〈呪身鬼〉
遥か宇宙の彼方から、はるばるこの辺境の惑星までやって来た彼らは、〈ニムロッド〉と呼ばれている。
ニムロッドたちは、何の宣言もなく、一方的に攻撃を開始した。
最初に現れた楕円形の物体こそは、ニムロッドの母船だ。その母船を小型化したようなフォルムの――それでも、海軍最大級空母より二倍三倍の大きさはある――駆逐艦が世界中に解き放たれ、各国主要都市は一斉攻撃を受けた。これが侵略の第一波である。
世界はこの未曾有の危機に、団結して立ち向かうことを誓った。
持てる軍事力と科学技術を、すべてニムロッド討伐対策に注ぎ、第一波の侵略攻撃で奪われた命と都市の仇をとるべく、反撃を開始。全面戦争へと突入したのだった。
最初のうち、人類軍は意外にも優勢だった。犠牲者は多かったものの、数箇所の主要都市奪還に成功したのだ。
「異星人恐るるに足らず」
勝利への希望を見出した人類は、母船への総攻撃作戦を決行した。
だが、これは罠であった。
狡猾な侵略者ニムロッドは敗戦を装い、制圧した都市をあえて人類に奪還させたのだ。
ニムロッドには読めていた。勝機を見込めた人類が、戦力差で追い詰められる前に母船を叩きに来るだろう、と。
彼らの罠に乗せられた人類軍は、主戦力を敵母船へ向かわせ――、
あえなく撃退されてしまった。
それから後は、敵の一方的な攻撃による、世界蹂躙である。
ニムロッドに、もはや小細工は必要ない。圧倒的な戦力を思う存分振りかざして、破壊し、殺せばいいのだ。彼らにとっては、たやすい仕事である。
一つ、また一つと国が滅び、侵略開始から半年未満で、世界の半分はニムロッドの手に堕ちた。
罠に嵌まって主戦力を失った人類は、すべての希望を失ったも同然。団結の精神もまた血に染まり、絶望の慟哭にかき消された。
最初の攻撃から約一年。
空の色は澄んだ青ではなく、悪夢のような灰色に変わり、ニムロッドの船に埋め尽くされた。
地上の八割は彼らの植民地と化し、人類もまた、数えきれないほど失われた。
――世界のすべてが、異星人のものになろうとしている。
ニムロッドの“人間狩り”から生き延びた人々には、もはや希望を抱くだけの勇気と気力がなかった。
ニムロッドにとって、人間は敵ではなく、ただの除去すべき害獣にすぎない。
彼らは何者にも脅かされることなく、着々と侵略作戦を遂行していくだけだった。
一人目の〈呪身鬼〉が、いつ、どのようにして誕生したのか、それを知る者は誰もいない。おそらく、呪身鬼たち自身にも分からないだろう。
彼らは突然、世界各地に現れた。
ごく普通の人間だった彼らは、特別な能力に目覚め、その能力をもってニムロッドに報復したのである。
呪身鬼の能力は、確実にニムロッドを殺す。そのためだけの力なのだ。
なぜなら、その力の源は――。
*
周囲一体を赤黒く染め上げた男は、メタノイドだった鉄屑を踏みつけ歩いてくる。
アッシュグレーの髪はツンツンと尖り、琥珀色の瞳は冷ややかに機械兵たちを睨みつけている。古ぼけたアビエイターと白いシャツ。くたびれたジーンズの裾は、エンジニアブーツにたくし込んでいた。
顎を上げ、斜めにメタノイドを見下ろす男の態度からは、異星人の機械兵に対する恐れが微塵も感じられない。
燐は男から目が離せなかった。厭な感じが続いているのは彼のせいだが、それでもその姿から目を逸らすことが出来ないのだ。
男は燐の横を通り過ぎたが、一瞥もくれなかった。赤黒い世界に囚われて動けずにいるメタノイドたちの前までくると、彼は両手を広げた。
「ニムロッドのガラクタども」
男の全身から、黒い煙があふれ出る。煙は赤黒い炎となり、男を覆い尽くす。
「地獄行きの時間だぜ」
口の端を上げてニヤリと嗤った、次の瞬間。
男の纏っていた炎が、全方向に放射された。あまりの熱気と眩しさに、燐はとっさに両腕で顔を隠した。
ギイイ、ギイイ!
金属同士が擦れ合う、耳障りな音が聞こえてきた。何が起きているのかと、燐は両腕の隙間から様子を窺った。
燃え盛る炎が、メタノイドたちに纏わりついている。蛇のように蠢きながら機体を締め上げ、外装の接合箇所から入り込み、内蔵機関を焼き尽くしていた。
自己防衛本能が働いたメタノイドは、炎の魔手からの逃亡を試みる。だが結界は彼らを逃さなかった。
赤い地面から、人間の手を模ったケーブルの塊が現れ、メタノイドたちに絡みつく。
メタノイドがどれほど暴れようとも、ケーブルの手は離れない。攻撃アームや熱光線で迎撃しても、新しい手が次々と生え、更に強固に機体を縛りつける。むしろ攻撃すればするほど、炎やケーブルの手の威力は増していった。
炎はメタノイドを焼き、凄まじい高熱で金属の塊へと変えた。
ケーブルの手は機械の身体を引きちぎり、鉄屑になるまで粉砕し尽す。
炎からもケーブルの手からも逃れられたメタノイドは、どこからともなく現れた刃の洗礼を受けた。
人類を滅亡寸前に陥れたニムロッドの機械兵群は、たった一人の人間により、地獄に叩き落された。
(これが、〈呪身鬼〉の力……)
燐は今や顔を隠さず、目の前で起きている惨劇を、真っ向から見据えている。
惨劇の対象が機械なので、周囲に飛び散るのは金属部品であるが、これが血肉を持つ生物であったならば、正視に耐えられない悪夢となっていただろう。
燐は無意識のうちに、自分を抱くようにして、腕を身体に巻きつけていた。
震える。胸の内が熱い。下半身に力が入らず、膝ががくがくと笑っている。
(これは一体、何?)
