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ピルグリム

 見るからに不慣れな様子で巻かれた包帯は、必要以上に膨らんでいる。それが肩にも足首にも腿にも巻かれているので、ノアは安っぽいミイラの仮装をしている気分になった。

「ど下手くそ」

 ストレートな感想を口にすると、燐は残った包帯を手の中で弄びながら、

「こういうことは、したことがありませんので」

 と呟いた。心なしか、ふてくされているように見える。

「アイオーンには、自己再生システムがありますから、医療品は不要ですから、使い方を知る必要もなく、つまり、その、うまく出来なくても仕方がないので」

 燐はなぜか、早口で弁解した。

「そもそも、あなたが無茶をせず、早く逃げていればよかったんです」 

「あァ? 俺のせいにすんのかテメェ。最終的に助けたのは俺だろうが」

 反論すると、燐は黙り込んだ。



 ハーロウのワイヤーが燐の左目に喰らいついたあの瞬間。ノアは結界ドメインを展開して、能力ちからを解放した。

 何をどうしたのか、具体的には覚えていなかった。

 燐によれば、彼女に張りついたワイヤーを引き剥がし、拘束を解き、原型をとどめないほどハーロウを破壊、それをほぼ同時にやってのけたらしい。

 当の本人ノアは、一瞬のうちに凄まじい力を放出した反動で気を失い、おまけに記憶も吹き飛んでしまった。

 目を覚ましたとき、ノアは物資コンテナにもたれかかっていて、そばには燐が座っていた。

 

 コンテナの中身は医療用物資だった。食料品はなかったものの、今まさに必だったのは医療用品だったので、この幸運には感謝しなければならない。

 手当ては、ノアが気を失っている間に、燐が施してくれた。

 助けに駆けつけてくれたことも併せて、礼を言わなければならないのに、どうも素直に言葉にできないノアである。

 それに彼女の顔を見ると、言うべき言葉が、喉の奥に引っ込んでしまう。

 

 燐の左目は、痛々しくただれてしまっていた。 

 喰らいついたハーロウのワイヤーを引き剥がすために、呪いの力で焼き払ったはいいが、彼女の顔まで巻き込んでしまったのだ。

 呪いの力で負った傷は、決して消えない。アイオーンの自己再生システムでも、この傷だけは癒せないだろう。 

 ノアは燐の左目を奪い、一生涯残る傷痕を彼女に負わせたのだ。

 燐を見るたびに胸の奥が疼くのは、罪悪感があるからだということを、ノアは認めなければならなかった。


「私の傷が気になりますか?」

 目を逸らし続けるノアを不思議に思ったのか、燐は率直に問うた。

「大丈夫ですよ、このくらいなら。痕が残っても、私は気にしませんから」

 燐の言葉に嘘はないだろう。彼女は生体兵器だ。容姿を気にする、という概念はない。

 しかしノアは、それで済ませたくなかった。素直に謝罪も礼も言えない自分がもどかしく、苛々する。

 ノアは深々とため息をつき、傷口を洗うために使った水のボトルを手にした。開封した医療道具箱からガーゼを一掴み取り、水を注いでたっぷりと濡らす。それから軽く絞ると、燐の左目の汚れを拭い始めた。

「ノア……?」

 突然のノアの行動に、さすがの燐も戸惑いを隠せないようだった。右の紅い瞳を瞬かせ、じっとノアを見つめる。

「あの」

「うるせえ、動くな、黙ってろ」

 ぶっきらぼうに返すと、燐はおとなしく従った。

 出来るかぎり汚れを落として、乾いた新しいガーゼでもう一度拭く。それからノアは、燐の手の中の包帯を取り、慣れた手つきで彼女の頭に巻いた。

 包帯は無駄なく使われ、燐の痛ましい左目は、すっかり隠された。

 燐は巻かれた包帯に触れ、そっと指先で撫でた。

「上手ですね」

「ふん、このくらい普通だ」

「でも、ありがとうございます」

 礼を言われるとは思わなかった。ノアは落ち着きなく身じろぎし、残った包帯を医療道具箱に投げ入れる。

 しばらくの間、沈黙が流れた。燐との間に漂う空気はとても奇妙なもので、それが一体何なのか、ノアには説明がつかなかった。

 先に口を開いたのは、燐の方だ。しかし、

「ノアは、身体は平気ですか? ええと、傷ではなく、その」

 最後まで言わず、彼女は言葉を止めた。 

「なんだよ。言えよ」

 乱暴な口調で先を促すと、燐は躊躇いがちに言った。

呪身鬼シフターは、力を使い続けると、寿命が短くなると聞きましたが」

 ああ、その話か。ノアは鼻を鳴らした。

 

