過去の夢
前回の時計の夢と同じくお題企画第二弾でございます
シトシトと降り続いている雨。
この世界はいつも雨模様。 陰鬱な気持ちになる人間達は傘をさし足早に目的地へと急いだ。
帰る場所もない奴らは雨に濡れながら呆然としたり、廃屋の陰に隠れ冷たさから逃げるように身を寄せ合ったりしていた。
――くだらない世界。
俺は昔からこの世界で生きている。 どんよりとした曇り空の下。 ただ生きていくために必死で。
周りを見ることもせず、ただのし上がることだけを考えてた。
髪から雫が流れ落ちる。 結構な時間雨に濡れていたのだろうと察しがつく。
ここは貧しい奴らの区画。 ちゃんと建っている建物なんかありはしない。 荒廃し、崩れ落ちたコンクリート。
元々はそこそこ栄えていたのであろう地面があまり見えない程瓦礫が積み上がっている。
少し離れている豊かな区画。 そこから漏れ出す光を頼りに俺達は生きている。 薄暗いゴミ溜めで。
運がいい奴も少しは居る。 酔狂な夫婦に拾われたり、あとは何も感じずに静かに息絶える奴。
ここでは生きてるより死んでる方がマシだ。 それを許さないのはきっと人間の本能からなのだろう。
俺は運がいい方ではないと思うが、悪い方でもない。
物心ついた時から俺は、人を騙し陥れる事ができた。 まぁ、何も出来ずにただ静かに近づいてくる死の恐怖に慄く事もなく生きられていたという点ではいい方なのかもしれない。
雨には慣れたが俺の飼い主は濡れ鼠を嫌う。 帰りたくもない帰る場所に行くにはびっしょりと濡れた服と体をどうにかしなくてはいけない。
溝の中に住みながら綺麗好きとはなんとも滑稽だ。 笑えてくる。
だが、そんなアホらしい奴に縋っていなければ俺は生きていけない。
貧しい区画を抜け光溢れる豊かな区画に入る。 一応俺の格好はそこではあまり悪目立ちはしない。 その点で言えばアホらしい飼い主のおかげとも言える。 感謝はしないけれど。
直感で平和ボケしてそうな家を探しその戸口をノックする。
これで誰も出てこなければ俺の直感は外れたということになるが……
「はーい?」
直感を馬鹿にしている奴、やめておいた方がいい。 直感は言うならば本能だと思う。 だから本能の赴くままに行動すればなんとかなる。 それが俺の持論だ。
「すいません、傘を忘れてしまって……しばらく雨宿りをさせて貰えないでしょうか」
出来るだけ人が良さそうに笑みを浮かべていうと女は戸口の鍵を開けて招き入れた。
「そういう事なら勿論いいわよ」
女は濡れ鼠の俺を家に招いた。 その服からも滴り落ちる雫を見て直ぐ様シャワーを使って来いとも言って。
なんともまぁ、気前がいいのだろう。 これが友人ならばわかる。 だがしかし俺と女は初対面。 危機感がないのにも程がある。
頭を下げながら一瞬笑みを浮かべ言葉に甘え案内されるがままにシャワー室へと向かう。
暖かいシャワーを浴びながら俺はこれからどんな奴になろうか考えていた。
若くも年取ってるとも言えない女。 危機感がない割になにか刺激を求めているのなら話は簡単だ。
だが、そうも行かないだろう。 ただのお人好しの女なのか、それとも馬鹿な女なのか。
人を騙すのも楽じゃない。 相手の望む人物像に近づけば近づくほど有利なのは間違いないが。 それを見極めるのは中々大変だ。
短時間で相手の性格求めるものを見定めそれに合わせる。
「分かりやすい人間だけならいいのに」
呟いた言葉はシャワーの音で掻き消された。 俺はそんな言葉を言ったことに自嘲の念が浮かび上がり笑ってシャワーを止めてシャワー室を出ると脱衣所にバスタオルと適当な服が置いてあった。
ゴウンゴウンと横で俺の服が回る洗濯機。 遠くから出した服に着て頂戴~! と声が聞こえてバスタオルで適当に水気を拭い服を着る。
男にしては華奢な俺だが仮にも男。 女物ではないその服は少し俺にはでかかった。
リビングへと向かうと女がにこやかに笑ってダイニングキッチンに立っていた。
「適当に座っちゃって。 お茶出すから」
「あ、いえ。 お構いなく……。 服まで用意してもらって悪いですし」
「私がしたいんだからいいのよ。 お礼ということで服が乾くまで私に付き合いなさい。 少年」
にこやかに笑う女に俺は首を振ると女はウィンクで返してきた。
「じ、じゃあ、お言葉に甘えて」
ダイニングの椅子に座るのは忍びなかったので俺はソファに軽く腰掛けた。
二つのマグカップとクッキーの入ったお皿をお盆の上に乗せてソファの前のテーブルまで来る女にリラックスしてよと笑われたがこれが俺にとっての普通だったために困惑する。
いや、女からの悪意のない優しさが怖かった。 慣れていなかった。
女はマオと言った。 本名なのかどうかは分からない。 だがコロコロと変わるマオの顔を見てて俺は初めて自然と笑みがこぼれていた。
