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風鈴

作者: Sai

少年と青年。

青年と大人になった少年。


ここには人が病気で亡くなる描写があります。比較的ぼんやりとしか書いてはいませんが、苦手な方は読まないでください。


数年前に書いたものなので本当に文が拙いのですがそこはお許しください!!

『風鈴』


風がそよぐ夏空の下、窓際に飾られた小さな風鈴が、その美しく涼やかな音色を響かせている。

私の友人がくれたお気に入りだ。


なんにもない部屋にその青い花の風鈴はとても映えていた。


ただなにもしないで綺麗な音色に耳を澄ましていれば、ほんの少しだけじとっりとした暑さを忘れることができる。


くらくらするような眩しい日の光が差す窓際で、ただ目を閉じて夏の風物詩に耳を澄ますのが最近の日課だ。


蝉の声なんて珍しくもないが……こんな日にはふと、ある人の事を思い出してしまう。



私の目の見えない古い友人だ。



代わりにとても耳がよくて、いつも庭に繋がっている木の廊下へと私が近付いてくると、足音だけで「よく来たね、翔太。どうしたの?」と声をかけてくれた。


その声の主こそが、当時の私よりも10も年上の優しい青年である七瀬彰太だ。


けれど、まだまだ幼かった幼少期の私にはその人はなぜか異様なほどに奇妙に見えた。


いつも読めもしない本を大事に大事に膝に乗せて、かつて目が見えていた時に読んだという本の話を嬉しそうに言い聞かせてくれた。

難しいものから、易しい本まで、彼は嬉しそうに話す。


彼はもう……大好きな本を読む事ができないというのに。


彼のそんな行動は、幼心にそんな疑問を抱かせるには充分すぎたのだ。


彼のための部屋も、窮屈に感じるほど大きな本棚に囲まれていて。

まだまだ若いはずなのに……まるで御爺さんの様に古い紙の匂いが彼自身にも移ってしまっていた。


浴衣に本に白い猫。


蒼白と言っても差し支えのないくらいに病気的なまでの白い肌は、どこか人間離れしている。


それでも、優しくて暖かみのある落ち着いた声は、彼の人柄を物語っているようだった。



そして、ただはっきり覚えていた事は……離れに一人、彼はいつも『誰かの訪れを心待ちにしていた。』という事だ。



「おや、翔太かな?今日も外に遊びに行かなくてて良いのかい?」


その証拠に、いつも『待ってました』と言わんばかりに私の名を言い当てる。

それはまさに、いとも簡単にという表現が相応しい程だった。


この時は知らなかったのだが、目の見えない彼を気遣って、彼の家族は皆、始めに名前を言うのだとか。


彼の方も私に会いたかったのではないかと期待していた分、本人から聞いた時は「なんだ。」と……それはもうがっかりとしたものだ。


要は、私は彼の待ち人ではなく……ただ気遣いの一つもろくに出来ない子供だと認識されていたのだ。


会いたかったのは、いつも私だけ。

待っていたのは私であって欲しいと、子供心にそう抱いてしまっていたのは……彼があまりに嬉しそうに名前を呼んでくれたからだというのに。


「うん、おはよ。七瀬兄ぃ。」


それからというもの、名前を当てられてもなんだか嬉しくなくて、複雑な気分にさせられていたが……彼が私の名を覚えていてくれる事の方がずっと嬉しい気もして、私は以前と変わらぬ接し方をした。


