラになったら心臓の鼓動はあまり関係ありません。動かしていてもいいし、止めていてもいい。大体の人は動かしてますけど」

彼はそう言って、手の平を差し出してきた。触れというように出されたその手に触れると、体温にしては低い、水の様に冷たい手の平だった。

「心臓を止めたら必然的に体温も下がりますから冷たくもなります。だからみんな動かしたままなんです。誰もわざわざ自分が死んでますって言われてるような冷たい体でいたい人はいませんから」

触れていた彼の手の平が段々と暖かくなってきた。本当に自分で心臓を動かしているらしい。

「カケラになって間もない人はあまりできませんし、正直する必要のないことなので覚える必要はありませんけど」

手の平から手を離すと彼は再びコーヒーを口に含んだ。

「じゃあ、幽霊ならこんな風にカップなんて持てないんじゃないの、すり抜けるはずじゃない、コーヒーも飲めもした」

右手に持ったカップから珈琲がこぼれ、机の上に広がった。机の上を流れていくコーヒーは端に達すると少したまり床へと落ちて行った。

「ちょっとこっちへ来てくれますか」

机を立った椎名に促された先には小さな棚とその上に置かれた砂時計が置かれていた、手の平で覆えるほどの大きさの砂時計には青色の砂が入っていた。

「この砂時計を持ってくれますか」

途端に彼に差された青い砂時計が大きく見えた。もし持てなかったら、すり抜けてしまったら。簡単なはずのことが出来なくなる。

「今カップ持てたんだからいいじゃない」

「この砂時計を持ってください」

見上げるような彼の視線に気圧され、仕方なく砂時計に手を伸ばした。ゆっくりと丁寧に、すり抜けてしまわない様に、自分はまだ生きているのだから。

「何よ、驚かせようとして、ちゃんと持てたじゃない」

手の中にはちゃんと青い砂時計が収まっていた、一瞬前には随分と大きく感じた砂時計もこうしてみれば目測よりも小さいようにも見える。

「いいや、あなたは持ててはいません」

「何言ってんの、今私の手の中にちゃんとあるじゃない」

そう反論する私に彼はただ指を差すだけ、今取った砂時計の置かれていた棚の方を指差すだけだった。つられるように振り向いた。今しがた自分が手の中に持っている砂時計が置かれていた棚を、そして見つけた。先ほどと寸分たがわぬ場所に置かれた青い砂の砂時計を。

「その砂時計はここに前住んでいた人が引っ越すときにおいて行ったものです。生きていた住人が残していったものなんです。だから、僕たちカケラには本物は動かせない」

「じゃあこれは何よ、今私が握っているこれは」

力強くよく握りしめた拳を広げるとガラスが割れ中から青い砂がこぼれてきた。

「それはその砂時計のカケラです、カケラはカケラしか触れない」

椎名は自分も砂時計を取り上げると、やはり元の棚の上にも、彼の手の平の中にも砂時計はあった。

「カケラは名前の通り、欠片なんです。だから決して本物は動かせないし、欠片を削り取ったところで大本には何の影響もない」

「じゃあ、いまあんたが出してきたのは何。あたしだってあんただって飲んだじゃない」

「あれもカケラです。コーヒー豆のカケラからカケラのコーヒーを作って、カケラのカップに注ぎ入れた。」

机の上に置かれたコーヒーを指差した。そして気づいた。先ほどこぼし、床に垂れていたはずのコーヒー、しかし床は綺麗に乾いたままだった。

「カケラは酷く曖昧です、たいがいの物はすぐに消えてしまう、本物のタンスを開けてもあけられるのはカケラのタンスだけ、開けたことを自覚しなければすぐに本物に戻るように開いたタンスのカケラも崩れて、閉じたタンスに戻って閉じます」

彼は手のひらから砂時計を離した。砂時計の砕け散る音はしなかった。地面につく前に糸がほどけるように砂時計は消えた。

「じゃあ、あんたは何なのよ、あんたさっき二年前はスーツ着てったって言ったでしょ、その時はもう幽霊になってたんでしょ。なら、二年前にはもう椎名は死んでなくっちゃいけないじゃない、でも昨日も一昨日もあの腐れ眼鏡が生きてるのを私は見た。」

「同じ名前の別人とでも思っておいてもらって構いません」

「言ってることが分かんない、あんたが椎名じゃないならだれが椎名だってのよ、その嫌味なたれ眉は椎名そのものじゃない。別人だっているならなんであんたが椎名の顔してんのよっ」

そう言うと彼は困ったように笑う。

「カケラはとても小さい存在です。カケラは互いにその小さい存在を自分の記憶で補完しているんです。だからカケラの姿というのはあくまでそのカケラを見ている者にしかその姿には見えないのです。」

