「私」
ニムロッドはいくつもの惑星に進撃し、征服することで支配圏を拡大させてきた。
彼らは優れた戦士であると同時に科学者であり、圧倒的な武力をもって他の惑星を制圧する。
だが、そんな彼らにも難点があった。
惑星はそれぞれ環境が違う。大気の成分バランスが良く、生活に適した星もあれば、陸地すべてが氷に覆われている星もあり、原住星民はそういった環境に適応して生きている。
ニムロッドは、極端な環境への適応能力に欠けていたのだ。
彼らの本体は、約二メートルの半透明なゲルの塊である。手足の役目を果たす器官は、必要に応じて身体の表面から生えてくる。目は豆粒ほどの大きさしかないが、レンズがあるので視力も保有する。
口はなく、体表面から水分を吸収し、光合成によって生きるエネルギーを造り出す種族だ。
声帯もないので、意思伝達は音声ではなく、念通話で行う。
本体そのものは脆弱で、母星以外での環境では生きられない。
そのくせ、繁殖力は高かった。雌雄同体で、分裂繁殖を行うのだが、その頻度が高いのだ。彼らには、母星が同胞で溢れかえり、住める場所がなくなってしまう前に、植民地を確保する必要があった。
そこで彼らは、繁殖能力の次に発達した脳を存分に活用し、あらゆる環境に適応できる外甲殻を開発した。この外甲殻の誕生が、ニムロッドの他惑星侵攻を可能にしたのである。
銀河系の隅にちょこんと浮かぶ青い惑星にたどり着き、そこに生きる原住星民を調査した時、ニムロッドたちは少々驚いた。
人間(MAN)というらしい原住星民の肉体は、辺境惑星の生き物にしては、それはそれは良く出来ている。
炭素、水素、酸素、窒素など、あらゆる要素が、非常にバランスよく整っていた。六十兆個の細胞で構成され、内臓器官も無駄がない。
生命体の進化過程を調べたところ――見ようによっては退化したとも考えられるが――全体的には“進化の成功例”と言っていいだろう。
残念ながら、脳の発達はいまひとつだった。賢いことは賢いが、脳の機能の半分も発揮されていない。もったいないことである。
とある個体が念通話でこう言った。
「人間(MAN)は脳の正しい使い方を分かっていない。あの物理学者はちゃんと理解していたのに、とっくに死んでしまっているとは残念だ。彼が生きていたら、我々の接近に気づき、戦いに備えることが出来たろうに」
ニムロッドは、未発達な脳を補うために、人間の肉体はあのように進化したのだと考えた。
人間はニムロッドにとって、制圧すべき敵であると同時に、科学的興味をそそられる対象にもなった。
ニムロッドがまず考えたのは、人間の機能性高い肉体を、自分たちの戦力として応用できないか、ということだった。
「で、テメェみたいな薄ッ気味悪いのが造られたってのかよ」
壁際の呪身鬼の男は、表情を歪め、吐き捨てるように言った。
男の物腰は粗暴で、話し方は荒々しかった。そのせいか、年齢の割に精神面が幼く見える。
メタノイド群体を屠ったあと、呪身鬼の男は、燐を空き家に連れ込んだ。辱めを受けるのかと思ったが、そんなことはなかった。
男は燐に触れようとせず、距離を置いた。人間と変わらぬ外見を持つことに、激しい嫌悪を抱いているようだ。
家具が倒れ、雑草が伸び、荒れ果てたリビングルームで、二人は向かい合っている。
燐は刀を取り上げられた上、首に爆破環を嵌められ、呪身鬼の向かいの壁に座らせられた。
爆破環は、スイッチ一つで燐の頭を吹き飛ばしてしまう威力がある。が、いつ死んでもおかしくない立場にある燐にとって、この程度の代物は脅しにもならない。
男もそのことは分かっているらしい。爆破環は形だけにすぎず、本命の脅しとして、燐の周囲に“呪いの柵”を張り巡らせた。
座っている燐の周りを、赤黒い輪が囲んでいる。マグマのようにボコボコと蠢いており、触れればたちまち、燐を呪いの中に引きずり込んでしまう。
(こんなことも出来るのね)
燐は戒めをじっと見つめた。結界を展開させずとも、呪いの力を使えるとは。
呪身鬼の男は煙草をくゆらせながら、燐が語る彼女の正体についての話を聞いていた。話が進むにつれ、眉間に深い皺が刻まれた。
「攫った人間を実験台にして造った兵器だ? お前ら、本当にクソっタレだな。最低な人間なら何人も見てきたけどよ、お前らに比べりゃ、あいつらの方がまだマシだぜ」
男は咥えていた煙草を指に挟み、白灰色の煙を吐いた。
燐は、ニムロッドがこの星に到着した後、侵略戦争の中で捕えた人間を素体として生み出した生体兵器〈アイオーン〉の一人だ。
皮膚や皮下組織は人間と同じように造られ、内部は人体の器官を再現した、生体機械で構成されている。
アイオーンは現在、三百体ほど製造されている。個体数は多くないが、戦闘能力はメタノイドを遥かに上回る。