楽しい時間だった。 恐怖、不安、疑念。 それらがない会話。 初めての事だった。
まだ自分にこんな子供じみた感情があったのかと不思議に思った。
「マオはなんで男の服を持っているの?」
俺がそう問いかけたらマオの顔から笑みがなくなった。 まずいと思った。 だが彼女はすぐに笑って恋人のよと言った。
「何年ももう帰ってこないんだけどね。 友達からは死んだとか、他の女の所とか、言われてたわ」
「でも、それだったとしても捨てられないのよね。 あの人の私物」
マグカップの淵を指先でなぞりながらマオは苦笑いを浮かべる。
なんでこの人がこんな顔をしなくてはいけないんだ。
俺はとっさに思ったがすぐに消した。
マオは俺とは違う。 違いすぎる。 マオの姿が、表情が、全てが、眩しかった。
それきり俺達は言葉を発さなかった。 洗濯機が止まる音がすると俺は着替えて足早にマオの家を出た。
嗅ぎ慣れない優しい洗剤の匂い。 シャンプーの匂いが自分にまとっている事を失念していた。
「このドブ猫」
飼い主の元に帰るとすぐさまその匂いに気付かれ暴力を受ける。
それでも俺は後悔はなかった。 自分の血の匂いが染み付いていく。
あぁ、これが俺の世界。 同じ世界にいるのにマオと俺とでは全く違う。 光溢れる世界にあの人はいた。 闇が支配する世界に俺はいる。
それを自覚した。 関わってはいけなかった。 心地よさを覚えてしまった。 それがとても辛かった。
知らなければ耐えられた。 知らなければ。 だが知って耐えられる。 知ったからこそ耐えられる。
今度君の家に遊びに行ったら君はどんな顔をしてくれるかな。 笑ってくれる? 驚いてくれる? それとも拒否する?
頭の中に今まで感じたことのない恐怖が渦巻く。
希望を抱いてしまったが故の恐怖。 絶望を感じたくないという恐怖。
俺はこんなにも弱かったのか。 こんな恐怖で体を震わせる程。
笑ってしまう。 これでは、あの瓦礫の山で身を寄せ合い震える奴らと何ら変わりないじゃないか。
あいつらは死の恐怖。 俺は絶望の恐怖。 生まれて初めて俺は運がいいんだなと思った。
それも全て君がいたから、君が笑いかけてくれたからだ。
「よぉ、月華。 今日はお前に客が来てるぜ」
ニタニタと下卑た笑いを浮かべる俺の飼い主。 ここ最近牢の中で食事を運ばれる時、暴力を受ける時以外開かれなかった扉が開いた。
暗闇に慣らされた俺の目では廊下は眩しくて目を細めているとドシャッと俺の目の前に何かが倒れ込んだ。
「マ……オ?」
「少……年」
直ぐに分かった。 マオだと。 だが、薄暗がりで見えたマオは前とは全然違った。
殴られたのだろう、青黒く腫れ上がった頬。 口の端からは血が流れた後。 着ている服は破られそこから見える素肌は血に塗れ汚れていた。
「よかった……。 無事だったんだね」
マオは俺を見て笑った。 喋るだけでも痛いはずなのに。 なんで笑うの?
「感動の再会ってか?」
ギャハハと笑う醜い男共の声は俺にはもう聞こえていなかった。
「マオ、何で。 何で」
「何で? お前が気に入ったからだよ」
飼い主はそういうとマオの首を切り離した。
ホースから勢いよく飛び出す水のように赤い命の水が俺に降りかかった。
「いいか、月華。 お前の飼い主は俺だ。 俺以外に懐柔なんてされるんじゃねぇぞ。 テメェが心を開いた奴らは……」
音が途切れた。 髪を鷲掴みにされ上を向かされ何かを言われている。
反応を示さない俺に怒り男が俺の頬を殴る。 痛みは感じない。
俺の頭の中はマオでいっぱいだった。 あぁ、何で。 俺はマオを気に入ってしまったんだ。
俺はこんなに不器用だったのか。 こんな薄汚い男達を騙せずに。 何が詐欺師だ。
俺は誰も騙せない。 俺はただの役立たずだ。 殴られれながら俺はもう二度とマオのような人を作らないと誓った。
それから数日経っていつも通りカモを見つける目的で外に出ると珍しいぐらいの土砂降りだった。
遠くの空に青い色が見えた。 胸が何故か痛んだが俺は見なかった事にしてドブのような街へと足を向ける。
「なんだったんだ。 今の夢」
《牢獄図書館》で眠りこけていた俺の頬には一筋の涙があった。
何故かとても悲しくなったが、過去など俺は知らない。 知らなくていい。
忘れる事など、覚えているに値しないと自分の中で強く思い、キリキリと苦しそうに嘆く心臓を無視した。
さて、今日も今日とて見廻りという面倒なそして唯一の仕事をこなしていくか。
=過去の夢 完=
お題:雨宿り
お借りしたお題配布サイト様:http://99.jpn.org/ag/
今回は月華の過去を書いてみました。
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