第15話「条文は図に従う(第一部・終)」
朝、雲は紙の繊維みたいにほぐれて、王都路の膝は乾いた艶を返していた。
ノエルは机で図面の束を整え、一番上に白い紙を置く。上端に短く記す。
〈受理用写し・最終〉
その下に、さらに細く――〈本文=図/注釈=文〉。
広場の板の前は、祭りではないのに人が多い。ミィナ、ルカ、露店の母、見習い、親方、夜警、墓地の掃除人。子どもたちは「間の教室」の端で足をそろえている。王都からは受理隊。幟は少ない。代わりに、書式と封筒と硬い顔。
パルド局長が前に立ち、左右に法務官。少し後ろで、メルタが薄灰、エセルは襟を立てて目だけで笑う。
「受理の条件は、昨日の通りだ」局長の声は、削った石の平坦さをしている。「“拍の所有(=運用の帰属)”を王都文法に翻訳し、本文=図の写しに注釈として添付すること。……本隊は見る。突かない。今日は通すか否かだ」
通すか、否か。白黒の間に薄灰の帯が走る。薄灰の帯が、生活の居場所だ。
ノエルは広場の真ん中に**“受理の窓”を据えた。
膝の高さに、光の枠。足元は砂利の細帯が一歩だけ。見る札は三つ――矢印の傾き、足跡の間、鈴の×。読む札はない。代わりに、読み上げがある。
ミィナが半打**を一度。
「始めます。図が本文。文は注釈。押すのは路、見るのは場、空白は何もしない」
ノエルは図面第一号から第六号までを順に掲げ、踏む欄の上へゆっくり置いていく。
一枚置くごとに、読み上げは要約一行だけ。
「見えるところだけ、やる」
「空白は二段(半打・三打)」
「所有=運用=拍(足跡署名)」
「音は運用(紙上変更に数えない)」
「箱は動詞で分ける/札は“読む・見る”を分ける」
「観察窓=突かれても崩れない」
文は紙に眠っている。声は図の手前で止まる。本文は、もう目の前にある。
注釈はエセルが読む。短く、やわらかく、王都文法で。
「『運用の帰属は、公衆の可視的合意(踏む欄・読み上げ)に置く』」
「『空白は“神聖化せず、必要なら壊し、必ず戻す”』」
「『路(距離)は王都、場(拍)は村。場所分離で混線回避』」
文字が喉でほどけ、図の縁に吸い込まれていく。文は図の影になる。影は、光があるときだけ存在する。
受理の儀は、踏むことで終わる。
最初の足跡は、ミィナ。靴底を拭いてから、そっと置く。
次は露店の母、親方、見習い、夜警、墓地の掃除人。子どもたちは間の教室で覚えた拍を数え、一拍あけてから踏む。
やがて、王都側の一人が進み出る。法務官だ。眉は硬いが、靴は正直だ。膝で角度を合わせ、踏む欄に足を置く。灰の文様が土に混じり、“王都の灰”という署名が残った。
局長は短い沈黙の後、靴底をわずかに傾ける。
半打。
局長の足が、紙の端を押すのではなく、踏む。
押印でなく、踏印。文印でなく、歩印。
拍が、一段深く揃う。
「……写しを受理する」局長は乾いた声で言った。「本文は図。注釈は文。王都は王都路を持ち、君たちは場を持つ。空白は何もしない。——第一条から第四条まで、正式受理」
広場の空気が、すこしだけ高く吸気する。すー。
だが、局長は筒を指でこつと叩いた。「ただし、『緊急時の越境』条(赤導線が路に迂回を求める事態)について、付帯注釈を求める。拍だけでなく、距離にも合図を出せ」
付帯。
ノエルは頷き、図面の余白に小さな新しい欄を足した。
〈第五条(付帯)――越境の矢〉
赤導線が王都路へ斜めに入る小さな矢印。矢先に鈴の×。足元に砂利のひとかけ。
読み上げは一行。「赤は細く“矢”で越える/“鳴らない”で合図」
法務官が短く頷き、メルタは即座に要約を書き添える。
