1話
被害者は二人。首はありえない方向に折れていた。
陽気な春の空気とは真逆の、嗅ぎ慣れた鉄臭い匂いが鼻を刺激する。鈍色の髪をした青年――アヤトは割れた窓越しに室内を覗いた。ところどころにどす黒い染みが残り、その惨状を想像させた。
「アヤト。久しぶりだな」
アヤトは禿頭の男ケイゴに、後ろから声をかけられる。腕章には『魔獣ハンター協会』と書かれていた。
「ケイゴさん。一年半ぶりですかね?」
「おう、あかね園は順調か?」
「はい。ハンターの討伐報酬で結構ギリギリですけど」
ケイゴは懐から煙草を取り出して、火をつけた。これから仕事だというのに。アヤトは呆れた顔で吐いた煙を眺めていた。
「お前は煙草やらんのか?」
「もう、やめましたよ。酒も煙草も」
「いつ死ぬかわからんこの世の中。少しくらい遊んだってバチは当たらんぞ」
「子供たちがいるんで」
「なら女くらい作ったらどうだ? あの相棒の生意気で白いやつはダメなのか」
「……わたしのこと?」
アヤトの後ろから白杖を持った小柄な少女がひょっこりと飛び出してきた。
気ままに跳ねた純白の長い髪を、ポニーテールに結んでいる。白いワンピースの上に、ハンターの制服であるフード付きのジャージを着ていた。
思わず彼女の濁った白い目を見てしまう。アヤトは拳をギュッと握る。少女がこうなる前の――美しい黄金色の瞳を思い出してしまうからだ。
「いや、違うからな。ハナ、待ってろって言っただろ」
「邪魔しないよ」
「そういう問題じゃない。子供なんだから、こういうのはお前には早い」
「また子供扱いして……」
ハナが不満げに言う。アヤトはため息を吐く。
「討伐にはハナの力が必要になるから、それまで待っててくれ、頼む」
「……わかった」
ハナは頬を膨らませて、渋々離れていった。
「……こんなに幼かったか? チッ、相変わらずお前に似合わんくらい可愛いな」
「こいつは妹のほうですよ」
「姉はどうした?」
「……そんなことより、はやく現場に行きましょう」
アヤトは苦笑して、話題を変えることにした。
「そうだな。魔獣はこの家に住んでいた五十代の夫婦を二人食い殺し、逃亡している」
アヤトとケイゴは手袋をはめ、室内に入る。床に散らばっている割れた窓ガラスが、踏み潰されてパリパリと音を立てる。鼻の奥に突き刺さる濃密な血臭と獣臭。アヤトは反射的に顔をしかめた。
「それにしても、被害がこの家だけってのはおかしいですね」
「そうだな。周辺には幸いにも一切被害はなく、魔獣の目撃証言もない」
リビングの中央はぶちまけられた血と、白い骨を剥き出しにした肉塊が転がっていた。その周りに魔獣の毛と、食べ残した腸や肝臓が散乱している。ずいぶん雑に食い散らかしている。
アヤトは死体の前で、手を合わせて目を瞑る。その姿を見てケイゴは鼻で笑った。
「相変わらずだな。ハンターがいちいち祈ってたら身が持たんぞ」
「俺がやりたいからやってるだけです」
二人は現場を観察し始める。
細長い肉球の四つ指の足跡が、赤々とフローリングに刻まれている。爪痕が深く、少し床が削れている。この足跡からして、体躯はかなり大きい。
床に落ちている毛束を一つ拾い上げて、指で感触を確かめる。灰銀色で硬い毛。先端が少し焦げている。
次に被害者の遺体に視線を移す。ほとんど原型を留めていない。引き裂かれた不整形の傷。身体に深く狭い穴が穿たれている。死因は首の骨折だろう。
床には複数回何かが叩きつけられたような痕。さらに半円状に飛び散った血が重なっていた。
――被害者の首に噛みついて、左右に激しく振り回したのか?
