第2話 同居人と、朝の匂い
朝、目が覚めた瞬間、違和感があった。
……静かじゃない。
カチ、カチ、と小さな音。
フライパンの焼ける音。
そして、いい匂い。
「……?」
ベッドから起き上がり、リビングへ出ると。
「あ、おはようございます、先輩」
エプロン姿の三崎紫鶴が、キッチンに立っていた。
「……おはよう」
昨日のやり取りが、頭をよぎる。
白鷺城。
覗かないと言ったのに、覗いたこと。
「……怒ってるか?」
「──怒ってませんよ。
……あんなところ見られて、
恥ずかしさはありますけど……」
──淡いブルーのショーツ……
クロッチの上を撫ぜる紫鶴の姿……。
昨夜見てしまった、紫鶴のあられもない姿が頭にフラッシュバックしてしまう。
「す、すまん……」
フライパンを持ったまま、少しだけ振り返る彼女。
「でも、ここにいさせてもらえるのは、嬉しいです」
小さく笑う。
テーブルには、味噌汁と焼き魚と卵焼き。
「……全部、作ったのか」
「はい。冷蔵庫、ちょっと使いました」
「助かる……」
一人暮らしの朝は、いつもパンかカップ麺だった。
※
「いただきます」
二人で並んで食べる。
「……美味い」
「よかったです」
紫鶴は箸を持ったまま、少し照れた。
「ここ……落ち着きます」
「……こんな部屋で?」
「はい」
部屋を見回す。
古いテレビ。
散らかった雑誌。
組み立てかけの白鷺城。
「誰にも追い出されないって、安心します」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
「……学校、どうする」
「普通に行きます」
「……噂になるかもな」
「大丈夫です」
少しだけ、笑った。
「先輩が助けてくれたの、知ってる人もいますし」
「……そうか」
※
放課後。
「ただいま」
「おかえりなさい」
紫鶴は、すでに奥の部屋で白鷺城を広げていた。
「今日も、組み立てますね」
「ああ」
部屋のドアが閉まる。
──昨日あんなことがあったからか、和室から紫鶴の喘ぎ声が聞こえる気がして落ち着かない。
気持ちを切り替え、俺はリビングで宿題を広げた。
奥から聞こえる、小さな作業音。
カチ。
コツ。
父が、ここで同じ音を立てていたのを思い出す。
※
夜。
「……少し、休憩しません?」
紫鶴が顔を出した。
「どれくらい進んだ?」
「外壁の半分くらいです」
「……すげぇ」
ふと、紫鶴の指先が目に入る。
「──安心してください。
今日は、してませんから……」
「そ、そうか……」
「先輩の、お父さん……丁寧な人だったんですね」
「え?」
「説明書、綺麗にファイリングされてました」
俺は黙った。
「……几帳面だった」
そう言うと、紫鶴は、白鷺城の箱を撫でた。
「大事にします」
※
夕飯は、二人で作った。
紫鶴が切って、俺が焼く。
「包丁、危なっかしいですね」
「うるさい」
「……ふふ」
笑う声が、部屋に広がる。
久しぶりだった。
誰かと夕飯を食べるのは。
※
食後。
ソファに並んで座る。
「……先輩」
「ん?」
「ここに、いつまでいていいですか」
不安そうな声。
「……決めてない」
「……」
「白鷺城、完成するまで」
「……はい」
それだけで、安心したように頷いた。
※
夜。
布団を敷く音がする。
「おやすみなさい、先輩」
「おやすみ」
電気を消す。
暗闇の中で、天井を見る。
父が死んでから、
初めて部屋が、寂しくなかった。
※
翌朝。
テーブルの上に、メモが置いてあった。
『学校、先に行ってます
今日も、組み立てますね』
その横に、弁当。
「……律儀だな」
白鷺城の箱を見る。
まだ、未完成。
でも。
この部屋には、
もう一人、帰ってくる人がいる。
それだけで、
白鷺城は、昨日より少しだけ、綺麗に見えた。




