眼鏡論
すべての眼鏡愛好家に捧ぐ。
「眼鏡論」
「――いつのことかしら、僕がある特徴のある女性にしか愛情を向けることができなくなったのは。――君にはどんな特徴だかわかるかな。僕はね、眼鏡の女しか愛せないんだ、ほんと、参るくらいにね・・・。どうだい、君は眼鏡をかけた女は好きかい?ほら、ちょうどあの子みたいな。」
そういう風に切り出して、Yはその女性を指さすのは躊躇したようだが、あからさまににやけた目線を向けた。だけども、これは私からみて「あからさま」なのであって、当人はちょうど、なにも気にかけている様子はみられないようだ。
「うん、どうだろうかね。」私は、彼がほとんどいつもと同じように、たわいもなく、つまらない話を始めているのを察した。けれどもすぐに、彼の目線の先の女性の方をちらりと見て、こう答えてやった。
窓の外では、肌寒そうな昼間の秋風でも吹いているようで、痩せた木の葉が、小さく揺れている。どうにも、外の木の葉は痩せすぎている。夏のギラギラした太陽は秋になればもう暗くて濁ったイミテーションの宝石みたいになってしまって、空気も無機質になって、死んだふりをしているような顔をしている。秋は、寂しいものだ。痩せた彼らにはもう、よき盟友が一人もいないのだ。「かわいそうに、木の葉たちよ、どうか、ご無事で。たとえ地に堕ちたとしても、人なんかに踏まれることなかれ。」つまらないことを考えながら、私は何故だか可笑しくなって、苦笑した。
「どうやら今日は雨が降りそうだ。」
「僕はいいと思うけどな、あの子。ああいうはっきりしない顔立ちが僕のタイプなんだよ。 そうだ、本当にあの子みたいな女の子が好きだ。」彼には、私の心のうちなど微塵も理解できるはずがないわけで、何の変化もみられない語調で続けた。
「へえ、意外だね。君は眼鏡をかけた女が好きなのか。」だるい気持ちで、しかし、それを面にはきちんと隠しながら、答えた。
「おい、ついさっき言ったことじゃないか。 僕はね。 生まれからずっとと言っても大袈裟ではないくらい、本当に、眼鏡をかけた女しか愛せないんだよ。」彼はやけに堂々と、自慢げに、それでいて私に少し呆れた顔を示し、それからすぐに不細工なサルの表情をうかべて半笑いした。まるで、何の愛嬌もない宇宙人の塗り絵に、少し黒ずんだ薄茶色のペンキを、無茶苦茶に塗りじゃくったような、色と表情である。これが視界に入ればたちまちどんな善人でも、不快を覚えずにはいられないだろう。もしも、少しの不快すら覚えないという人があるならば、その人は、偽善者であるか、恐らくは彼の近親であるに違いない。そういう具合の表情であった。
「いけない。 本当に気に障る。 この滑稽なサル顔が気に障るのだ。」
「むむむ」
嫌気の塊のサル顔や、街中で見かけた作業服姿の若者の、黄色と黒がまじりきらない、くすんだ髪の毛。或いは、「はて、私が何か悪いのでしょうか?」と問いかけねばいけなくなるような、不安感を覚えさせる、まるで無価値の化石のような中年女性の目玉。
私には、こういう具合のものを見たその場所で、自ずとそう唸る他に方法がないのだ。そのうえ、その表情は何一つ不平を面にしないで、もはや、ほとんど微笑の様子さえみられるというくらいである。私は人が怖いのだ。
「人」、たとえサル顔でも、化石のような目をしていようとも、彼らも「人」である。本当のサルならどうでもよいが、人に、彼に、私の不平に感づかれては、到底困るのである。人は怖い生き物だ。人という生き物は心を持っている。私の不平を察してから、何時なんどき、私に襲い掛かるようなことがあるかもしれないのだ。とかく、人は恐ろしい生き物なのだ。
私は、彼と出会ってほとんど二年が過ぎ、いよいよ彼の理解しづらい、恐らく、私のそれと合致しないだろうという性格を、自分勝手に、おおまかに、理解しているつもりであったが、どうやらこのいやらしい表情には耐性ができないらしい。それも大袈裟に言うと、「私、恥ずかしながら、精神面において達者とはいえない人間であります。」と何回でも宣誓できるくらいに、精神がもろい(本当かどうか、はたして疑わしいのですが)私にとって、今日は不安定な日であるから、こんな表情は、一層こたえるのである。
一方、外ではその陰鬱な気持ちに、加担してか、ほとんど悪意にも似た小雨が降りだしたようだ。
「まずいな、私は傘を持ってない。」
私は、さっき書いた風に、精神がもろい。しかしながら、決して、無智ではない。(ここは敢えて断言しよう)こういう「イライラ」するようなことに、反することをせず、心の奥に塞ぎ込むのが良策であるということを知っている。いや、良策ではない、この愚策のみ知るというべきであろうか。我ながら哀れである。
