第10話「箱の居場所/読む札・見る札/路と場の音」
朝、空気は乾いて軽く、風は紙の端を捲りたがっていた。
ノエルは図面第二号の上端に題を書いた。
〈箱の居場所/読む札・見る札/路の音、場の音〉
王都は箱が好きだ。通達箱、意見箱、押印箱。箱は責任を四角に詰める道具だが、置き場がない箱は、責任をそこらにぶちまける。
広場に板を立て、まずは箱の線から引く。
「箱の居場所を三つに分けます」
ノエルは粉チョークで四角を描き、角をそれぞれ欠けさせて性格を与える。
A:〈読取箱〉――読むだけ。王都通達の閲覧専用。
B:〈投函箱〉――入れるだけ。意見・連絡。
C:〈押印箱〉――押すだけ。印のやりとりは王都路に限る。
位置はこうだ。読取箱は協定帯の内側の端、投函箱は露店裏の影の帯の縁、押印箱は必ず〈王都路〉の表示の真下。
「箱は“動詞”で区別します。読む/入れる/押す。混ぜない。混ざると、箱は口になる」
ミィナが鼻で笑った。「口にすると喧嘩を食べる」
「だから、欠け角を付けました」ノエルは指で角を叩く。「この欠けが“置き方”を制限する。読取箱は人の流れに背を向けて置く。投函箱は影の帯に沿って置く。押印箱は路に正対する」
次は札。
「今日から札は、“読む札”と“見る札”に分けます」
ノエルは二枚の札を掲げた。
読む札――文。文字は短く、動詞から書く。〈読むだけ〉〈押すのは路で〉。
見る札――絵。矢印、足跡、鈴、鐘、欠け板。
「読む札は目を止めるためにある。見る札は流れながら理解できるためにある。二つの札が喧嘩しだしたら、見る札を残して読む札を捨てる」
ルカが頷く。「遠征帰りの頭でも読めるやつが“見る札”。神妙な顔の役人でも読めるのが“読む札”」
「両方読めるのがいちばん偉い」
午前、さっそく事件が勝手に来た。
王都路の端に、押印箱が二つ運ばれてきて、空白角へ吸い寄せられかけたのだ。
ノエルは半打を鳴らし、矢印の鈴を指で一度だけ殺す。
「押印は路。箱は路。路は距離」
読む札を一枚、笑うくらい大きく掲げる。〈押すのは路〉
見る札は、路の石畳の模様を真似た絵。人は絵に足を合わせたがる。
押印箱は王都路の真下に収まり、空白角は息を取り戻す。四角は“何もしない”顔に戻る。
その頃、広場の別側では投函箱が影の帯にうまく馴染んでいた。露店の母が「読み上げお願いします」と紙を入れ、墓地の掃除人が「影の剪定は来週」と書き込む。
ノエルは図面の端に小さく書く。
《箱:読取=場/投函=影/押印=路》
《動詞で区別→置場が確定→拍が乱れない》
昼前、音の出番。
王都路に、石畳を敷く小隊が入ってきた。路の音は固く、速い。歌う風の拍を食い破りやすい。
欠け板は路に置けない。代わりに、ノエルは路の端へ砂利の細帯を通した。幅は足半分、長さは空白角の手前まで。
「砂利は“音の毛布”。路の“カン、カン”が場へ来る前に、砂利が“サラ”に変える。逆位相の布団だね」
親方が砂利を撒き、見習いが均し、ルカが踏んで確かめる。
路の“カン”に、砂利の“サラ”、場の“トン”、溝の“チャプ”、鈴の“り”。
音が喧嘩しない配置に落ちる。
白い骨組みが一つ、ふわっと浮きかけて、そのまま空白の外へ抜けた。逃がし成功。
と、そこへメルタ。今日も薄灰、目の温度低め、手帳はいつも通り。
「“読む札/見る札”の区別、帳簿にも移す」
「どうやって?」
「読む項目=動詞、見る項目=数字。帳簿の左に動詞、右に数量。真ん中に拍」