アイオーンは全個体が、生き残った人類を抹殺、あるいは捕獲するために、世界中に放たれていた。
燐も、その任務を負っていたのだが――。
「あー、気分悪ィ。なんか妙な感じのする女だと思って様子見てたが、人間じゃねえって分かった時に、ぶっ壊せばよかったぜ」
男は忌々しげに言い、吸い尽くした煙草を床に落として踏んだ。
これまで燐は、人間に正体を知られたことはない。
アイオーンという存在そのものは、人類軍も把握している事実だ。では実際に対峙したとき、それが人間かアイオーンかを、見極めることができるのか。
おそらく、それは困難だ。アイオーンは各種の探知機形類にも感知されないため、一見しただけでは兵器だと分からない。
ゆえに、人間にまぎれて、彼らを抹殺できるのである。
だがこの男は、燐の正体をたやすく見破った。これもまた、呪身鬼の能力によるものなのだろう。
「なぜ、そうしなかったのですか?」
燐は率直な疑問を投げかけた。彼ならば、燐を壊すくらい、造作もないだろうに。そのことを続けて言おうとしたが、睨まれたので口をつぐんだ。
「テメェにゃ訊きたいことがあるからだよ。だから生かしておいてやってんだ」
「燐です」
「あ?」
「私には、燐という名前があります」
男が、近くのソファを激しく蹴りつけた。ソファは倒れ、脚が一本折れてしまった。
「名前なんざどうでもいいんだよ! クソ宇宙人の兵器のくせに、名前だと?」
「アイオーンには、人間の名前が、個体識別コードネームとして与えられています。私は“燐”です」
「それがどうした。お前がどう呼ばれていようが、俺が知ったことかよ」
「でも、名前は……大切です」
ぽつり呟いた燐の一言だったが、男の耳には届いたようだ。彼は片方の眉をくいっと上げ、怪訝な表情で燐を見た。
「何言ってんだお前」
「アイオーンにとって、ニムロッドにとって、名前は単なる『同式個体を区別するための記号』です。でも、私は……それでは、嫌だと……」
燐の言葉に、男の眉間の皺は、ますます深くなった。
「お前、マジで何言ってんだ? 兵器だよな? なんだよ『嫌だ』って」
彼が抱いているであろう不信感は、燐にも理解できた。それは彼女自身の不信感でもあるからだ。
「私にも分かりません。私はたしかに、ニムロッドによって生み出された生体兵器です。命令を遂行し、命令にのみ忠実であるべき存在。あなた方人間にとっては、間違いなく敵です。でも」
いつからだろうか。この身の内に、奇妙な感覚が湧き上がるようになったのは。
燐はアイオーンの一人として、数々の戦場に赴き、任務をこなしてきた。すなわち、人類軍と戦い、滅ぼすという行為を。
何度も繰り返し、行ってきた。
初めての任務からしばらくの間は、他のアイオーンやメタノイドらと同じく、何の感慨もなく、無機質に、淡々と、人間の命を奪ってきた。
だがいつからか、一人、また一人と人間を殺すたびに、胸の内側に“重み”を感じるようになった。
その“重み”は、日が経っても消えず、ずっと燐の内側にあった。定期メンテナンスを受けた時は、異常なしと判断されたが、燐は納得がいかなかった。
自分は明らかに、どこかおかしい。
「私は任務に疑問を持つようになりました。それはやがて、私自身への疑問に発展しました。こんなこと、他のアイオーンにはない症状です」
燐は小さく首を振る。
「自分の身に何が起きたのか分からないまま、私は任務のために出撃し続けなくてはなりませんでした。でも、胸の“重み”は増す一方で、ある日の出撃の際、私は任務を放棄しました」
呪身鬼は、値踏みするような目で燐を見ているが、口を挟むことなく黙って話を聞いていた。
任務放棄は大罪だ。その場で燐の廃棄処分命令が下された。
「それで逃げたのか。だからメタノイドどもに囲まれてたんだろ?」
男は鼻を鳴らして嗤い、二本目の煙草に火を点ける。
「嗤えるぜ。さんざん人間を殺してきた奴が、自分の命惜しさに逃げただと。命? いや、お前ら兵器なんぞに命なんてあるわきゃねえな。ゴミだゴミ。ゴミならおとなしく処分されろ」
人間の彼からすれば、仇であるアイオーンの燐が、こうして逃げること自体許されないことだろう。それは理解できる。
だが。
「私は、いつかきっと、処分されるでしょう。けれど、そうなる前に知りたいのです」
「何を」
男に短く問われ、燐は右手を胸に当てた。
「ここに生じた“重み”が一体何なのか。私はそれを、どうしても知りたい。なぜこんな風になってしまったのか。なぜ、追われると分かっていながら任務を放棄したのか。すべて知りたいのです」
「知ってどうする。それでテメェの罪が消えるわけじゃねえ。テメェがニムロッドの兵器だって事実も変わらねえ。さっさと処分されちまえ。それとも俺がやってやろうか」
呪いの柵が垂直に伸び上がり、先端が燐に向けられた。男の意思ひとつで、この呪いは燐を串刺しにするだろう。
