嘆願
レティスフォント伯爵家に着いて玄関で私を出迎えてくれたのはディヤードおじさまではなかった。
金茶の髪を後ろに撫で付け、きっちりとフロックコートを着込み、万全な戦闘態勢といった体で待ち構えていた従兄弟のチャートリーだった。
わー舞踏会以来だねー、朝から幸先がいいわー。
同じ門前払いでも使用人ではなくチャートリー直々に応対してくれることだけでも感謝すべきか。
顔が引きつりそうなのをなんとか抑えて静々と玄関に入る。
チャートリーは対面早々挨拶もせず憎々しげに言い放った。
「分家に泣きつこうと思ってもさせないぞ、父はお前に会わない。他を当たれ」
そういや父のことだからディヤードおじさまのところは既に来訪済みだろうな。
ここは愚直に勝負だ。
「チャートリー様、おはようございます。父が何か迷惑をおかけしたのでしたら謝ります。私はディヤードおじさまに相談したいことがあってまいりました」
「相談?」
チャートリーが口をゆがめて笑う。
「泣きつくのとどう違う。お得意の命令も恫喝も、もう聞く人間などいないぞ?」
「命令も恫喝もしません。おじさまに報告して判断していただきたいことがあるのです」
「知るか」
重ねて言われる。
「本家が取り潰されようが知ったことか。こっちは火の粉が降りかからないよう精いっぱいなんだよ」
「その『火の粉』がかかりそうなので相談に来た次第です」
お、少しは当惑したか。
「…父がお前にかける時間が惜しい。この俺が話を聞いてやる」
うーむチャートリーの壁をなんとか超えないと。
チャートリーとエディエンヌは既に犬猿の仲だから機嫌を取り結ぼうとしても仕方がない。私は精一杯嫣然と笑って言い放つ。
「私はレティスフォント伯爵に判断していただきたいのです。『チャーリー』では話になりませんわ」
「なんだと!!」
チャートリーが顔を赤くして声を荒げた。チャーリー相変わらず沸点低いなーちょっと挑発しすぎたか。
「化けの皮が剥がれたか、エディエンヌ嬢!貴様に割いてやる時間なぞ俺にもない、帰れ!!」
「待ちなさい」
静かだがしっかり通る声が聞こえてチャーリーは途端に黙り込み振り返った。
広間の階段から下りてきた温和そうな男性がディヤード・レティスフォント、私のおじさまだ。
チャーリーと違ってすぐ怒ることはなく、いつも穏やかにしている。
…だからこそ我が家の父に散々振り回されて貧乏くじを引かされ、結果チャーリーは本家に対してさらに沸点が低くなるという悪循環。
ごめんよチャーリー。
「チャーリー、女性に対してそのように大声を上げるものではないよ」
「……」
「エディー、久しぶりだね。大変なことになったのに力になれず済まないね」
「いいえおじさま、こちらこそご迷惑をおかけしてすいません」
「ああとにかくお客様をずっと玄関に立たせるわけにはいかない。チャーリー、エディーを応接間に通してあげなさい」
「…はい」
チャーリーは不承不承先頭に立ち私を応接室に案内する。
「ありがとうチャーリー、でもごめんなさい、席を外していただけませんか?」
「…聞かれてまずいことでも話すのか?それとも父を丸め込もうとしているのか?」
毛を逆立てた猫のごとく警戒されているが、こちらも引き下がるわけにはいかない。
「おじさまに即断を求める話ではないわ。私が帰った後にあなたたちで相談しても構わないから。でも今はお願い。あなたがいると話が進まなくなるの」
チャーリーの顔がまた赤くなったがディヤードおじさまがたしなめる。
「下がりなさい。お前は今頭に血が上っている。あとでエディーの話は伝えるから」
チャーリーは顔を赤くしたまま応接室のドアに向かって歩いたが、部屋を出る直前に唸るように呟いた。
「女狐が…うまいことやったな」
「チャーリー!」
ディヤードおじさまが声を少し大きくしたがチャーリーは振り向かずに乱暴に扉を閉めた。