アヤトは顎に手を当てて考え込む。これは犬や狼が獲物を仕留める動きに似ている。
その様子を見て、ケイゴが「どうだ、何かわかりそうか?」と訊いてきた。
「おそらく、この人たちを襲ったのは狼の魔獣です」
「もうそこまで特定したのか。早いな」
「ところで、これ何ですかね?」
リビングの床が広範囲に焼けこげて煤けている。アヤトがそれに指をさすと、ケイゴが顔を近づける。
「それか。俺も気になったが、ただの焦げ跡だな」
「被害者は魔術で抵抗したんでしょうか」
「いや、この夫婦に魔術師の免許はない」
周囲に火元となるようなものはなかった。アヤトは思考を加速させる。
「となると、この規模の焦げ跡をつくることが可能なのは、『異能』くらいでしょうか」
「それは話が飛躍してないか。この夫婦は普通の人間だぞ。前に火事でも起こしたんじゃないのか?」
普通の人間という言葉にひっかかる。まるで『異能』を持った人間が、異常みたいな。悪い意味はないんだろうが。
「焦げ跡が比較的新しいんですよ。それに血が焦げて、黒く変色してます」
「……それで火事の可能性はなくなったが、魔獣の特殊能力かもしれんぞ?」
「その可能性は低いです。これを見てください」
アヤトはケイゴに焦げた毛を見せる。
「能力で自分を焼いてしまうのは考えにくい」
「なら、第三者がここにいたことになる」
「……そうですね」
第三者がいたならその証拠があるはずだ。よく見ると、焦げ跡の近くの床に真っ赤な小さな足跡が残っている。そのことに気づいたアヤトは、眉を動かす。それは明らかに大人のものではない。嫌な予感がして、心臓が跳ねた。
「ケイゴさん。被害者の夫婦に子供は?」
「いないと聞いていたが、どうした?」
「ですよね。玄関の靴も大人用の二足だけでした」
アヤトはしゃがみ込み、血に濡れた足跡を指でなぞる。
「どうやら、ここに子供が一人いたようです」
「子供!? でも死体がないぞ?」
裏返った声が響いた。
足跡を辿っていく。リビングの中央から廊下へ続いていき、そこで途切れている。
途切れた足跡の先には、引きずられたような跡が残っていた。
「魔獣はこの子供を連れ去ったのかもしれません」
ケイゴの顔色が変わる。
「まさか生きてるのか?」
「わかりません。死体を持っていった可能性もあります。でも」
アヤトは毛束を握り潰す。
「魔獣は普通、獲物をその場で食べる。例外として、自分の子供に与えるために連れ去ることぐらいでしょうか」
「じ、じゃあ、その子供は巣にいるのか?」
「いや、それもおかしいんですよ。巣に持ち帰るなら、栄養価の高い大人を連れ去るはずです」
「おいおい、じゃあどういうことなんだ?」
「まだわかりません。ただ、何らかの異常行動であることは確実です」
「くそっ! 訳がわからん!」
「とにかく後で考えましょう。まだ子供も生きている可能性がある。俺は魔獣を討伐に向かいます!」
アヤトはすぐに事件現場を飛び出して、ハナのところへ向かう。
「ハナ!」
停めていたバイクに跨って叫ぶと、声を頼りにハナが駆け寄ってくる。
「討伐に行くの?」
「場所を特定するだけの情報は揃ったからな」
ハナはアヤトの後ろに跨って、身体にギュッと抱きつく。後ろのハナにヘルメットを渡しながら、アヤトは魔術を発動させた。
「【追跡】」
アヤトの視界に魔獣の痕跡が赤く表示される。この魔術は読み込ませた魔獣の毛、足跡、涎を媒介に、同じ対象の痕跡を強調表示する。対象の知っている情報が多ければ多いほど、精度が上がる。
アヤトはキーを捻る。
エンジンが低く唸り、腹の底を震わせる振動が伝わる。
「しっかり掴まってろ。急ぐからな」
ハナの腕の力が強くなる。アクセルを捻ると、後輪が一瞬だけ地面を滑り、次の瞬間、車体は弾丸のように道へ飛び出した。
―――――――――――――――――――――――
「本当にここにいるの?」
