第1話 白鷺城と、夜の恩返し
床に散らばるプラスチックの破片を見て、俺はため息をついた。
壁だったはずの部品は歪み、屋根だったはずのパーツは割れている。
説明書は開いたまま、役目を失った紙切れみたいに横たわっていた。
「……無理だろ、これ」
俺、真坂康太、十七歳、高二。
一人暮らしで、手先はとことん不器用だ。
机の上にあるのは、《ドアゴスディーニ 白鷺城》。
毎週届く模型キット。父親が集めていたものだ。
――父は、もういない。
病気だった。
ある日、あっさりと逝った。
『最後まで組み立てられなかったな』
病室で、そう笑っていた。
だから俺は、この城を完成させようと思った。
父の代わりに。
……だが現実は、これだ。
接着剤は指にくっつき、
向きを間違えては無理やり外し、
パーツは欠けて、割れた。
「……父さん、ごめん」
誰も答えない部屋は、静かすぎた。
※
その夜、バイト帰り。
繁華街のネオンが、濡れたアスファルトに滲んでいた。
俺はフードを被り、早足で歩いていた。
「……やめてください」
細い声が聞こえた。
路地裏。
男が二人、女子高生を囲んでいる。
「終電ないんだろ?」
「ちょっと遊ぼうぜ」
「嫌です……」
震えた声。
俺は舌打ちしつつ、割り込んだ。
「……何してるんですか」
三人が振り向く。
「通りすがりですけど」
「関係ねぇだろ」
「困ってるみたいなので」
女子高生の手首を掴む。
「行くぞ」
「……え」
一瞬戸惑ったあと、彼女は頷いた。
俺たちは、そのまま路地を抜けた。
「……ありがとうございました」
街灯の下で、顔が見えた。
紫がかった黒髪。
白い肌。
整った目鼻立ち。
大きな胸元。
――美少女だった。
「二年の真坂先輩……ですよね」
「……え?」
「同じ学校です。一年の三崎紫鶴です」
後輩だった。
「助けてくれて、ありがとうございます」
深く頭を下げる。
「……いや」
それだけ言って、別れた。
※
翌日。
バイト帰り、夜自宅で寛いでいたところ。
インターホンが鳴った。
「……こんな時間に誰だ」
ドアを開けると、紫鶴が立っていた。
「こんばんは、先輩」
「三崎さん……」
「紫鶴でいいですよ?」
手には、料理の入った袋。
「昨日のお礼です」
「……え?」
「先輩、一人暮らしって聞いて。作ってきました」
部屋に通すと、紫鶴は周囲を見回した。
「あ……」
視線が止まる。
「それ……白鷺城キットじゃないですか」
「あー……」
俺は苦笑した。
「父親が買ってたんだ。最近死んでさ。俺が組み立ててた」
床の惨状を見る。
「……ぐちゃぐちゃですね」
「……言うな」
紫鶴はしゃがみ込み、部品を手に取った。
「……先輩」
「ん?」
「もし、許可してくれるなら……」
ゆっくり顔を上げる。
「あたしが、組み立ててもいいですか?」
「……え?」
「手先、ちょっと器用なんです」
それから、視線を伏せる。
「……でも、お父さんの遺品ですし……迷惑ですよね」
一瞬迷って、俺は言った。
「いや。頼む」
「……本当ですか?」
「この部屋、使ってくれ」
俺は部屋の奥にある和室の襖を開けた。
「机もあるし、ここなら邪魔にならない」
「……ありがとうございます」
紫鶴は白鷺城の箱を抱えて中に入った。
「じゃあ、ここで組み立てますね」
「ああ。好きに使ってくれ」
そのとき。
紫鶴が、俺の袖をちょこんと掴んだ。
「……先輩」
「?」
少し前屈みになる紫鶴。
開いた胸元から、淡いグリーンのブラに包まれた谷間が見えた。
紫がかった黒髪の下から、大きな瞳が見上げてくる。
「……お願いがあるんですけど」
「……何だ?」
「……覗かないでください」
「え?」
「組み立ててるところ」
唇をきゅっと結んで、上目遣い。
「……集中したいですし」
「……分かった」
「……ほんとですか?」
「約束する」
紫鶴は、ほっとしたように微笑んだ。
そう言って、部屋のドアをそっと閉めた。
しばらくすると、襖1枚隔てた奥から、何かくぐもった音が聞こえてくる。
(──なにやってるんだ……?)