男が現れた時の、あの厭な感覚が再び襲ってきた。
(ああ、これだ)
燐を飲み込もうとする奔流。身の内に生まれた“重み”に限りなく近いことに、燐は気がついた。
「私の中にあるものは、ひょっとしたら、感情……なのかもしれません」
呪いの柵が、元の状態に戻った。男はぽかんと口を開けている。
「今、何つった? 感情?」
「はい」
燐は頷き、男を見据えた。
「今まではそう思いませんでした。でも今日あなたに会って、あなたの力に……呪身鬼の力に触れた時、これまでに経験したことのない感覚に陥ったのです。呪い、すなわち、人類がニムロッドに向ける激しい憎悪、怒り、恨み、そして悲しみ。それらを前にして、私は震えました」
燐の口調はだんだん熱を帯び、やや前のめりになった。
「今、理解しました。私は“恐怖”したのです。呪身鬼の力に、その根源となる負のエネルギーに。……あなたに」
男が纏っていた空気、そして結界の中で肌に沁みた厭な感覚。
それは“恐怖”という感情に他ならない。
「私の中に生じた“重み”は、きっと感情なのです。あなた方人間が持っているような、怒りや、憎しみ、悲しみ、そして……喜び。そういった感情が、今の私にはあるのです」
きっとそうに違いない。燐は一人頷いた。
ニムロッドが造り出した兵器でありながら、人間と同じような感情が芽生えたアイオーン。
たしかにそれは、ニムロッドにしてみれば完全に失敗作だ。廃棄処分も当然である。
(でも、私は、この答えを求めていた)
身の内の“重み”の正体が感情だと分かった時、燐は、目の前に天から光が射し込んだかのように思えた。
現実の空は濁った灰色で、雲の上にはニムロッドの哨戒船がうようよ飛んでいるが、そんなことは気にならない。
失われていたものが戻ってきた感じだった。実際には何も失っていないのに、そう感じるのはなぜだろう。
この身に起きた異変の正体を知りたくて、追われることを承知で逃げ続けた。いつ捕まって処分されてもおかしくなかった。
そんな極限の旅路の先で、答えを見つけられた。
今、燐の胸の内にあるのは、戦場で抱え込んだ“重み”ではなく、光のような温かみのあるものだった。
頭上に影が落ち、燐はハッと顔を上げた。すぐそこに男の顔がある。
琥珀の瞳に怒りの炎を漲らせ、振り上げた拳を、燐の顔の真横の壁に叩きつけた。衝撃で、壁にヒビが入る。
「感情だと? ざけんなテメェ。化け物のくせに、人間の真似しようとしてんじゃねえよ。姿かたちだけじゃなく、今度は中身も真似て、人間につけ入ろうってのか、あァ?」
「違います、私は」
「胸に生まれた“重み”の正体が知りたい? 殊勝なことホザいてんなよ、クソッタレが! お前らに感情があろうがなかろうが、そんなこたァどうだっていいんだ! お前らが世界にいんのが間違いなんだよ!」
興奮する男の声は、言葉を重ねるたびに高まっていった。呪いの柵が男の激情に呼応し、大きく伸び上がって、燐の首に巻きついた。
燐の首に嵌められていた爆破環は、呪いが触れた瞬間、爆発せずに消滅した。
「お前らは勝手にやってきて、さんざん殺して、好き放題荒らし回って、俺たちの星を壊しやがった。テメェが何だろうが、俺には関係ねェ。テメェの名前も、感情も、全部どうでもいい」
呪いが燐の首を締めつける。生体兵器である燐の身体には、人間と同じように呼吸が必要だ。酸素の供給が断たれれば、即座に活動停止とまではいかなくとも、身体機能に大きな影響を及ぼしてしまう。
なにより、苦痛はあるのだ。
首を絞め上げる呪いを解きたくとも、実体がないために振りほどけない。燐はもがき、身じろぎすることしか出来なかった。
「“重み”の正体を知りたかったんだろ? よかったじゃねえか、分かって。これで思い残すことはねェよな。なら今すぐ俺が壊してやるよ」
さっきとは打って変わった低い声で男は言い、立ち上がって数歩退いた。
首にかけられた呪いの戒めは、ますます燐を締めつける。
「ううッ……」
苦しみに、燐の顔は歪む。
戦場では何度も死線をくぐってきた。いつでも破壊ぬ覚悟はあったし、アイオーンである以上、戦場での破壊――死は当たり前の結果だと認識していた。
だが、感情というものを理解し得た今なら、死は恐れるべきものだったのだと分かる。
燐がただのアイオーンだった頃、ふた振りの刀で殺してきた数多くの人間たちも、恐ろしいと感じながら死んでいったのだ。
今の燐と同じように。
意識が遠のいていく。目の前が徐々に暗くなり、全身から力が抜ける。
これが“死”なのか。
薄れゆく意識の片隅で、最後に燐は思う。
(私は“死ぬ”の? まだ全部を分かっていないのに。私の中に何が生まれたのか、知ることができないまま“死ぬ”の?)
そんなのは、
(そんなのは……“嫌”)