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【追放測量士】地図を書き換えるだけで最強になったので、辺境ダンジョンを都市にしました  作者: しげみち みり


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第2話「湧出点を縫いとめる」

 朝霧が低く這い、村の屋根が同じ高さの島みたいに浮いていた。ノエルは広場の端で膝をつき、羊皮紙の上で昨日の赤青緑を指でなぞる。余白に小さく、今日の目的を書き足した。

《湧出点の抑止。検問ピン×4。赤1・緑2・青0/地図変更は三回まで》


 制約は、自分で決める。世界が合わせてくれるとしても、無制限の変更は“癖”を壊す。三本が限界。一本は狙い、一本は保険、最後の一本は事故のために残す。


 ギルド前に集まったのは十数人。鍛冶のミィナ、少年ルカ、露店主の母娘、荷車の親方、場慣れした冒険者が三、四。

「講習だよ」ノエルは模造紙に描いた地図を掲げる。「ダンジョンの“湧出点”は三つ。入口脇の崩れかけた階段下、旧坑道の裂け目、共同墓地寄りの暗渠。どれも、道が“合流しすぎる”場所にできやすい」

 丸い印が三つ、赤鉛筆で囲まれている。

「今日は赤導線に“検問ピン”を一本、緑導線に二本。青はゼロ。生活路はできるだけ“流しっぱなし”にして、人間の詰まりを作らない。詰まりは匂いを歪ませて、湧きを育てる」


 腕を組んでいた親方が眉をひそめる。「検問って、門を作るのか」

「門“らしく”見える角度と停止の理由を置きます」

「理由?」

「人間は理由がないと止まりません。『血を洗え』『荷の重量を申告しろ』『足回りを拭け』。どれも安全のための“正しさ”で、正しさは強い門になります」


 ミィナが手を挙げる。「作る物は?」

「木板二枚、丸桶三つ、紐、札。それから“矢印”。矢印は笑うくらい大きく」


 午前のうちに、赤導線の曲がり角へ第一の検問を置いた。木板を斜めに立てかけ、桶を三つ並べ、札に簡潔に書く。――〈血を洗ってから先へ〉。

 ルカが紐で“矢印”を作り、地面に置いて角度を調整する。

「もっと腹をくくれ。矢印の矛先が迷うと、人も迷う」ノエルが足先で矢印をわずかに蹴って、道の“癖”に合わせる。矢印は、たいてい少しだけ“嘘”がうまい。


 次に緑導線。鍛冶場の手前二十歩に一本、精錬小屋の角に一本。

 緑の検問の札は別文言だ。――〈荷の泥を落としてから搬入〉。

 ミィナが腕を捲り、見習いたちにブラシを配る。金槌の音が一瞬止まり、すぐに軽く速いリズムで戻ってくる。泥が落ちるだけで、炉の温度の揺れが減るからだ。


「青はゼロで本当にいいの?」露店主の母が不安げに問う。

「青に“正しさ”を置くと、休むべき人まで動き続けます。青の正しさは、風と同じで“感じるもの”。札じゃなく、匂いと影でやる」

 ノエルは露店の裏手に回り、布の端を一枚だけ短く結ばせ、日陰が帯になるよう角度を変える。井戸から露店へ流れる青線の上に、肌が自然に落ち着く“陰の橋”ができる。

「ここが“影の休憩ポケット”」

 母娘は目を見合わせ、小さく頷いた。言葉のいらない納得だ。


 昼過ぎ。最初の“湧き”が来た。

 ダンジョン入口の石段下、空気がひっくり返るような音がして、骨の細い犬型の魔物が三。

 ルカが短く息を呑み、ノエルは赤導線の検問を振り返る。桶の水が揺れ、札が視界の中心を掴む。討伐帰りの冒険者が本能で止まり、血を洗い、その間に警備役が角度を取り、犬型は“空いた方へ”走る。

