天国への水先案内人 〜三途の川の渡し船〜
俺は平吉、船頭をやっている。毎日多くの客が来て、ひたすら川の渡しをやっている。この川は「三途の川」と呼ばれていて、基本的に往路しか客は乗らない。
客も色々で、善人ばかりならば優雅な船旅。悪人が揃うと高波の中を進めなきゃならん。そんな時は、それはもう死ぬ思い。死んだ俺がさらに死を感じる、シビアな世界だ。
さて、今日のお客さん達はどうだろうかね。
「船頭さん、川の向こう岸までやって下さいな」
着物の若い御婦人が来た。
「あいよ、船賃は六文ね」
御婦人が船に乗り込む
「じゃあ船出すけど、未練は持っていけないよ」
「ええ、もう十分生きましたわ。病気の連続だったからね。夫が延命しないって、お医者さんに言ってくれたのよ」
「そうかい、やっと解放されたってわけか」
「今度はあたしが見守ってやる番よ」
「良い心掛けだ。今日は波が落ち着いてるよ!あんた、徳を積んだ人生だったんだな」
御婦人と俺はそんな話をしながら、あっという間に岸に着いた。
「この先真っ直ぐ行くと天国だから」
俺が説明すると、御婦人は手を振って歩いて行った。
「こういうお客さんばっかりだと助かるんだけどなぁ」
出発地点へ戻ると、同業のトメ雄も戻ってきた。
「平さんは良いなぁ、上客掴んで。俺はとんでもねぇの拾っちまったよ」
トメ雄はずぶ濡れになっている。
「さては、地獄方面に行ったか」
「あぁ、会社でパワハラやってたらしくてさ。追い詰められてここに来たみたいなんだけど、船賃負けろだの、現世へ戻らせろだの、カスハラ野郎だよ」
トメ雄がボヤいている。実際この手の客は多いのも事実だ。
「今頃、閻魔さんのところでこってり絞らてると良いな」
俺はトメ雄の肩を叩きながら話した。
「まったくなぁ。まぁそういう奴は、来世は人間にはなれないだろ」
俺はトメ雄に煙草を一本渡した。
「なんとかは死ななきゃ治らねぇって言うけど、死んでも治らねぇんじゃ救えねぇなぁ」
「ほんとだよ平さん。乗船拒否とか出来ないもんかね」
そんな話をしていると、また一人やってきた。
「おい船頭、船出してくれ」
中年の男が来た。気難しそうな表情に高圧的な態度だ。
「トメ、今度は俺がやる」
俺が船を出すことにした。
「六文ね」
「領収書書いてくれ」
「なに?」
「これは経費で落とす。自分の金はビタ一文使いたくない」
「領収書なんか出せねぇな。嫌なら自力で渡ってくれ」
「お前ら、本当は誤魔化して税申告してないだろ」
「あのなぁ、この船は国営なんだよ。俺たちは天国で雇われている公務員なんだ。金ごまかすようなマネするか」
「貴様ら怪しいな。私は港町税務署の税務署長だ…元だけどな」
その時、次第に波が時化し始めた。同時に俺の持っているタブレット端末に顧客情報が送られてきた。この元税務署長のものだ。
「元税務署長さんよぉ、あんた偉そうな事言えた義理かい?現世で『脱税』を見逃した企業のリスト、ここに全部あるぞ」
俺はタブレットの情報を見せた。
「それは…付き合いで仕方なかったんだ…天下りも禁止されているから」
「あぁそうかい。波も時化てきたようだ。あんたの送り先は、どうやら閻魔さんの方になりそうだな。しっかり掴まってろや」
俺は勢いよく船を出し、荒波の中を地獄の入口まで向かった。戻ってきた時には先程のトメと同様、水浸しになっていた。
トメ雄が煙草を吹かしていた。
「平さん、ご苦労さんでしたね」
「おぉ、久々に荒れたな。さっきの野郎、閻魔さんが手ぐすねひいてたよ」
「元税務署長なんて、散々甘い汁吸ってたんだろうなぁ。現世じゃ年金が出ないからって、こっちは死ぬまで働いてたのに」
トメはやるせない表情になっていた。
「挙げ句の果てに、死んでも働いてるってか。なあトメ」
「平さん、それを言っちゃあおしまいよ」
俺とトメは大笑いをした。
