第零打目:落伍者の言い訳(プロローグ:起点編)
ああだこうだと悩む前に体が動く。
偉そうな文句を垂らされる前にコンクリートに悪は沈んだ。
あの時の俺はヒーロー。悪は挫いて弱者は救わない、カッコ付けたヒーローモドキ。
俺の行く先々には血と争い、倒れたヤツラが死屍累々。
死して屍拾う者は無く、救いよりも復讐報復。
けれどヒーローは負けはしない。
どんなヤツラも必殺滅殺負けはしない。
そんな風に本気で思えたのは二年ちょっと前まで。
巻き添えにしたニ、三人の男と一緒にノびていた俺の目に微かに写った赤い光。
どんなヤツラにも負けなかった筈のヒーローモドキは、まず数の暴力の前に倒れ、公権力の偉大さを前に自らの愚かさを思い知る。
ただでさえ多かった俺を厭う視線は増え、僅かに残った居場所は死んだ。
あの頃の俺は、本気で自分が「世界をブン殴っている」と信じていた。
あの頃から俺は、自分如きでは「世界などブン殴れない」と信じている。
未だ残る、一欠片のヒーローモドキの残骸を胸に抱きながら。
「葛原ってさ、空手やってるって聞いたんだけどマジ?」
未だにこんな質問を受ける辺り、昔の俺はそれなりに有名人だったのだと実感する。
そしてそれは否応無しに当時のヤンチャ坊主を思い出してしまうので良い事ではない。
「やってるじゃなくて、やってた、だけどな」
こんな返答をするのも何度目だったか。
最初から数えてもいないが、目の前に「葛原成一生涯発言リスト」など見せられても数え直すのが億劫になる程度には同じ言葉を返した。それだけは感じている。
「強いの?」
誰が、という主語が抜けているのにも慣れた。
まぁ素人が格闘技をやってる奴に対して質問する場合、高確率でこんな言葉が出てくるのだとは思う。
「素人よりは」
「ふ〜ん」
それきり興味を失くしたのか、頭を鮮やかな茶色に染めた、あまり頭が良さそうには見えない同級生は目の前から去っていった。少しだけ彼を目で追ったが、教室の入り口近くで溜まっていた友人らしき集団に対し何かを報告している。その時点で興味が失せた。
孤独と言えるほど独りでいるわけでもないし、孤独を愛せるほど捻くれた生き方はしていない。
けれどたまに自分以外の全ての人間の存在が煩わしくなる。
過去を成したのは自分だが、今ではその自分を呪いたくなる。
異物は異物だけの世界で生きられれば良い――そうやってどうにもならぬことを考えて妄想に浸るのも、何時も通りだった。
そんな日は例外なく機嫌が悪くなる。
二年前を境にあまり足を踏み入れなくなったゲームセンターへと足を向け、溜まった鬱憤の何もかもを吐き出してしまいたくなる。それが解決手段ではなく逃避であることも忘れたいから。
下手糞な攻撃を弾かれいなされて、逆に芸術的過ぎて気持ち悪い連撃で大の字にノびる。
本物の殴り合いは得意だが架空の殴り合いが苦手なのは変わっていない。
置いてあるゲームと配置が変わった。それ以外は全てが二年前と同じで、逆に鬱憤が溜まる。
7回返り討ちにあってから店から出た。
忘れたい。忘れたい忘れたい忘れたい忘れたい忘れたい忘れたい。
忘れることができないのは、それだけ怠惰な生活を送っているかに他ならない。
そのことも分かっているのに、いざという時に言い訳ばかりが頭の中に浮かんで、結局変えることが出来ない…典型的な負け組の考え方。
退屈なこの日常が吹き飛んでくれれば、壊れてくれれば良い。
都合の良い考え。自分の都合しかない考え。
そうやって変革を望みながら変革を起こせない負け犬の姿を確認してから家に帰って、それでまた朝が来て、大筋が同じ毎日を繰り返す。
その時、自分の胸に残っていたヒーローモドキの欠片が疼いた気がした。
気が付けば左手に裏路地があった。
ぼんやりと光っていた。
気になった。
足を踏み入れた。
扉があった。
抽象的な表現じゃなくて、文字通り扉があった。
ぼんやりと、妖しく光る扉が。
切っ掛けさえあれば自分を取り囲む世界は結構簡単に壊れてくれる。
こんなことに気が付いてしまうのは相当に幸せな馬鹿か、とことん不幸な人生の落伍者だけ。
俺は、きっと――