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第13話「見学路と“間”の教室」

 朝、風は粉砂糖みたいに乾いて、王都路の石畳は“肩”で息を弾ませていた。

 ノエルは図面第五号の上端に題を書く。

〈見学路/路の肩の整形/“間”の待機所〉


 路の肩――石畳の段差の小さな出っ張り。昨日、歌う風の骨が山の肩で折れた時と同じ、“高さの合わなさ”がここにもある。音は段差で跳ね、拍を割る。割れた拍は見学者の足を浮かせ、浮いた足は事故を呼ぶ。


「午前は“肩”の整形、昼に“見る札だけの街=見学路”を敷いて、午後は“間の教室”だ」

 板の前には、ミィナ、ルカ、露店の母、見習い、墓地の掃除人、パン屋、夜警。そして、王都から“見学願”の札を下げた役人十あまり。エセルは後列、メルタは手帳を開いたまま目だけを上げた。


 まずは肩。

 王都路の石畳は王都のもの、だが“整形の提案”は誰のでもできる。ノエルは法務官に短く言う。

「段差は音の肩です。ここだけ砂利の細帯を二歩前で終え、肩そのものは石を半月に削る。砂利が肩までかかると“句読点”が二重になります」

 法務官は眉を上げた。「砂利を短くして、石を丸める」

「ええ。読む札は一枚だけ――〈歩み続ける〉。見る札は石の目地に沿って“流れ線”を描く。足は絵に従う」

 ミィナが鉄を持ち、親方が刃を当て、見習いが砥を用意する。

 ルカが砂利の細帯の**“はじめ”**に小さな石を一つ埋め込み、指で“なだらか”を作る。

 半時で、肩は“角”から“膝”に変わった。音が跳ねず、歩みが息を弾ませない膝。


 次は見学路。

「本日の“見学路”は見る札だけ。読む札は読み上げで補います」

 ノエルは粉チョークで地面にうすい帯を引く。王都路の端から空白角の外縁をかすめ、鍛冶、協定帯、露店裏、墓地の縁へ戻る一周。

 見る札は三種だけに絞る。

 一、足跡の“間”……“歩いて止まる”の止を示す。

 二、矢印の“傾き”……「見るだけで触らない」を角度で言う。

 三、鈴の“×”……「今日は鳴らない」を示す沈黙の札。

「見学は流れる。だから読む札は邪魔になる。読むのは人間の仕事に戻す」

 読み上げ係は鍛冶。ミィナが鐘を半打だけ鳴らして言う。

「今から“見学路”を開通。押すのは路、見るのは場。空白は何もしない。質問は最後に“投函箱”へ、入れるだけ」


 見学一行が動き出す。

 空白角の欠けた膝が、視線を避け方へ導き、砂利の細帯は肩の手前でさらさら終わる。

 “歩み続ける”の絵を見た足は、句読点を打たずに息をする。

 鍛冶場では“寝る炉”の土の肺が静かに呼吸し、見習いが格子を撫でる。

 露店帯では“読む札”が一行に減り、見る札が低い位置で流れる。

 墓地の縁は〈ここから先、静かに歩く〉のお願いが門より強く働く。

 王都の役人たちは、最初は顎を上げていたが、二周目には足が図面を覚え、顎が下りた。顎が下りた役人は、たいてい善良だ。


 見学の列の後ろで、商売の匂いが育ちかけた。

 押印箱の横に、誰かが許可なき台を出そうとしたのだ。飾り縄、甘い匂い、立て札に“記念印”。

 半打。

 ノエルは見る札を一枚だけ、笑うほど大きく掲げた。足跡がその場でU字に折れて戻る図。〈戻る足〉。

 読み上げで添える。「押すのは路。“記念”は投函ではない」

 男は肩をすくめ、台を畳んだ。

 ルカが横をすり抜けざまに囁く。「間に商いを置くと、間が痩せるよ」

 痩せた間は事故の温床になる。間は栄養で太らせる。


 正午。

 図面の余白に、ノエルは子どもの待機所の小さな俯瞰を描く。

 名は〈“間”の教室〉。

 場所は協定帯の内側、空白角から三歩離れた膝の裏。

 構成は三つ。

 一、待つための間……踏木を“一拍おき”に置いた小道。

 二、戻るための間……足跡が自分に戻る見る札の床。

 三、黙るための間……鈴に×が付いた沈黙の桟。

「“間”は教えると上達する。待つ、戻る、黙る。三つの間が整うと、子どもは合図の言葉を使わずとも、拍で動ける」


 昼過ぎ、教室の材料集め。

 パン屋が木屑を持ち、墓地の掃除人が乾いた枝, ミィナが薄い鉄輪, 見習いが低い行灯。

 ノエルは読む札を一枚だけ、小さく貼る。〈ここは緊急の避難所ではない〉

「“待機所”は“避難所”じゃない。普段使いで体に入れる場所。緊急は空白が受け持つ」


 作りながら、ノエルは拍の遊びを入れた。

 踏木が一拍→二拍→一拍半の不均等。

 行灯の明かりが二つ点いて一つ消える。

 鈴は**×だが、ひとつだけ布越し**に“り”と鳴る隠し鈴。

 子どもはゲームを嗅ぎつける。拍のゲームは、正しさを“遊び”に変える。


 最初の生徒は、昨日“静かな道”で迷った少年だった。

 ルカが手を振ると、少年は少し逡巡してから“間の教室”へ入ってくる。