コツコツとハナの白杖が、地面のコンクリートに当たる音が反響する。
アヤトは彼女の手を引き、魔術の痕跡を確認しながら、前に進んだ。正面はハナがライトで照らしている。
「必ずここにいるはずだ」
トンネルの中は薄暗く、光源がないとほとんど見えない。中心には汚水が流れている。卵の腐ったような強烈な臭いが充満している。長時間いると体調を崩しそうだ。
「……ところで、なぁ。手、繋ぐ必要あるか?」
「ある。ちゃんと、アヤトがリードするんだよ」
「本当に?」
「うん」
「……はぁ。さっさと討伐して帰るぞ。こんな下水道に、長居したくない」
「魔獣が出たら、アヤトはわたしの後ろに隠れるんだよ」
「はいはい」
「返事は一回」
しばらくお互い無言で歩いていると、急にハナがアヤトの手を引っ張って足を止める。
「なんだ?」
「……待って。何かが近づいてきてる」
ハナは目を瞑り、白杖が地面を叩く間隔がだんだんと早くなる。一瞬、何をしているかわからなかったが、すぐに音の反響を聞いているのだと気づいた。
――カツン、カツン、カツン。
それと同時に、高速で近づいてくる赤い二つの光が、アヤトの視界に一瞬映った。
「アヤト! 避けて!」
ハナが普段出さないような、大声で叫んだ。はっとして、アヤトは咄嗟に横へ転がる。ナイフのような爪が、肩をかすめて切り裂いた。素早くホルスターから拳銃を引き抜いて構える。
ライトに照らされて、魔獣の姿が露わになった。赤く鋭い眼光に獰猛な牙。灰銀色の体毛に覆われ、一部火傷のような傷があった。アヤトよりも体躯は数段大きい。低い唸り声が、背筋にヒリヒリと響く。そして、なぜか赤い首輪をつけていた。
「――首輪?」
首輪に目が止まる。
まるでペットだ。しかし、今はそんなことを考える余裕もない。魔獣はトンネルを縦横無尽に駆けながらアヤトに追撃する。
「【魔力障壁!】」
呟くと透明な六角形の壁が、魔獣の攻撃を阻む。だが、すぐにメキメキとひび割れ始める。長くは持たない。障壁が壊れると同時に、後ろに下がりながら発砲。暗闇に火花が散る。
弾丸は魔獣の肉を抉るが、効いていない。
魔獣の振り下ろした爪が銃身に当たり、アヤトは衝撃で拳銃を手から落とす。幸運にも汚水の中に落ちてはいない。
「クソッ! 【術式解放!】」
唱えると、弾丸に込められた魔術が発動する。魔獣の体内に残った弾丸から、氷の華が咲いた。たまらず、魔獣は悲鳴をあげる。致命傷ではないが、数秒動きが止まる。
「アヤト、どこ?」
「ここだ!」
ハナが手を伸ばす。
魔獣はすぐそこまで迫ってきている。
時間がひどくゆっくりに感じる。
アヤトは一瞬躊躇ったが、すぐに彼女の手を強く握った。二人の指が触れ合う。
――この瞬間が嫌いだ。
本来、ハナは守るべき子供だ。なのに、彼女に頼らなければ魔獣は倒すことができない。
――それは俺が弱いから。
これは償いだ。俺はこの先死ぬまで――
「お前の目になってやる――【視界共有】」
少女の瞳が淡く黄金色に煌めいた。
「止まって」
魔獣の爪はアヤトの眼前でピタリと止まっていた。ハナが手をかざすと、魔獣の身体が強く引っ張られる。まるで透明な手に掴まれているようだった。
だが、魔獣もコンクリートに爪を突き立て、必死にしがみついている。
「――チッ、しぶといな!」
アヤトはすぐにしゃがんで、真下に落ちている拳銃を片手で拾い上げる。魔獣の手足に向かって、引き金を引く。気づけばカチリと音がして、スライドが後退したまま止まっている。弾切れだ。
「【術式解放!】」
手足が凍りつき、たまらず魔獣も限界を迎えてコンクリートから手足が離れる。
ハナが手を振ると、魔獣は手足をパタつかせて宙に浮く。そのまま轟音と共に壁に叩きつけられ、衝撃波で汚水が激しく波打つ。アヤトは魔獣を視線から外さないように見続ける。
「グルルルルルァァァァ!!」
「……潰す。指先で触れる。トマトを潰すみたいに」