《付帯注:越境は図示(斜矢)+沈黙の表示(×)。紙上変更:1/狙い一本》
紙上変更が一本、きれいに使われた。
局長は鼻で息を吐き、短く言う。「受理だ」
拍手が起きる。大きくない。だが、揃っている。
ミィナが鐘を三打。
半打×2→三打の順は崩さない。
広場の音が静かにひらく。空白は“何もしない”顔のまま、祝祭を拒否する。拒否するから、守られる。
——と、その時。
地の下で、白い骨組みが一度だけ高く跳ねた。
受理の瞬間は、だいたい世界が試してくる。
“歌う風”の高い骨が、王都路の膝でわずかに共鳴した。
窓ではない。路の肩のさらに前。
音が“句読点”になる前の、前置き。
ノエルは体の奥で半打を一つ。
砂利の細帯の**“はじめ”に埋めた小石を指で回す**。
足元のサラが、サに変わる。半拍だけ先送り。
路の肩は膝のまま。句読点は二重にならない。
局長が目の端でそれを見て、ひとつだけ肩を落とした。
「図で押して、運用で受ける。——たしかに、文では遅い」
受理の場は、読み上げで締める。
ミィナ:「左=動詞、中=拍、右=数——『受理を踏む/三打/一式』『越境の矢を図す/三打直後/1』『砂利の“はじめ”を直す/半打/1』」
拍手。
ノエルは板の“今日の欄”を埋めた。
《受理:本文=図/注釈=文→正式受理》
《付帯:第五条(越境の矢)→紙上変更1(狙)》
《路:肩の前置き→砂利“はじめ”の小石で半拍先送り》
《勝:踏印(足跡)=署名の受理/数字=動詞・拍・数で読了》
《負:“受理祝祭”の芽→空白で抑制/読む札を増やさない》
王都隊が封筒を渡し、印影を二つ落とし、踏む欄の上で軽く頭を下げた。
局長は筒を脇に抱え、ノエルを見た。
「君のやり方は、王都でも敵を作る。図で本文は、紙を削る。紙を食べて生きてきた連中は、歯ぎしりするだろう」
「紙は薄いほど透ける。透ける紙は嘘を嫌う」
「……嫌な返しだ」局長は唇を歪め、しかし笑った。「王都に来い。図で揉めろ。第二部があるなら、そこで揉める」
エセルが脇から囁く。「来ないことが味方、は今日まで。明日からは来ることが味方になる」
メルタは手帳を閉じ、「数字は連れていく。『動詞/拍/数』で、財務も薄くなる」と言った。
薄い財務は、よく透ける。
王都隊が去ると、広場にいつもの拍が戻ってきた。
ルカが短刀の鞘口をこつと叩き、半拍ずらす。「終わったか?」
「第一部は、終わった」ノエルは頷いた。「次は“持ち出し”。図で行政を運ぶ段取り。路が長く、場が増えるほど、空白の“何もしない”が意味を持つ」
夕焼けの前、間の教室で子どもたちが「待つ」「戻る」「黙る」をもう一度遊ぶ。
少年が投函箱に紙を入れる。〈王都に行くなら、間の教室、誰に任せる?〉
ノエルは読む札を一行だけ貼る。〈“拍”を知ってる人全員〉
拍は所有されない。運用される。運用は、見える合意のものだ。
夜。
ノエルは宿の机で、図面の写し一式の最後尾に、最終注を置いた。
《最終注:この図は“所有されない”。運用される。運用は“見える拍”に帰属する。空白は何もしない。必要なら壊し、必ず戻す。神聖化しない。》
鉛筆の芯は短く、しかし音は長い。
窓の外で、白い骨組みがふわりと浮き、今夜はまるで礼のように、何もしないで消えた。
礼は要らない。
でも、拍は受け取る。
ノエルは灯りを落とし、胸の内で半打×2→三打。
耳を澄ませ、耳を澄ませ、開く。
地図は、予告状であり、契約書であり、遺書になりうる。
そして、街でもある。踏まれて、読まれて、汚されて、また拭かれる街。
第一部は、ここでいったん完。
路は王都へ伸び、場は拍を増やす。
空白は、何もしないまま、ここにある。