 呪身鬼に選ばれし者は、絶大な力を得る。だが、大きな力には代償がつきものだ。

 彼らは、呪いの力を使えば使うほど、肉体と精神を蝕まれていく。

 最終的には心身が崩壊し、力の根源である呪いと一体化して、呪身鬼自身が呪いそのものとなる。

 人間としての生は終わり、別次元の何かへ成り果てる。寿命が削られるのではない。死という概念すら、失われるのだ。

 それを〈呪蝕エンター〉という。


 呪蝕がいつ起きるのか、呪身鬼にも分からない。

 選ばれた者は、力を得たその瞬間に、自分が何を得たのか、そして先に何が待っているのかを自覚させられる。

 それらの運命を受け入れるかどうかは、選ばれし者次第だ。受け入れられなかったらどうなるのか知らないが、穏やかな結果にはならないだろうと、ノアは思う。


「そんなの、お前にゃ関係ねえだろ」

 ノアは運命さだめを受け入れたが、まったく恐ろしくない、と言えば嘘になる。死とも言えない何かが待ち受けているというのは、底なしの谷に架けられた、透明な橋の上を歩くようなものだ。

 だが、信念は砕けない。どんな最期を迎えることになっても、必ずやり遂げる。



「それより、なんで俺を助けた」

 ノアは、燐が巻いた不細工な包帯を見つめた。

「俺たちは敵同士だ。俺は利用するために、お前に“茨の呪い”をかけた。お前に俺を助ける理由はなかっただろ。飛べるなら、さっさと好きなところに行きゃよかったじゃねえか」

 燐は視線をノアに向け、首を傾げる。

「あのはねは、私の切り札です。いつでも使えるわけじゃありません。体力も消費しますし、できるだけ温存しておきたかったんです。あなたにも、私を助ける義理はなかったでしょう? でも助けてくれた。なぜですか」

 同じ質問を返されたノアは、答えられずに押し黙った。

 やがて、苦しまぎれに、

「そんなの知るか」

 と吐き捨てると、燐もまた、

「そうですか。私も同じ答えです」

 と言い、かすかに頷いた。

 燐は、隻眼になってしまった紅い瞳で、じっとノアを見つめる。ノアの真意を見定めようとしているのか、しばらくそうしていた。

 やがてふっと視線を逸らし、今度はどこともつかぬ方向を見る。

「私は、感情というのがどういうものか、もっとよく知りたいです。あなたについていけば、それが分かるかもしれないと思っています」

 乾いた風が吹いて、燐の艶やかな黒髪がふわりと揺れた。

「私があなたを守ります。ですから……、長生きしてくださいね」

「なんだそれ」

 ノアは思わず吹き出していた。

「俺はジジイかっつーの」


 


 荒野のハイウェイを、一台のバイクが東に向けて疾走している。

 ハンドルを握るのは、アッシュグレーの髪の男。

 彼の後ろには、黒髪に紅い隻眼の少女。

 道の先に何があるのかは知らない。

 世界は崩壊した。安寧の地など、もう残されていないだろう。

 だが希望はなくとも、答えを求める限り、進み続けることはできる。

 道が果てるそのときまで。

 どこまでも。



       END


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

あらすじでも述べましたとおり、この作品は、大橋なずな様主催の企画「このイラストで小説書いてみた」の参加作品です。

ノアと燐の物語は、これで終わりです。が、ふたりの旅は続いています。

このあと彼らがどんな旅をしたのか、どんな結末を迎えるのか、それはお読みくださった方々のご想像におまかせしたいと思います。

ちなみにですが、タイトルの「エマーシオ」とはラテン語のemotio、英語のemotion[感情]に当たります。最終話のタイトル「ピルグリム」のは、「巡礼者」「放浪者」という意味があります。


最後になりましたが、企画参加させてくださった大橋なずな様に、感謝を捧げます。

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