『ただ一緒にお話がしていたい。』


それ以上は、何も求めていない。

私はただ、隣で座っているだけの、変わらぬ夏を過ごしたかったのだ。


それは彼も同じようで、変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。


そして、いつもの様に彼は私に問い掛ける。



「翔太、今日の空はどんな色?」と。



その訳の解らない問いかけに『空は空色』だとも言い難くて言葉に詰まる。

おまけに、雲がかった暗い空は今にも雨が降りそうだ。

空気も、晴れたそれとは全く違う。

彼の思い描く理想の空とは、あまりに程遠いだろう。


けれど、前に一度『雨が降りそう』とだけ告げると、彼は晴れない空を見つめるかの様に上を向き、寂しそうにしたものだから……私はいつも困らせられた。


だから、私は嘘を呟く。


「小さな……小さな雲ひとつない空だよ。」


という声に、彼は嬉しそうに微笑んでいる。


今はバレようが無いけれど、家の人達が曇りだと伝えてしまったら……彼は一体どんな顔を見せるのだろう。


そう思うと私はそれから何も言えなくなってしまうというのに、口から出た言葉はもう取り消せはしない。


大人は皆嘘はいけないというが、誰かの為につく…小さな嘘くらい、赦されるだろうか?

と、バレないように心の中で呟いた。

今思えば、そんな事を偉そうに言う大人だって平気で嘘をつく。

そうして自分を守っていたりするのだが、幼い私にそんな発想はなかったのだ。


帰省の関係で夏しか会えないその人と……ただ蝉の煩さに耳を傾ける時間が私は大好きだっただけなのだから。



けれど、いつだって終わりは来る。



特に楽しかった訳ではない夏休みだったが、そんな中での一番の安らぎに別れを告げなくてはいけない。


私達一家は、ただ墓参りの為に親戚である七瀬家に泊めさせて頂いていただけなのだから。

そう長居は出来ない。


両親の仕事の関係もあるが、何より無口で、可愛いげのない私は七瀬家の人々にあまりよくは思われない存在だった。

父の教え子である母が、若くして私を生んだ事も彼らには大きな影響を与えたことだろう。

もしかしたら、七瀬兄ぃと読みだけだが、同じ名をした私が『健康体』なのが気に食わなかったのかもしれない。


それでも、ただ一人、七瀬兄ぃ……いや、『七瀬彰太』は違った。


彼にとっては、ただの話し相手に過ぎなかったかもしれないが、それでも私は構わなかった。


彼の寛大な性格や、振舞いに居もしない兄を思い浮かべ、重ねていたのだ。


しかし、相変わらず無口な私はそれを打ち明けることができずに最後の日を迎えてしまった。


本当は何も言わず帰る気でいたのだが、結局寂しくなった私は彼のもとを尋ねることにしたのだ。


離れの奥にある彼の部屋に、両親の目を盗んで向かう。

その途中にある渡り廊下を進んで行くと、彼の部屋まで続く庭に接した廊下にある柱に寄り掛かるようにして寝転んでいる彼を目にした。


いつもいる場所より、少しだけ本館に近い場所で、彼は静かに寝息をたてていたのだ。


「あ……七瀬にぃ…おはよう。」


しかし、彼は私の声に反応してゆっくりと私の方を向いてくれる。


珍しくうたた寝をしていたので声を掛けるか迷ったが、足音に気付かれて起こしてしまったので、私もいつもと同じ様に声を掛けたのだ。


もしかしたら、もう帰ると気付かれてしまったのかもしれない。


「やぁ、おはよう。今日は随分と涼しいね。」


他愛もない挨拶も、夏空に掻き消されて上手く聞こえない。


いつの夏も、森の手前にあるこの家の夏は、蝉が煩わしく鳴いている。


こんな日には外で遊ぶ子供も多いのだろうが、田舎の……それもこんなところに他に家はなく、遊ぶ子供たちの声は聞こえたりしない。


彼の音を消す音は、煩わしい蝉だけ。

勿論、その程度では人の声が完全に掻き消される訳もない。


それなのに聞こえないというのは、彼の声がいつにもまして微かな音しか奏でていないからである。


「そう?僕は暑い。」


そう答えると、彼は悪戯に笑って見せた。


それは今まで見た事もないくらいの大人の笑顔だ。

確かに見た目は10代だが、彼は21歳なのだから、本当は普通なのかもしれない。

けれど、私の知っている彼は弱々しくて、それでも優しい兄のような彼で。


いつも見せてくれる優しいお兄ちゃんの笑顔はそこになかった。


私は何故か見透かされた気分になり、途端に恥ずかしくなって目を伏せた。

心拍が跳ね上がり、自分でも苦しいほどに心音が高鳴る。

顔や耳はもう真っ赤に染まっているのだろう。


私はなにか可笑しな事を言っただろうか?