狼はけたたましい叫び声をあげる。逃げようともがくが、身体が無慈悲に押しつぶされていく。トンネルの壁がひしゃげて、魔獣の骨と肉がメリメリと軋む。
ハナが一本ずつゆっくりと指を折っていく。完全な拳が形成されたと同時に、魔獣の潰れた音がトンネルに響いた。
「おわったよ。危なかったね」
「そうだな。悪い、油断した」
アヤトは肩を押さえて、深く息を吐く。ハナの手を離して、視界共有を解除する。少し魔力を使いすぎたのか、軽い眠気に襲われる。すぐに頭を振って、眠気を払った。魔獣の死体に近づき、一緒に潰されている赤い首輪を拾い上げる。
「なにそれ」
「首輪だな」
「この魔獣誰かに飼われてたの? 可愛くないね」
「さぁな。これは持って帰って調べてもらおう」
それから二人は、さらに奥まで進み周囲を探索し始める。歩きながらアヤトは考えを巡らせる。あの魔獣にはひっかかることが多い。首輪をしていたこともそうだが、ハナを一切狙っていなかった。いや、今は子供を探すことに集中するべきだ。
「おーい! 助けにきたぞ! 返事をしてくれ!」
必死に呼びかけるが、返事はない。心臓の鼓動が速くなる。焦燥感だけが募る。出来れば子供がまだ生きていることを願った。それとも、最初から勘違いで杞憂だったのならいいのだが。
何度か呼びかけを行い、アヤトが諦めかけていた時だった。コンクリートに少量の血痕がついているのが目に映る。アヤトは必死に走り回り、その付近を探した。
そして、ようやく少女が倒れているのを見つけた。
「大丈夫か!」
すぐに駆け寄る。息は浅いが、呼吸している。多少の傷はあるが、生きてることにアヤトは胸を撫で下ろす。
長い栗色の髪に、青白い肌。魔獣の涎まみれでボロボロの服に、折れそうな程細い手足はぐったりと力無い。
アヤトはすぐに少女を抱き抱える。一瞬バチリと痺れるような痛みが走るが、構わず走り出す。
「無事?」
「ああ、すぐにここから出るぞ!」
―――――――――――――――――――――――
耳障りなサイレンの音が、アヤトの耳をつんざく。先程助けた少女は担架で救急車に運ばれて、病院に向かっている。
「まさか、本当に子供が魔獣に連れ去られていたとはな……」
ケイゴはしきりに顎を触って、落ち着かない様子だった。
「この事件どうにも不可解な点が多い。なぜ魔獣は少女を殺さなかったんでしょうか。ケイゴさん魔獣の死体を詳しく調べてもらえませんか?」
「わかった。死体はこちらで回収しておこう」
「それとこれもお願いします」
アヤトは首輪を取り出す。魔獣の血がべったりと張り付いていた。ケイゴはそれを見てギョッとする。
「……なんだァ、これは?」
「倒した魔獣がつけていました」
「……ったく、しばらく忙しくなりそうだな。じゃ、討伐報酬は後で振り込んでおくぞ」
ふいにハナがアヤトの服の裾をギュッと掴む。振り返ると、ハナは目尻を下げてサイレンの音をじっと聞いていた。
「あの子……大丈夫かな?」
「きっと助かるよ」
アヤトは自分に言い聞かせるように言った。
「帰るぞ」
「うん」
二人は停めてあるバイクに向かって歩き出した。さらさらとハナの白髪が風ではためく。地面に落ちている桜の花びらが舞った。
どこかに桜でも咲いているのだろうか。
近くの公園に一本、桜の大きな木が見えた。満開だった時は、きっと壮観だったんだろう。それが今では花が散り、かろうじて枝に花がひとつだけ残っている。
ひらりと最後の花びらが散った時、アヤトは目を逸らす。
「急に止まって、どうしたの?」
「いやなんでもない」
一人、また助けることが出来た。魔獣も討伐した。これで、被害を受ける人も少なからず減る筈だ。
だが、何人助けても、今までアヤトが奪った命は帰ってこない。そのことを深く胸に刻みつける。
既に茜色の夕日に夜が混じり始めている。ハナの横顔を見るといつも姉のことを思い出す。
気づけばアヤトはハナの手を握っていた。