「じゃああんたの姿はそのたれ眉じゃないってこと。馬鹿言うんじゃないわ、信じられるわけないじゃない」

「厳しいことを言うようですが。もうあなたは常識の外の存在になった。非常識の存在になったあなたが常識を信じていても苦しいだけですよ」

彼はそう言うと、それ以上は答えなかった。問いかけても多分答えてくれなかったろうし、その顔が作り物の様に、同時に慣れたような風に見えて声を掛けられなかった。

「今重要なのは僕もあなたと同じ、カケラであることです」

「じゃあ、どうすれば戻れるの、どうすれば普通になれるの」

再び彼に掴みかかった。首元を引いても彼はただこちらを見るだけだった。

「ねぇ、何か答えてよ、何とか言ってよ、ねぇ、いつもみたいに馬鹿にした顔していいよ、怒らないから、ねぇだから嘘だって言ってよ、ねぇ、そうでしょ、この前みたいに手の込んだどっきりだって、北沢ぁどっきりの看板持ってきていいよ、きーちゃーん、今日は怒って叩いたりしないから出てきてよ、お願いだから、お願い」

あまりに現実味がない、嘘に決まっている、こんなに唐突に人生が終わるわけない。死ぬとしてもまだそれは随分先のことのはずで、昨日、今日のためにわざわざ数学の宿題やったのにそれを提出できずに死ぬわけなんてない。また明日ね、っていって昨日分かれた友達もいるし、明日やればいいやって放っておいた課題もある。そうだ来週はお気に入りのバンドのアルバムが出るんだ。シングルも一通り買ってるけどファンならちゃんと買わなきゃって。夏休みになったらみんな誘って今年も夏フェス行こうって言ってたのに、インドアな皮肉屋の首にひも括り付けて犬みたいに引きずって行ってやろうってみんなで言ってたのに。そんな明日がもう来るわけない。そんな訳ない。第一、自分は今こんなに元気だ、手も足も動く、頭だってもしかしたらこの前よりも冴えてるくらいだ、そんな自分が死んでいるわけない。今目の前にいる椎名もどきだってきっと悪魔の使いとかに違いない。よく聞くじゃない、悪魔とかそんな悪い奴が自分の知っている人の姿を借りてだましに来る話。そうだ、きっとそう、だから目の前にいるこんな奴の言う事なんて聞いてはいけない、信じない。

心でそう決めても体はどこかに浮いているように力が入らない。そのくせ、足元がおぼつかない、まるで東京タワーのてっぺんに立っているように恐ろしい。一歩踏み出せば簡単に落ちて、足場も悪い、風も強く吹いている、その上、力の入らない言うことの利かない足。落ちない方が不思議なほど、それでも落ちるのは怖い、翼のないこの身では飛ぶことも出来ず、地面に落っこちて死ぬだけ。背筋が凍る、体の中に霜ができるように寒い、もう七月の昼間であるはずなのに寒気が止まらない。彼を掴んでいた手はいつの間にか離れしゃがみ込んでいた。

「生活する上で必要なこととかしたいことがあったら言ってください、出来る限りで用意します」

「したいこと」

涙も出ない代わりに、漏れ出た言葉は随分と掠れていた。

「じゃあ、返してよ。私を元いた場所に返してよ」

彼に縋りつくように言った、けれど彼は何も言わなかった。

「なんか言えよ、こんなわっけわかんない場所じゃなくていつもの家に帰してよ」

頭で否定しても記憶とそして体があの時の恐怖と硬直する嫌な感覚を覚えている。否定することのできないその事実が頭の中を駆け巡り、血の流れとともに全身に冷たい何かを運ばせている。震えだす体は夏だというのに寒く、背中を削がれ氷漬けにされたように動かなくなってゆく。

「それはできません」

淡々と彼は言った。それしか彼は言えなかったし、自分でも分かっていた。あの時、軽トラを避ける時、右足が軽トラに当たったはずだった。触れた感覚はあったけれどそれで音がすることも車が凹むことも私の足が折れることも無かった。それを認めたくはなかった。自分は死んで、それでいま体もなく漂っているだけの消えるだけの自分のカケラ、人が生き返ることなんてないなんて赤ん坊でも知っていること。

「ふざけるなよ、何が死にましただよ、勝手に殺してんじゃねぇよ、しょうもない嘘ついてんじぇねぇよ」

そう言うつもりはなかった、ただの八つ当たりだ。自分が戻れないから彼に当たった、それだけの事、けれど彼はその言葉に怯むことなく淡々と答えるだけだった。

「当面は僕を頼ってください、何事も助け合いですから」

その言葉に彼を殴った。

初めて人を殴った。彼は悪くない、ただ今後のため事実を告げただけ、消化できず力に任せたのは自分、だけど、その一言が許せなかった。帰り道のない牢獄に連れてこられたような、抜け出す道はなく、この世界の中で死ぬことも出来ず生きていかなければならない、その事実を告げられたようで腹がたったのだと思う。どうしようもなく彼のことが憎く見えて、そのくせいつもの様なたれ眉が少し悲しそうに歪むのがもっとつらかったのだ。

「いきなり告げるのは酷でした、すいません」

彼そう言ってしゃがみ込んだ私の左手に自分の両手重ね、包み込むように大きく握った。指の長い大きな手だった。

「まだつらいかもしれませんが今はとりあえずおやすみなさい、せめてあなたの見る夢がよき夢であらんことを」

こどもに言って聞かせるように囁くと、だんだんと意識が遠くなっていくのが分かった。泣きつかれたのか、それとも事態に心が付いて行かなかったからなのか、重くなる瞼。本当に夢であってくれたらどんなに良かっただろう、そう思いながら二度目の眠りについた。


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