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【追放測量士】地図を書き換えるだけで最強になったので、辺境ダンジョンを都市にしました  作者: 斎宮 たまき/斎宮 環


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第4話「空白という行政」

 朝の光は、紙の上では白でも、現実では薄い黄だった。

 ノエルは羊皮紙の余白に昨夜描いた矩形を指で叩く。四角の真ん中に書かれている小さな文字――〈ここは空白〉。

 空白は怠慢ではない。余白は折りしろ、あるいは安全弁。地図の仕事の半分は、何を“置かないか”を決めることだ。


 広場に集まった面々の前で、ノエルは板を立てた。

「今日は“何もしない”線を引きます」

 ざわめきが走る。ミィナが腕を組んだまま、片眉を上げる。

「線を引くって言っておいて、何もしない?」

「やらないことを明記するんです。行政は“やる”ことばかり宣言しますが、“やらない”の宣言がないと、余白が全部、勝手な正義で埋まる」

 露店の母が首を傾げる。「勝手な正義?」

「『ここにも店を出していいよね』『ここで荷を解いていいよね』『少しくらい血を洗わなくてもいいよね』。どれも各人には正しい。でも、重なると破綻します。だから――」

 ノエルは粉チョークで地面に大きく四角を描き、真ん中に同じ文字を書いた。

〈ここは空白〉

「ここは、何もしない。緊急時のために“折りたたんで”取っておく。常時は通行すら遠慮する」

 親方が唸った。「もったいない気がする」

「もったいないです。もったいない“損”を、毎日支払う。代わりに、事故の日に大きな“得”を取る。保険と同じ構造」


 エセルが人垣の後ろから現れた。質素な外套、目だけが鋭い。「その空白、どこに置くのが正しい?」

「正しい場所はない。『困る人が同数』の場所が、だいたい合ってます」

「民主主義の地図版ね」

「多数決にしません。“反対が最も多い位置”を空白にする。それが一番、偏らない」

 ざわめきが一段深くなる。ルカがニヤリとした。「喧嘩を呼ぶ会議になりそうだ」

「喧嘩の仕方も設計します」


 ノエルは板の上部に大きく三行を書いた。

〈地図条例 草案〉

一、地図に描けることしか行政しない。

二、行政は“やらないこと”を明記する。

三、変更は一日三回まで。緊急一本、保険一本、狙い一本。

 ミィナが読む。「三つだけ?」

「三つ以上は、守られません。多い正義は、薄い正義です」


 午前は“空白”の場所選びの会議になった。

 候補は三つ。

 A:井戸と露店帯の間。

 B:鍛冶場と倉庫の間。

 C:ダンジョン入口の斜め前。

 それぞれに「困る」人がいる。露店勢はAに反対、職人勢はBに反対、冒険者勢はCに反対。

 ノエルは討論のルールを先に示した。

「自分が困る理由は三十字以内。相手を腐す言葉は禁止。“困る具体”だけを出す」

 露店の母が先に手を挙げる。「Aだと、壺と布を出す場所が減る。人の流れが痩せる」

 親方が続く。「Bだと、荷の回転率が落ちて炉が不機嫌になる」

 冒険者が言う。「Cだと、撤退時に詰まる」

 ルカが指を挙げた。「詰まる場所に“詰まり”を置くのは、意外と利く。退くときに空白を開く発想」

 ノエルは頷いた。「緊急時の空白は、退路の安全弁。Cの利点は大きい」

 エセルが口を挟む。「ただし、常時は“拾い物”の空間になる。役人の荷車が停めたくなる」

「停めさせない札を置きます。『ここは空白』。言葉は簡潔に。理由は書かない。理由は議事録に残す」


 最終的に、空白はC――ダンジョン入口の斜め前、赤導線と青の縁が擦れる地点に決まった。

 決まった瞬間、ノエルは板に大きく描いた四角の角を、わざと少し欠けさせた。

 ミィナが片眉を上げる。「欠けてる」

「四角は完璧すぎると、踏まれる。少し壊れていると、人は“避け方”を学ぶ」

 ルカが笑う。「地図も、人間も同じだな」


 昼過ぎ、王都の徴税車がまた鼻息荒くやって来た。昨日と同じ羽根飾り、昨日より高い鼻。

 空白の四角は、入口前で確かに“邪魔”だった。徴税車の御者が舌打ちをしたが、四角の真ん中の札が視界を刺す。

〈ここは空白〉

「なんだこれは」

 御者が四角に輪を乗り上げようとした瞬間、ノエルは静かに手を上げ、門の記号の板を半歩だけ傾けた。赤導線の検問が“角度”を主張する。

「通行妨害だぞ」

「緊急退避帯です」ノエルは淡々と答えた。「あなた方の車が明日、命からがら戻ってきたとき、ここが空いていれば助かるかもしれない」

 御者は鼻で笑いかけたが、ほんの刹那、瞳孔がすぼまった。想像した。命からがら、という場面を。

「……勝手にしろ。だが道を塞ぐな」

「塞ぎません。『何もしない』だけです」

 車は不機嫌に、しかし空白を回避して去った。


 午後、空気の底がきしんだ。

 地の下で、何かが遠くへ移動する鈍い音。ノエルは顔を上げ、羊皮紙の端に指を置く。

 ――湧く。いつもより大きい。

 暗渠の筋ではない。もっと深く、斜めの線だ。