しかし、覗かないと約束した手前、開けることはできない。
※
「──先輩、まだ途中ですけど、見ていいですよ?」
2時間後。
部屋からそっと出てきた紫鶴。
「おじゃましまーす……」
机の上を見ると。
──城の形が出来上がっていた。
真っ白な壁。
整った屋根。
あの、ぐちゃぐちゃだったパーツたちが、正しく積み上がっている。
「……すげぇ」
「あ、ありがとうございます。。」
紫鶴は、細い指先をもじもじとさせる。
「じゃあさ、今日は遅いから家まで送るよ」
「……あ、あの」
箸を置いた紫鶴が、視線を逸らす。
「実は、あたし……訳あって……」
小さな声で続けた。
「ネットカフェとか……転々としてて……」
「……え」
「だから、大丈夫です。慣れてます」
無理に笑っていた。
俺は部屋を見回した。
「……なら」
「?」
「部屋、空いてるし。しばらく、ここにいろよ」
「……え?」
「いや……逆に迷惑じゃ……」
「迷惑じゃない」
沈黙。
紫鶴は、ぎゅっと服の端を握る。
「……そ、そんなことないです!」
顔を上げる。
「ありがとうございます……!」
深く頭を下げた。
「……お世話になります」
※
紫鶴が、白鷺城を組み立て始めてから――五日。
「じゃあ、今日も始めます。
──覗かないでくださいね?」
「あ、ああ……」
──履いている淡い紫のスカートを翻しながら。
和室へと入る紫鶴。
※
俺は、約束を守っていた。
……出来心だった。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
──襖を開けてみた。
「……え?」
「──ハッ、ハァ......アッ──!」
隙間から見えたその光景。
──膝を立て、体育座りの彼女。
左右に大きく開かれた両足。
床に脱ぎ捨てられた、紫のスカート。
ブラウスの中に左手を入れ、
その大きな胸を揉みつつ。
淡いブルーのショーツ、
クロッチの上を、そのくぼみに沿って
細い指先で優しく撫ぜている。
──必死に声を殺しながら……。
「……アッ、──ンッ!
──って……え……先輩……?」
扉の隙間。
──俺の視線と、紫鶴の視線が交差した。
途端に真っ赤に染まる紫鶴の表情。
「……キャッ!」
「──す、すまん!」
机の上には、まだ作業前の白鷺城が静かに光を放っていた。
※
リビング。
向かい合って、座る俺たち。
完成途中の白鷺城は、奥の部屋に残されたままだ。
「……怒ってるか?」
「……少しだけ」
「……すまん」
「──実は、あたし、──ひとりでしてから作業を始めると、すっごい集中できるんです……」
視線を落とす。
「恥ずかしいし、気持ち悪いですよね……。
先輩のお父さんの形見なのに……」
うなだれる紫鶴。
「……いや、驚いただけなんだ。
そもそも、俺が約束を破ったのが悪い」
「先輩……」
「もしよかったら、これからも白鷺城を組み立ててくれないか? ──完成まで」
「い、いいんですか……?」
「ああ。頼む」
「ありがとうございます……先輩……!」
思わずか、俺の胸に飛びついてくる紫鶴。
大きな胸元から、心音が伝わってくる。
父の遺品と、
後輩の居場所と、
俺の部屋。
それが、
同じ場所になった。
白鷺城は、まだ完成していない。
俺と紫鶴も、まだ何も始まっていない。
でも――
この部屋で、
何かが、始まった。