「エディー、すまない。チャーリーはここ最近レティスフォント家の件になると特に機嫌が悪くなるんだ。それで君にそんな口を利いていいというわけでもないのだが…あとでよく言っておくよ」
「いいえ、おじさま。チャートリーが怒って当然ですわ。ほんとうに迷惑をかけていると自覚しています」
本当にごめんなさいチャーリー。泣きつきではないと言ったけど、実際は頼みごと、ディヤードおじさまに尻拭いの手伝いをお願いするの。
また怒らせてしまうだろうけど、これで最後にするから。
・・・・・・・・・・・・
その夜、レティスフォント伯爵家の書斎にて。
「もう侯爵家の要求をこれ以上飲む必要はないだろう!!」
チャートリーは再び声を荒げる。
「落ち着きなさい。チャーリー、おそらくこれが最後だ」
「最後、最後って、最後の訳あるか!!爵位はく奪されたところであいつらが一人でも生きている限り、亡霊のように憑りついてきて俺たち伯爵家が持っているものを全部吸い取ろうとするんだよ!!」
「チャーリー、それがないようにとのエディーの提案だ」
「父上はあの腐れ女を信じるのですか!?」
「言葉が悪いぞ、チャーリー、慎みなさい」
息子を嗜める言葉にチャートリーはいら立ちを募らせる。
「父上はあの女の醜悪さを知らないからそう言えるんだ!俺はこの目で見てきたんだぞ、あいつが学園で行ってきた悪行を!!」
「そして報いを受けた。チャーリー、今エディーはその報いを逃げることなく受け入れようとしているんだ」
受け入れる?あの女が?チャートリーは心の中で嘲笑しながら言葉を続けた。
「ならあの女が全部引き受けるべきでしょう?なぜまたウチが尻を拭わなければいけないんですか?」
「ウチに迷惑がかかりそうだから連絡してきたのだ。チャーリー、今レティスフォント侯爵家の借金が増えて本家だけで返していけなければ、取立人は事情など構わずこちらにも来るぞ?」
「…っ」
「エディーはレティスフォントの債務や財産のおおまかな帳簿を持ってきて説明してくれた。今なら借金を全部返済できる目処がついているんだ。本家に赴けばすでに詳しい目録も準備しているそうだ。こんな短期間でよくまとめたと思うよ」
それを聞いてチャートリーはふんっと鼻を鳴らした。
「あの馬鹿女にそんな才覚があるとは思えない。誰かに吹き込まれたんじゃないのか?」
「…これでも当主として商人とのやり取りをしている身だ。エディーのあれは玄人というほど洗練された帳簿ではない。おそらく本人が一生懸命つけたものだろう。それとも私の見る目を疑うかね?」
「…いえ」
不服そうに否定した息子を見てレティスフォント伯爵はため息を一つついた。
「エディーはよくやっている。一人であれば或いは債務の整理もやり遂げれるかもしれない。だが兄上と義姉上は…あのお二人の分までエディーは背負い込む力はない」
チャートリーは皮肉気に笑う。
「それで結局泣きついてきたじゃないですか。侯爵とどう違う?」
「兄上の頼みごとは延命だ。エディーの頼みごとは、いうなれば最後の断罪だ」
「断罪?」
「兄上も義姉上も王都の土を踏むことは二度とないだろう。おそらくすべて終わったあと、エディーも」
何か言おうとしたがチャートリーは言葉が続かなかった。
レティスフォント伯爵はふと心配げな表情をチャートリーに向けた。
「チャーリー、気が進まないだろうが、少しエディーを見ていてくれないか。私もできるだけ目を離さないようにするから」
「父上?」
「どうにも心配だ。あの子は、まるで生き急いでいるように見える」
あいつはそんなタマじゃない―――出かかった品の悪い言葉を呑み込むと、
なぜか舞踏会で頭を下げるエディエンヌが目に浮かんだ。
輝く金の髪に真紅の衣装。薔薇のように華麗で、どこか凄惨な姿を。
「これにて悪役は退場とさせていただきます」
チャートリーは脳内にこびりつきそうな台詞を払うように頭を強く振った。