繰り広げられる壮絶な光景を前にして、燐は混乱していた。
この惨劇そのものに対して、ではない。
自分の内側で暴れている、奇妙な感覚に対して、だ。
メタノイドが、無力な小虫のようにバラバラにされていく様は、どうということもない。戦場ではもっと悲惨な出来事が、日常茶飯事としてあちこちで起きていた。
だから、燐の身の内に湧き上がったこの感覚の原因は、違うところにあるはずなのだ。
(こんな感覚、初めて)
燐は己を抱いたまま、ゆっくりと首を巡らせた。
右斜め前に、〈呪身鬼〉の男が立っている。広げていた腕を下ろし、両手をジーンズのポケットに突っ込んでいた。
阿鼻叫喚の世界と化したこの場で、ただ一人平然としている。
燐に、震えるような不可思議な感覚を抱かせたのは、間違いなくこの男――〈呪身鬼〉だ。
〈呪身鬼〉の能力は、神が与えたもうた贈り物だと言われている。
滅びを目前にした人類に、神が授けた最後の奇跡だと。
そう言われれば聞こえはいいが、実際の彼らの“御業”の根源は、おぞましいものである。
それは“呪い”。
怒り。憎悪。怨恨。悲しみ。
〈呪身鬼〉はそういった“負の感情のエネルギー”を我が身に受け入れ、能力として行使することが出来るのだ。
彼らは周囲の環境を、〈結界〉という異質な領域へ変換させ、敵をそこに引きずり込む。
その領域は〈呪身鬼〉の絶対支配圏であり、引きずり込まれれば、いかなるものでも自力で脱出することが叶わない。〈呪身鬼〉に手を出すことも出来ない。
〈呪身鬼〉は籠に捕らえた虫を弄ぶように、自由に対象をいたぶれるのだ。
異星人であるニムロッドは、科学力に優れてはいたが、呪いという非科学的で精神的な事象への対抗手段を持ち合わせていなかった。
今この地上には、ニムロッドへの怒りや恨みの念が充満している。〈呪身鬼〉にとっては、世界のどこもかしこもエネルギースポットだ。
そして、ニムロッドが人類の呪いから解放されることはない。
故に〈呪身鬼〉は、ニムロッド唯一の脅威なのである。
(これは“呪い”。ニムロッドへの“怒り”や“憎しみ”、“悲しみ”。たくさんの……“感情”)
侵略戦争によって命を落とした人類が、〈呪身鬼〉を通じてその無念を晴らそうとしている。〈呪身鬼〉本人の無念とともに。
なんという強烈な感情だろう。外の惑星からもたらされた異文明のテクノロジーですら、煮え滾る負のエネルギーで飲み込んでしまう。
気がつけば、メタノイドは悉く破壊され、無事なものは一体もなかった。
機械兵の残骸は、ケーブルの手たちによって、赤黒く染まった地面の中に沈められていく。荒れ狂っていた炎は治まり、火の粉があたりを舞っている。
おどろおどろしい様相だった世界は、徐々に元の姿を取り戻していった。燐が数回瞬きを繰り返す間に、あたりは灰色の瓦礫の街に帰っていた。
結界が解除されたのだ。
同時に、燐の胸をざわめかせていた何かも、次第に消えていった。燐は、その何かがなくなってくことに、奇妙な憐惜を抱いた。
(何だろう、この感覚)
ほどよい膨らみのある胸に手をあて、ぼうっと佇んでいると、いきなりその腕を掴まれた。
はっと我に返ると、目と鼻の先に〈呪身鬼〉の男が立っていた。普段なら、やすやすと懐に入り込ませるなどという隙は見せない燐だが、この時ばかりは注意が散漫になっていた。
相手は〈呪身鬼〉といえども、結界を解除した今なら、掴まれた手を払いのけるのは造作もない。呪いを行使していない〈呪身鬼〉は、ただの人間だからだ。
だが燐は、男の手を払わなかった。
男は琥珀色の双眸で、燐を睨みつけている。その目に宿っているのは、メタノイド群体に向けられていたものと同じ。
憎悪だ。
男は、燐の腕を掴む手に、力を込める。燐の柔らかな肌に、男の指が食い込んだ。だが、この程度では、燐は痛みを感じない。
「胸糞悪ィ。人間を虚仮にしやがって」
吐き捨てるような男の言葉に、燐は紅い目を見開いた。
「私が何か、分かるのですか」
初見で人間に見破られたのは、初めてだ。
「俺を誰だと思ってる。テメェらの汚ェやり口は、ほんっと頭くるぜ」
燐の中に、あの感覚が蘇ってくる。男が現れた時のものに似た、厭な感覚だ。
あの時強くはないが、同じ感覚だと分かる。
この男自身の怒りと憎しみが、燐に向けられているのだ。
「人間と同じ姿だ? ふざけんな気持ち悪ィ。油断するとでも思ってんのかよ。なあ、ニムロッド」