精神学者、どこそこ駅の駅員、いや隣家のご夫人でもきっと、「ストレスを溜め込むのはよしなさい、どうにもよくはない、よしなさい。」という具合に、私に忠告をくれるだろう。しかし、それは、私にとって、無駄な勧告なので、どうかよしてもらいたい。たとえどんなに手ごわいストレスに遭遇しようとも、私は、なんら平然を装い、「イライラ」を腹で飼馴らしながら、しかし、それに餌は与えることを決してせず(ここが重要だ)、ただ、会話を進めたり、作業を続けるなどをするだけだ。
「二人間の会話中での沈黙」、少なくとも直接的人間関係の中で、これほどまでの恐怖を、私は他に知らないつもりでいる。
「ああ、本当に日本民族というものはこの『二人間における沈黙』を嫌うものである。」
実は、これは誠に勝手な私の自説であり、これが世間に広く認知されている日本民族の特性に含まれているのか、はたして私は知らず、或いは私が、全世界における、日本民族の他、全ての民族の特性を研究したわけでもなく、本当に勝手な、私自身の想像の中で生れた説なのである。
しかし、私もその日本民族の一人なのであることは確かだ。(私は本当に日本人であると、これも勝手に思っているだけです。)こういう「二人間の沈黙」を大層忌み嫌う、一日本民族の私が、今ここにいるという点において、日本民族の中でも非常に稀有で、本当につまらない特性としてでもいいから、この自説を、根絶やしに否定するのはよしてもらいたい。私は、この自説を本当に信じているのだ。
その「二人間の沈黙」を、ただただ回避するべく、私は自分以外の人物に譲歩をし、「中の上」くらいの、とっておきのうすら笑顔を、本当に上手に使うのである。(上手とあるが、健康な人間、慣れればいくらでもこれくらいの笑顔を作ることは可能であろう)それから、町工場で、使い古した、真鍮の型に、ほとんど無抵抗にはまってできたような言葉を、生真面目に、かつ丁寧に相手に返上するのである。
「そうだったのかい。では、君は眼鏡の女にどんな魅力を感じるというわけだ。」てんで眼鏡なんかに興味のない私はこう言った。
「あっぱれ、まるで在日外国人労働者が受ける、上級日本語試験の口頭部門の模範解答という感じだな。これで、もうしばらく、サル顔との会話を続けることができる。」これを、自惚れ屋の自己満足であると、人は言うかもしれない。どうぞ好きに言えばいい。ただ、私はなんとしてでも、あの忌々しい「二人間の沈黙」だけを回避したいのである。
「そうだね、魅力というのはね、フランクに言えば、眼鏡そのものなんだが。 しかし君、これが特別なものがあって、僕の場合はね、とりわけ度がきつい眼鏡をかけた女性が好きなんだな。」やはり、彼は例のサル顔でこう言った。
「なるほど。」私は、こういう風にでも言うべきかもしれないし、人は別にこの答えが間違っているとは恐らく思わないだろう。しかし、こんな安易に選択した日本語では、日常会話が続く可能性が、極めて、低くなるのだ。自滅だけはなんとか、防がなければならない。何度でも言おう、沈黙は私にとって、ほとんど地獄であるのだ。
「ちょうどあんな感じかな。」こういう時は、ごく普通の疑問文を持って来るのが、絶対だ。そこで、私は失礼ながら、顎で、大きな講義部屋の後ろの入り口から入ってきた女性を、ちょっと指した。今さらながら、ここは、大学の、大きな講義部屋である。すると、彼はその方向へ、首をくるりと、今度は誰がどう見ても、「あからさま」に向けた。
「嗚呼、この人、名前も知らない赤の他人に、罪なサル顔を、向けていますぜ。嗚呼、卑猥なこと、あらゃしない。」とでも、モラル世界を代表して、叫ぶかのごとく言ってやりたい、そういう、まるでウソの正義感みたいなものが込み上げた。しかし私は、それを、慣れた手つきで、ぎゅっと、しかし丁寧に抑えたわけである。なんのこれしき、これくらい。私は慣れているのだ。
外の様子は、相変らずの雨である。雨風がすこし強くなってきたくらいだ。
「雨は、嫌だ。きっと雨なんか、鬱の素なんだ。」
「慣れた手つきで、丁寧に抑えた」と、確かにほんのついさっき、私は言った。私はそう言い切りたい。だけども、これは真っ赤な、もう赤すぎる嘘なのです。すみません、ここは正直者になります。私は、ほとんど、その直後の彼の言動を、果てには私自身の言動すら記憶していないのだ。実は記憶していたかもしれないけれど、脳がひとりでに削除したのかもしれない。ただ、ほとんどかすかな記憶、いやこれが記憶なのかすら怪しいものをたどると、どうやら、私の会話能力の砦が、ひとつ陥落したようだった。
だけども、なんとか会話が成立っていた。
「ふふ、君にはわからないかな。」彼は、いやらしいにやけ顔で、板ガムを、ひとつ手に取り、私に渡してこう言った。このあたりからまた、私の記憶にある。