 空いているのは、赤導線ではない。二重線の溝が刃のように細く、道の縁を削っている。犬型は溝の縁に足を取られ、速度が落ちた。

 ルカが横から入り、膝の高さで一突き。

 倒れた。

 彼は自分の呼吸の速さに驚いた顔で笑い、すぐ無表情に戻した。「……一本」

「うん。今のはこっちの“癖”を犬が読めなかっただけ。次は読んでくる」


 午後二度目の湧きは旧坑道の裂け目。土煙とともに小鬼が五、六、笑いながら転がり出る。

 ノエルは地図の端を睨む。予定していた検問位置より、魔物の射出口がわずかに左に寄っている。

「位置が流れた」

 世界は一定ではない。だからこそ、三回までの変更が生きる。

 ノエルは二本目の変更を切った。緑導線の検問ピンBを、五歩左へ“描き直す”。

 現場では、ミィナが丸ごと検問を抱えてずらす。「合図!」

「合図」ノエルが手を挙げ、ルカが矢印を蹴って角度を変える。矢印が嘘をつき、小鬼は嘘に従ってくれた。

 鍛冶の見習いが泥をぶつけ、足元が重くなる。冒険者の槍と、ルカの短刀が仕事をし、すぐに静かになった。

 ミィナが肩で息をして笑う。「矢印は、ほんとうに嘘がうまい」

「嘘のうまさも、地図のうち」


 夕刻。緑導線の先に、泥のない通路が一本できていた。炉の温度が安定し、鉄の色が均一になる。親方が難しい顔のまま、素直に頭を下げる。

「すまん。疑ってた。あんたの線は、金を作る」

「線は、金の通り道にも、逃げ道にもなる。今日は通り道にしよう」


 ギルド板の前で、ノエルは“今日の成果”の隣に小さく“今日の負け”も書く。

《湧出点A:制御/B:位置流れ→再配置で対応/C:未対処。暗渠の“匂い”を読み違えた》

 端に、柔らかく鉛筆を滑らせる。

《残り変更:1》


 暗渠は厄介だ。目に見えない“地下の青線”が、音と匂いでしか読めない。地図の上ではただの破線。現実では、村の裾を支える静脈。

 ノエルは夕暮れの共同墓地の手前まで歩き、土の呼吸を聴くようにしゃがんだ。草の背丈がわずかに違う。影の密度が棒のように集まって立つ。

 ――ここだ。

 暗渠の青が、赤でも緑でもない“第四の線”として、地図の裏にのたうっている。


「こんな時間に墓地?」背後で声がした。王都なまり。

 振り向くと、真新しい外套の男が二人。胸の留め具に、測量局の紋。

「見間違いだといいがね。王都に“協調性のない測量士”がいると聞いた」

 元同僚だ。ノエルは立ち上がる。

「観光ですか。墓地はおすすめしません」

「命令を伝えに来た。辺境の地図運用の権限は王都に属する。君の“私的編集”は不正だ」

 ミィナが一歩出る。「私的? この線がなかったら、あんたらの税車、昨日ひっくり返ってたよ」

 男は肩をすくめる。「感謝はする。が、ルールはルール」

 ノエルは淡々と地図を丸めた。「ルールは、地図に描いておきます。読めるなら、どうぞ従ってください」


 彼らが去った後、ノエルは墓地の端に立て札を一本、そっと挿した。

〈ここから先、静かに歩く〉

 札は検問ではない。ただのお願い。けれど、お願いの“正しさ”もまた、道を作る。


 夜。酒場の片隅で、ノエルは最後の一本を使うかどうかを迷った。

 暗渠の湧きは、今日こそ沈んだ。だが、明日、墓地の陰が伸びたら、あそこは口を開ける。

 ミィナがジョッキを置く音が、迷いを断つ刃みたいに響いた。

「残り一本、取っておきな。事故は忘れた顔して来る」

「そうだね。明日は“影”を動かす。影なら、変更の外で扱える」


 ノエルはあくびを噛み殺し、地図の余白に明日の予定を書いた。

《影の帯を移す。布の長さ×2、灯り×1、樹木の剪定×少し》

 地図は紙だが、道具は紙の外にある。それでいい。

 扉が開いて、夜の風がひと息だけ流れ込む。ルカが椅子の背に短刀を掛けて言った。

「俺、明日も先に走る。影の位置、実地で見たい」

「頼む。影は、青より難しい」


 眠る前、ノエルは鉛筆で細い線を一本、紙の端に引いた。昨日までの自分と、今日の自分の間に。

 湧出点は、封じつつ育てるものだ。完全に塞ぐと、どこか別の場所に“別の強い湧き”が生まれる。道は、逃げ道も含めて道だ。

 線は武器で、同時に縫い針。今日、世界に縫いとめたのは、わずか三目。

 だが、三目あれば布は落ちない。

 翌朝、ノエルは耳元に鉛筆を挟み、影の位置を見に外へ出た。墓地の上、雲がゆっくり千切れる。地図の外側で、世界の“拍”が少しだけ、揃ってきている。

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