「赤、準備」ノエルが短く言い、ルカが矢印を蹴る。ミィナが桶を満たし、見習いが荷のブラシを置く。露店の布は影の帯を細く引く結び。

 次の瞬間、ダンジョンの口から、骨の太い四足と、背に苔を生やした甲殻持ちが一体ずつ、踊り場へころがり出た。

 重い。足音が、石ではなく地面から響く。

 退くべきだ。赤導線は一拍で詰まる。

 ノエルは空白へ走った。四角の内側に自分の足を入れ、片腕を高く挙げる。

「空白、開放!」

 声は大きくないのに、よく通った。人々は条件反射のように四角から離れ、四角の周囲の視線が一斉に“避け方”を思い出す。

 空白が、退路の膨らみになった。

 冒険者たちは赤導線を逆流せず、四角をかすめ、青との接点を踏まないまま回り込む。

 甲殻持ちは直線しか選べない。角度が読めない。四角の欠けた角に鼻面をぶつけ、軌道が崩れる。

 ルカが低く潜り、脚の関節を切る。ミィナが鉄の槌で甲の継ぎ目を一打。

 静かになった。

 ノエルは腕を下ろし、息を吐く。

「空白、閉鎖」

 四角の札を伏せ、角度を元に戻す。

 露店の母が両手で口を押さえながら笑った。「何もしない四角が、人を助けた」

「何もしないから、助かったんです」


 騒ぎが収まったところで、広場の端から拍手が起きた。

 エセルがゆっくりと手を叩いていた。王都風の拍手ではない。辺境の拍だ。

「見事。『やらない』の運用は、王都でいつも一番下手だ。やることの書類は山ほどあるのにね」

「やらないことの書類は、存在が難しい。『何もしない』を証明するのは、たいてい哲学になります」

「哲学と行政の間に、地図を置けるなら、私は味方する」

 エセルは短く息を吸い、声の調子を少しだけ変えた。「ただし、敵も増える。局長は“条例”を敵視するだろう。地図は行政の外に置いておきたいのが、彼らの本音だ」

「地図は外には置けない。道の真ん中に置く。踏まれて、読まれて、汚されて、また拭く」

 ミィナが笑った。「泥に強い紙、用意しとく」


 夕暮れ、ギルド板の下で、ノエルは今日の欄を埋めた。

《空白:C地点に設置/角欠け処理→退路の膨らみ化成功》

《湧出:大型×2→空白開放で回避/被害ゼロ》

《変更回数:紙上0(影×1/札×1/角度×2)》

 負けの欄には、たった一行。

《王都側:条例草案への“口頭警告”。文書化要求あり》

 エセルが覗き込み、ため息を一つ。「文書に弱いでしょう?」

「強くはない。けど、図に強い。図で書きます。文は図の注釈でいい」

「王都は逆です」

「じゃあ、真ん中で会いましょう」


 夜。酒場の灯りは柔らかく、二重線の溝の歌はもう聞こえない。

 ルカがジョッキを置く。「空白、もう一つ作る?」

「ひとまず一つで十分。増やしすぎると、『何もしない』が“怠け”に見える」

「見えるだけ?」

「見え方は重要。地図は“納得”の道具だ。納得しない人間が増えたら、正しくても負ける」

 ミィナが鼻で笑う。「正しいだけの線より、納得できる線。いいじゃない」

 エセルが静かに立ち上がる。「明日、査察団が増員される。私は来ない。来ないことも、味方のしるしだと思って」

「来ない味方は、時々一番ありがたい」ノエルが微笑む。

「気は抜かないで。局長は“所有権”の話を必ず持ち出す。運用の証拠、溜めておいて」

「音の地図を増やします。匂いのメモも」

 エセルは扉のところで振り返らずに片手を挙げ、夜気に溶けた。


 ノエルは宿へ戻り、机に紙を三枚並べた。

 一枚目――今日の図。空白の四角、角の欠け、矢印の角度、影の帯。

 二枚目――音の譜。湧出の直前の低い吸気音、甲殻が石を擦る重音、空白開放の前後で群衆のざわめきがどう変わったか。

 三枚目――“やらない”のリスト。

・空白では商売しない

・空白では荷を解かない

・空白では座らない(例外:負傷者)

・空白に物を置かない(例外:緊急器具)

・空白に理由を書かない(理由は地図裏の議事録に)

 最後の一行を太くする。

・空白を“神聖化”しない(必要なら壊す)


 鉛筆の芯が短くなり、ノエルは指先についた黒を擦った。

 地図は予告状であり、契約書であり、遺書になりうる――自分で書いた癖の一文が、今日は少しだけ重たく響いた。

 空白は、美しい。だが、壊すために用意しておく空白だけが、生き延びる。


 灯りを落とそうとした時、足元がかすかに揺れた。

 窓の外の闇が、ほころぶように明るむ。ダンジョンの口の方角から、蒲公英の綿毛みたいな白い粒がふわりと漂って、すぐに消えた。

 ノエルは窓枠に手を置き、息を止める。

 地の下で、別の“癖”が育ち始めた音がする。湧きではない。呼吸だ。

「……次は、深い」

 耳元の鉛筆が、小さく当たって音を立てた。

 明日の板の上には、もう一行、増えるだろう。

〈空白の“二段目”〉

 空白の上に、もう一枚の空白を重ねる技。

 道は、何もないもの同士の重ね方で強くなる。

 ノエルは微笑み、灯りを落とした。夜の拍は、遅く、正確に刻まれている。さて、次は“二段目”を世界に納得してもらおう。

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