透明な不変の想い
第116回フリーワンライ
お題:
結晶になる
映える
指先へのキスは冷たいもので
幸せになりますようにと、ただ、それだけを
忘れるということ
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
陽の当たる庭で、ガラスの像を相手にダンスをする。
“ここ”は地球から約300億光年離れた、宇宙の中心地。
穏やかな人類安息の地で、時間は緩やかに流れる。
扉を開けて外に出ると、今日も陽の光が燦々と降り注いでいた。光量に圧されて目を閉じる。
ゆるやかな光のカーテンをくぐり抜け、庭の芝生を踏む。見えなくても、何度となく繰り返した習慣だけに、淀みなく歩いてゆける。足の裏に感じるくすぐったさが心地良い。その感触が、私がここにいることを証明してくれるようで。
いつもの歩幅で歩ききり、立ち止まる。徐々に目が慣れてきた。よく手入れされ、意図的に配された植物の園。私が立つ、私の目の前を中心とした円形の庭だ。
園庭の中心には像がある。光を浴びてひときわ強い輝きを放つ、クリスタルの像。像の配置は陽光に照らされ、緑に囲まれることでもっとも映えるよう設計されている。
クリスタル像は一見して自然体だが、片手が差し出すように掲げられている。まるでソシアル・ダンスでパートナーを迎え入れるように。
私はいつものようにその手を取る。カツン。硬質なガラスの音色。
一礼して、しばしの間、像のパートナーを務める。相方が動いてくれないので、主に私の方がステップを踏む。最初は苦労したが、今ではお手の物だ。
くるくる、くるくる。無限に思える回転を舞い踊る。
思うさま踊り終えると、少し息が上がった。上気した胸を抑えるように一礼。パートナーを演じてくれた像の手に、軽く口付けをする。唇には無機質な冷たさしかなかった。
しかし、満足だった。
随分踊ったように思ったが、陽の位置はほとんど変わっていない。
“ここ”では、時間はゆっくりと過ぎていく。
椅子代わりに置いている切り株に腰掛けた。手遊びに年輪をなぞる。
樹木は年輪の数だけ年を経ている。成長して大きく太くなるわけだが、本当の意味で「生きている」のは樹木の表面の方だけで、中心の方は生きているとも死んでいるとも言えない状態だと言う。
“ここ”もそうだ。
母なる星から294億光年離れた、膨張宇宙の中心地。
“ここ”から宇宙は始まり、爆発的に広がっていった。
宇宙の端は未だ成長を続け、反面、宇宙の中心地では生きてもいない、死んでもいない、時間的な停滞が起こっている。
“ここ”は人類安住の地。
*
かつて、人類は滅亡に晒された。回避する手段として、二つの道が示された。
環境に適応するか、適応する環境を求めるか。
当時、膨張宇宙の全貌は約500億光年ほどとわかっており、また、宇宙の中心地に停滞が生じていることが示唆されていた。
中心地点までは母星から294億光年。光速航法を用いたとしても、とても生身には耐えられない。
そこで、二つの道が一つに絞られた。
人類種自体を残す手段として、人類に改造を施し、その上で滅び行く星を棄て、宇宙の中心地へと旅だった。
ガラスという物質がある。不安定な固体という、特異な性質を持ったこの物質は経年劣化することがない。
その性質を人類に取り込んだ。
言わばガラス人間。
見た目は旧人類と変わるところはない。ガラスの性質を得て、一定の年齢を超えると成長が止まり、老いることも死ぬこともなくなる。
294億光年の彼方を渡り、停滞した安住の地を生きるために適応化した人類だ。
*
この頃、よく昔を思い出す。
母星を旅立ったあの日のこと。あの日から起こってきた全てのこと。
一つ一つ、こと細かに脳裏に描く。ガラスと一体化した私の細胞は、瑞々しいままに記憶を蘇らせる。
あの人と共に過ごした日々。
……そして、あの人を失った日。
姿勢を正し、クリスタル像を見つめた。
私たちは百億光年を耐えられる。
けれど、記憶はそうはいかなかった。
ガラス人間の弊害が、今にしてわかった。
私たちは記憶で人間としての姿を保っている。一つものを忘れるたびに、私たちはガラスへ近付いていく――結晶化と呼ばれる現象。
クリスタル像を眩しく見つめる。あの人はすべてを忘れて、ガラスそのものになってしまった。
硬くなり始めた指先を握りしめる。
いずれ私もそうなる。
真にあの人に相応しいパートナーになれるよう――
この揺り籠で、永遠に踊り続ける二人になれるよう――
停滞した宇宙の中心地で、そこに相応しい不変の幸福を体現する姿になれるよう――
ただそれだけを思いながら、その日が来るまで、私はあの人の手を取り続ける。
『透明な不変の想い』了
宇宙の中心地までの距離とか適当です。途轍もない距離と時間を越えたんだなぁ、ぐらいのハナシで。
あとは特に……
あー、カードゲーム『マジック:ザ・ギャザリング』は多元宇宙という設定なんですが、その背景設定で多元宇宙の端っこに“時の最果て”と呼ばれる停滞した次元「エクィロー」というのが出てきまして、イメージの大本はそれ。「時の果て」が宇宙の端っこじゃなくて、真ん中にあったら面白いかなーとか。
樹木の話は昔聞きかじった話を、宇宙の真ん中と関連づけてそれっぽくしただけで、本当に樹木の生命が作中通りなのか短時間では裏取り出来ませんでした。間違ってても悪しからず。
そうそう、今回意図的に性別をぼかして書きました。百億光年を越える種族はすでに性別なんて超越してるだろうと。若干視点は女性的ではありますが、異性同士かも知れないし、同性同士かも知れない。