そんなつもりは全くなかったのだ。


勿論、彼もそんなつもりはなく、ただ単に私に笑い掛けただけなのだろう。

少し雰囲気が違う様に感じただけだ。

そんな事を考えていると、彼は見えもしないというのに、空を見上げる様にしてからゆっくりと口を開いた。



「ははっ……翔太にはまだ夏なんだね。」



と、また訳の解らない言葉を呟かれる。


「だってまだ夏だよ。」

と答えれば、彼は何か言いかけて開いた口を小さくした。


下がる眉に、彼の感情が表れている。

あの時の私はその言葉の意味には気付かずにそう答えたけれど……どこか名残惜しそうな彼の姿にその答えはすぐに解ってしまった。



やはり、気付かれていたのだ。



「翔太……僕の夏はね、君が帰れば終ってしまうんだ。」



まだ蝉がこんなに鳴いているのに、夏が終ってしまうんだ。可笑しいだろう?とまで付け足して。

今にも泣きそうな声で彼は笑う。


そんな彼の寂しそうな表情に胸は締め付けられているような感覚さえした。


彼の言う、『夏が終わる』という理由は何となく理解出来たからかもしれない。


それは私も同じ。



「気付かれてたんだ。」



そう言ってから彼の横に座ると、彼は可笑しそうに「翔太は分かりやすいからね。」と囁いた。


それからすぐに、いつものように「来年も…来てくれるかい?」と、問い掛ける。

子供の『またね』はとても薄情だと知っていた私は、『またね』とは言いたくはなくて、色々な言葉を探していたけれど、良いと思える言葉は中々見つからない。


日本語の難しさというよりも、自分の知識の無さに悲しくなってくる。


代わりに私は、「うん…。」と小さく呟き、頷いた。

勿論、この頷きは目の見えない彼には解らないけれど、それだけ決意を表していたという意味なのだ。



来年も会える保証は何処にもない。



幼い私も、その言葉の意味は理解していた。


というより、見てとれてしまったのだ。



年々、彼が衰弱してきているという事を。



元気そうに見えても、彼はその年齢からはあり得ない程筋肉も衰えていたし、痩せていた。

蒼白と言っても差し支えのない肌もそう。

持病のせいで視力を失ってからはその勢いは増すばかりだったらしい。

私は視力を失ってからしか彼に会ったことは無いので、詳しいことは言えないが。

隣にいたのだから、咳も、呼吸が可笑しいことだって解っていた。


体の弱い彼は来年もここにいてくれるかすら解らないのだ。


こうしてる間にも、彼は苦しそうに咳き込む。


その度に、まるで生きているのがやっとと言うように、細く白い身体が撥ねる。


治まってからも、『これが最後かもしれない。』

と、二人して黙り込んでしまって。

蝉の声だけが離れを包み込んだ。


ただ小さな渡り廊下の縁側に静かに佇む事しか出来なくなってしまったからだ。



二人だけの庭は、互いの名残惜しさを表しているかのように夏を続けている。


(あと……一時間くらい、かな。)