 ノエルは言葉を少なめに、「待つ間からどうぞ」と指で示す。

 少年は踏木の一拍に乗り、二拍を踏み、一拍半に一瞬つまずいて――顔が笑った。

「難しいの、ちょっと楽しい」

「間が自分で噛み合う瞬間が、楽しい」

 “戻る間”では、少年が足跡の見る札の上で回れ右し、沈黙の桟では、自分の呼吸をすー×3に合わせて止める。

 パン屋の子、見習いの妹、夜警の息子が次々と入ってきて、拍の遊びを覚える。

 ミィナが鉄輪を見せ、「これは三打だよ。鳴らさないけどね」と笑う。

 鳴らない合図を知るのは、最強の合図を知ることだ。


 見学二周目。

 王都の役人の中に、ひとり印影の多い男が混じっていた。筒を抱え、目の温度は低いが、好奇心に引かれている。

 パルド局長ではない。だが、局長の影を連れている。

「“見学路”は一時的な運用だな?」

「はい。見る札だけで組む街は、長く続けない。人は字で安心もするから」

「落としどころは?」

「図=本文/文=注釈を崩さず、定常運用では“読む札の要約一行”を戻す。見せる日だけ“見る札だけの街”にする」

 男は頷き、「写しに“見せる日の形式”として記録する」と短く言った。

 エセルが横で小さく息を吐く。監察にとっては好都合。見える運用は責任が追える。


 午後、肩が一箇所だけ“戻った”。

 石畳の職人が交代し、癖で角を立て直したのだ。

 音がコツンと跳ね、列の最後尾が脚を取られかける。

 半打。

 ノエルは職人の手を止め、見る札で“流れ線”を石の目地に上書きする。「絵が利く」

 職人は頷き、角をまた膝へ戻した。

 見る札は、ときに職人語の辞書になる。


 日が傾き、読み上げの時刻。

 今日は“見学路”の日なので、読む札の代わりに口で読む。

 ミィナ:「左=動詞、中=拍、右=数――『肩を丸める/午前/3』『砂利を短くする/肩の二歩前/12歩』『見る札を貼る/見学一周目/10』『読む札を眠らせる/見学中/一式』『間の教室を開く/午後/1』」

 拍手。

 メルタが注釈棚にさらりと書く。

《注:見学路=“見る札だけ”の日を定義/翌日“要約一行”へ復帰》

《注:路の肩=砂利は肩の二歩前で終える/石は膝に削る/目地に流れ線》

《注:“間の教室”=待つ/戻る/黙る(不均等拍)》


 ノエルは今日の欄を埋める。

《勝:路の肩の整形→跳ね音消失/句読点の二重回避》

《勝:見学路(見る札だけ)→顎の下降/足が図面学習》

《勝:“間の教室”→子どもが拍の遊びを獲得/“鳴らない合図”の共有》

《負:肩の“職人癖”で角復活→流れ線の上書きで矯正》

《負:見学商売の芽→戻る足で抑制/“記念印”は路の押印箱でのみ》


 読み上げが終わる頃、白い骨組みが一つ、空白の外で長く静止した。

 音程は、少し低い。眠りの骨だ。

 ノエルは耳で拾い、紙の端に短い譜を足す。

《夜:群れの“残り香”が戻る可能性→耳の結び目は二つだけ残す/鈴は布越しへ》

《明日:**見学路を“見学路にしない路”**へ――見せかけのない導線を一本通す(常設の“観察窓”)》


 片付けの途中、少年が投函箱に紙を入れた。

 〈鍛冶手伝い、もう一日。間の教室、また行く〉

 動詞で来た。拍で来た。

 ミィナが短く笑って、読む札を一行だけ貼る。〈明日もやる〉

 読む札は、時々こうしてやる気の窓になる。


 夜の前、エセルが言う。「明日、視察本隊が来る。見学ではない、“検査”。見せるのではなく、突く」

 ルカが頷く。「突く足は拍の外から来る。なら、外との接点に“観察窓”を置こう」

 メルタが注釈に一行。

《注:観察窓=“見る札のみ/読む札なし/押さない/置かない”の四原則/路と場の境界の膝に設置》

 観察窓は、見せるためではなく“見られても崩れない”ためにある。


 宿で、ノエルは図面第五号の写しに注釈を添える。

 注1:路の肩(砂利=二歩前終了/石=膝)

 注2:見学路(見る札のみ/読み上げ併用)

注3:間の教室(三間/不均等拍/鳴らない合図)

注4:商売と間(間は太らせる/記念印は路の押印箱)

注5:観察窓(四原則/膝に設置)

 末尾に、細い字。

《“見せる地図”と“働く地図”は同じ図であってよい。ただし、日付と拍を必ず記す。拍のない展示は、嘘》


 灯りを落とす前、ノエルは耳元で半打を一度。

 外では、夜警のこつ・…こつ・…が“寝息=拍”の下で低く流れる。

 地図は紙の上から、また間へ降りていく。

 明日は“突かれても崩れない”の検査だ。観察窓を膝に置き、読む札は口に任せ、見る札で骨を見せる。

 刃は両側にある。

 だから、角は膝に、札は低く、責任は深く。

 半拍だけ息を止め、ノエルは眠った。拍は、まだ揃っている。

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