そんな俺達のもとには、時々迷い人が来ることがある。
「平さん、お客さんだよ。まだ若いな」
「トメ、お前が行け」
トメはその客に声をかけた。まだ若い男性だった。車の鍵を持っている。
「ここが渡し場ですか?」
男性は不安そうな表情を浮かべている。
「そうだよ。六文で船を出しているよ」
「自分は、渡りたくありません」
沈んだ表情でそう呟いた。俺は事情を聞くことにした。
「兄さん、何かワケありってとこだな。話聞こうじゃねぇか」
俺は近くの茶店に彼を誘った。
「自分は車を運転中に事故に遭いました」
「そりゃ気の毒だったな…」
「相手は飲酒運転のトラックで…」
そう言うと、彼は俯いてしまった。
「まぁ、茶でも飲もうや、な」
「その上相手は信号無視でした。自分はまだ死にたくありませんでした。規則を守っていたのに…」
「そうだよな。それが現世の理不尽って奴だ」
彼は茶を一気に飲み干した。
「自分はまだやりたい事がたくさんありました」
未練がある。この若さでは無理もない。20代で理不尽に人生を断たれた心中を慮る他なかった。
「なぁ青年よ。この仕事してるとな、地獄送りなる奴を一定数見てきた。死んでからじゃ遅えけどな。あんたの人生を奪った罪は軽くねぇ」
慰めにもならなかったのは百も承知だ。青年が涙を流しているのを、俺は肩を抱くしかできなかった。
そこへトメが現れた。
「青年、こいつトメって言うんだけどな。こいつなんてヒドイぞ。75で土手で交通整理の仕事しててな。イヌの糞を踏みそうになって避けたら、足を踏み外して川に落っこっちまったんだ」
「どざえもんってヤツだな、平さん」
「河童の川流れじゃねえのか、トメ」
「俺の頭見て言うなよ平さん」
俺達が笑うと、青年もかすかに微笑んだ。
「青年よ。見たところ、あんたはまだ戦ってるんだな」
俺は下界を見た。集中治療室で懸命な治療が続けられている青年の姿があった。
「助かる見込みはあるのかい」
トメが青年に聞いた。
「分かりません…明日あたりが峠だと」
しばし、沈黙が流れた。
「船頭さん、船に乗せてください。戻っても、元通りになるか分かりません」
「良いんだなそれで」
俺は青年に一言だけ聞いた。
「はい、お願いします」
そう言うと、俺は船に乗り青年を待ち構えた。
青年が船に乗る。
途端、船が傾いて沈みかけた。
「ダメだ!青年、降りてくれ!」
トメが青年を引っ張り降ろした。
「ど、どういうことですか!?」
「未練だよ、あんたの未練が重すぎるんだ。だから沈んじまいそうになったんだ」
トメが青年に説明した。
「つまり、あんたはまだ逝っちゃならねぇって事だ。そうだなトメ」
「ああ、この船は未練だけは運べねぇんだ」
「戻れってことですか…」
俺は煙草に火をつけた。
「まぁ、そういう事だな。あんたが生きている事を何より大切に思う人たちがいるだろ。生きるってのは、辛くてもそれに応えることだ」
下界で彼の両親や恋人らしき女性が寄り添っている姿を、俺は見ていた。
青年は俯いたまま、拳を握っている。
「船頭さん、戻ります」
静かに青年が顔を上げた。
「それが良い。今のあんたを船に乗せるのはゴメンだぜ。未練の重さで沈没して、俺は死んじまうからな」
「平さんよ、俺たちはもう死んでるんだぜ」
「そうだったな」
俺達が笑うと、青年も大笑いをしていた。
「ありがとうございました」
青年は深く俺たちに頭を下げると、背を向けて戻って行った。やがて、青年の姿がふっと消えた。
「平さん。大丈夫かね、彼は」
「さぁな。まぁ、あの未練のまま送ったら、化けて出ちまうだろ。それなら戻してやらねぇとな」
俺とトメは新しい煙草に火をつけた。煙が空へ消えていく。
「船頭さん、船お願いします」
遠くから声が聞こえた。
「トメ、新しいお客さんだ」
「あいよ、平さん」
終