「つまり、どういうことさ。」私は、今度は少し興味を持つふりをしながら彼に尋ねた。(これが、つまらない板ガムの、つまらない効果である)
「君の指した女さ、あれは残念、僕のタイプじゃあないな。例えば、君によくわかるように、端的に説明してやると、なんだろうね、同じ眼鏡でも、その人に似合う眼鏡って言うのがあってね、あの子を例えにすると、あの子の小さい顔に、あのセルフレームは大きすぎるんだな。まあ、彼女は眼鏡自体が似合わないと、研究家は、思うがね。」本当に得意そうに彼はこう言った。
「いつの間にか、サルから研究家に立派に出世してやがる。」しかし、それでもやはり、彼がまだサル顔であったこと、それがいよいよ耐えかねる程、憎悪の塊みたいに私に写ったことに違いはない。
「さすがに天下のサル、いや、眼鏡研究家! 言う事が一味も二味も違うね。」など冗談まじりに言えるならば、さっきの日本語試験でも、満点なのであろうが、いよいよ言葉の生産が追いつかない程の、劣勢にいる私には、それがそう簡単に言えるわけがない。その余裕と、洗練された技術、十分な経験が、私にはないのだ。
しかし、問題は「彼の主張が間違っているのだ」とか、そういう部分に生じる事では決してない。そう、ただ、彼の姿、いや、その顔の持つ「吐き気」免許皆伝のような表情が、実にいけないのだ。この野郎を見た私の脳では、それを目で捉えて、それからまともに解析することが、はたして、できないのである。
すると、さっき無理に抑えつけた、「イライラ」の奴らが、割れるような音の笛を鳴らして、歴戦の勇者ともいうべき風貌の、仲間を呼んだ。そいつらは、素手の私に対して、まぎれもない、立派な銃を持って構えていた。
「イライラに負けてはいけない!沈黙は敵だ!至急言葉を生産せよ!」スローガンはこれに違いない。私は独りで、必死に戦った。無論、「孤独がうんぬん」なぞ考える暇は、もはやなかった。挙句の果ては、こんなに「二人間の沈黙」を恐れている私が、或いは、今度はそれに縋ろうかとさえ思ったくらいに、戦局はほとんどもう敗北の見えかけた劣勢であった。私の沈黙に対する恐怖とは、かくもまあ、たいした事もないのだろうか。これこそ、過去の二つの世界大戦における、イタリア的感覚。
しかし、そんなことなど天は全くに御存じないようである。窓ガラスは小刻みに揺れて、雨はほとんど土砂降りである。
「雨雨ふれふれ、母さんは..........。」
「なるほど。」
それでも私は、彼の気持ちを損ねないように必死に言葉を引き出して、いや、反射的に、奇跡的に、こう言ったのだ。私は幸運にも、結局、「沈黙」という原爆を使って、過去の大惨事のようなことを招くことがなかったのだ。ほとんど負け戦だったというのに、なんとか無条件降伏することなく、まだ講和の余地がありそうなのである。
「私は万人から賛辞されるべき英雄だ。」と、大勢の国民の前で言いたいくらいであるが、やはり私は、最初からずっと「孤独」に違いなかった。哀れである。「孤独はきっと人を強くする。孤独は試練なんだ」もはやこうでも思うしかない。
「今、何時かな。」そう言うと彼はガムを噛み始めた。どうやら、眼鏡論の講義はもう、お開きらしい。
「いよいよ講和文書にサインする事ができるのか。」私は切に期待した。
「ああ、もう・・・」こう私は言うと、講義開始のチャイムが鳴った。意外である。早すぎたチャイムだった。
「ついに時が来た。講和の時間だ。」この救済の音楽に、私は麻痺したかのように、踊った。すぐ先の講和を目の前に、彼の顔はもうサル顔ではなく、親交軽薄で、あまり好ましくない、ただの友人の顔である。目も、脳も、なにもかもが、本当に麻痺しているようだ。私の内面は、今すぐにでも倒れそうで、それでも倒れない、幼児の積み木の如く、がたがたと、微動をみせていた。早く、落ち着きが欲しい。
しばらくして、いや、もうすぐに、チャイムが鳴り終わった。「休戦だ。」私は、現実ではたった二十分たらずの会話であったというのに、まるで、数十年にも及んだ拘束から解放されたような気分で、ほっと、心からの息をついた。微動が直った。私は、恐らく世界中にいる、私のような小さな人物にのみ理解できるであろう、本当に妙な達成感に満足した。私は、絶対に独りではない。世界中、私のものと一致する、哀れな同志が、必ずいると信じているのだ。
「しかし、まあこの講義はつまんないよね。」私はさっきまでの調子が嘘だったかのように、軽々と彼に向かって言った。私の回復能力はやけに高いのである。
「だけどね、僕は眼鏡をかけている男は大嫌いなんだ。」
にやついたサル顔の黒い瞳に、眼鏡をかけた学生が一人よく澄んで映ったのを、私は確かに見た。
私は、少年期から今までかけてきた、眼鏡を心底憎んだ。
「無条件降伏」、負け戦だ。