両親はきっと、もう帰る準備をし始めているのだろう。

いつもは離れに音が届くくらいに家の人達が動いているが、今日はその気配がまるでない。


きっと両親の手伝いをしてくれているのだ。


それから暫くして、彼は「時間だね。」と、私に囁いた。


私にはさっぱり聞こえなかったが、きっと彼は私の母の足音を聞いたのだろう。


「うん……七瀬にぃ、来年ね。」



これが……私の古い友人と交わした、最後の会話だった。



翌年、彼の容態は悪化し、入院先でもう回復のみこみは薄いと言われたら彼は、本人たっての要望から自宅で寝たきり生活を送っていた。


勿論、私は彼を尋ねたが、彼は『やぁ、おはよう翔太。』と私の名前を読んではくれなかった。


ただ、目の前に広がる光景は、この和室には些か似つかわしくない物ばかりだ。

健康体の私はドラマでしか見たことがないような機器と、彼に繋がれた幾つもの管や白衣を身に纏うお医者様。

普段はあんなに冷たい伯母様も、堪えきれずに涙を流している。


簡易的な酸素マスクと思われるそれからは、もう彼の呼吸が止まっていて音を感じない。

ピーっと、聞き慣れない音が離れに響き渡れば、それが意味することは子供の私でも解った。


家族と私の横で、彼は静かに……その短い生涯に幕を閉じたのだ。


だが、こんなにも満足そうなその笑みを私は生涯忘れる事はないだろう。


目が見えないくせに、かつて見えていた時に習った平仮名で『ありがとう。たのしかった。』と、彼はあまりに短く、幼い文を残し、この世を去ったのだ。


辛うじて読み取れるその文字に、頬を伝う何かは筋を幾つも作り、指や紙、膝や床を濡らしてゆく。


必死に彼の手を握り続ける伯母様には、いつもの冷たい視線は感じられなかった。

ただ、最愛の息子の死を悲しむ母の姿が、私の心を一層締め付ける。



忘れられるわけがない。



彼は幼い私にとって、大切な人がこの世から居なくなるという身を切るような悲しさや痛み……そして、死への恐怖を植え付けて逝ったのだから。


現に、今も、私は忘れることなく彼を思い浮かべた。


こうも鮮明に。


だから、この風鈴の音色が……あまりに美しくて、彼にも聞かせたくなったのだ。



彼が死んでから……いや、あれからもう42年。



随分と長い年月を経て、私は夏には七瀬家を訪れ無くなってしまった。

無論、墓参りだけは密かにしていたが。


私はいつまでたっても成長しない兄のような彼を思い出すと、先にある死に触れているようで……何となくあの家を遠ざけていたのかもしれない。


彼と違って、私は色々なことを体験して、色々なことを知った。

仕事に就き、最愛の妻と子を授かり……そして何より、彼よりはるかに大人になって年老いた。


けれど、彼の知る『死』はまだ知らないのだ。


早いもので、娘は嫁に行き、孫の顔ももうすぐ拝める。

そしてあと数年もすれば、私は定年。

時代が時代なのだから、定年後に働かなくなるかは解らないが、そろそろその事についても踏み出さなくてはいけないだろう。


もうあの時の何もできない子供ではなくなった私は、有休を利用して墓参りに七瀬家を訪れた。


あの時と何一つ変わらない冷たい扱いも、ただただ懐かしく感じれた。


ここ8年、まともに顔すら出していない親戚がいきなりで押し掛けてきたのだから当たり前か。


そうして彼と過ごした離れにもうひとつ、全く同じお揃いの風鈴を買ってつけたのだ。


青い花が涼しげなそれは、日の光に照らされていてとても綺麗だ。

老眼鏡を通しても、空に負けないほど美しい青が夏を彩った。


不意に風が吹けば、風鈴はその美しい音を奏でた。

やはり、同じ種類とは言っても微妙に音が違うようだ。


だが、それもまた風流で……手入れの行き届いた庭ととても良く合っていた。

まるで、元からこの庭の一部だったかのようにすら感じてしまう程だ。


ふと、空を見上げると、そこには彼の愛した青空がここぞとばかりに広がっていて、その青みを増している。

夏らしく入道雲が一段と白く際立っていたからだろうか。


そして、あの時のまま残された彼の部屋は前よりもずっと埃臭く、本は更に日焼けしていた。

障子も日焼けしていて、茶色い。


ずっと使われていなかった証だ。


布団以外は全てあの時のままだった。


だが、いつも二人だけで話していた縁側は、蝉の煩さと風鈴の美しさに包まれていて……なんだか幼いままの彼が私の横で笑っているような気がした。



『やぁ、おかえり翔太』



聞こえるはずもないその一言が……私の耳に優しく溶けていく。


『ただいま……七瀬兄ぃ。』


この空に似つかわしくない雨は、頬を静かに伝っていった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


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