ミィナが手を打つ。「読み上げに拍の欄が入るの、好き」
「好みは最後。先に伝達率」メルタは素っ気なく言い、手帳に注釈を書き足した。
《帳簿:左=動詞/中=拍(時刻・半打・三打)/右=数量》
数字は固いが、拍はやわらかい。固いとやわらかいが一冊にいると、帳簿は生き物になる。
午後。
読取箱の前で人だかり。王都通達の文が長く、読む札の暴力が起きかけた。人の時間を奪う文は、それだけで暴力だ。
ノエルは読む札を要約一行に置き換える。〈本日:通行印=王都路のみ/協定=協定帯のみ〉
全文は読取箱の中にしまう。読む人は読む。通りたい人は絵を見る。
エセルがいつの間にか立っていて、短く言う。「文の保存と表示の分離。監察はそれを好む」
「法務は嫌う?」
「文が“掲げられたい病”にかかるからね。今日は薬になる」
小さな盗みが起きたのは、その直後だった。
投函箱の陰で、少年が袋へ手を伸ばした。影の帯は、安心と一緒に魔法みたいな手を育てる。
半打。
ノエルは影の帯に見る札を一つ追加する。足跡の絵が、折り返して自分に戻ってくる図。
「“戻る足”の絵は、嘘がつきづらい」ルカが低く言い、少年の手が止まる。
ミィナが近づいて、投函箱の欠け角を指で叩く。「箱は口でも腹でもない。胃袋はこっち」
ミィナは小袋を少年に渡した。〈鍛冶手伝い 一日分〉の札。
見る札が空気を締め、読む札が逃げ道を与える。拍は乱れず、罪も育たない。
ノエルは負けの欄に書く。
《負:影の“安心→油断”の芽/投函箱の位置は一歩だけ高く》
王都路では、押印箱の前にまた列が伸びた。
列の先頭で法務官が言う。「押す者の順番は王都が決める」
ノエルは首を横に振る。「押す順は距離で決める。路の距離は王都のもの。拍は場のもの。混ぜない」
列は距離で、読み上げは拍で。王都と辺境の二本立ては、今日も辛うじて喧嘩しない。
夕刻、帳簿の読み上げ。
ミィナ:「左=動詞、中=拍、右=数量で読むよ。――『鈴を結び替える/半打×2/6』『砂利を敷く/三打後/細帯12歩』『読む札を要約する/正午/1枚→1行』」
拍手。
メルタが短く頷き、エセルが注釈を加える。
《“読む札”の全文は箱へ/“見る札”は流れに貼る》
《箱は動詞で分け、欠け角で置き方を矯正》
《路の音=王都/場の音=村→砂利の細帯で位相をずらす》
ノエルは今日の欄を埋める。
《勝:箱の三分法(読む/入れる/押す)→混線解消》
《勝:札の二分法(読む/見る)→視界疲労の軽減》
《勝:“砂利の細帯”で路音の減衰→歌う風の位相安定》
《負:投函箱周辺の油断→高さ一段/見張りは置かない(見る札で矯正)》
《負:読む札の“掲げられたい病”→要約一行化で暫定対応》
夜。
図面第二号の写しを作り、注釈を添える。
注1:箱の動詞分離(読む/入れる/押す)
注2:札の役割分離(読む=停止/見る=移動)
注3:路音と場音の干渉回避(砂利の細帯)
注4:影の帯の防犯は“見る札”で(戻る足の絵)
末尾に、また細い字。
《箱は所有されない。置かれる。置き方は“拍”で合意する》
窓の外。
白い骨組みが、今日は二重になって漂った。高い骨と低い骨。音程が二つ。
ノエルは耳で拾い、紙の隅に短い譜を足す。
《明日:住宅区画の“静音設計”へ。寝息=拍の基準線》
《対策:壁=布→土→木の三層/夜の札=見る札のみ/足音の砂利帯を“細く短く”》
ミィナが扉を叩き、顔だけ出した。「明日、家の話をしよう。炉はうるさい。うるさい炉は可愛いが、隣人が泣く」
「静音設計。暮らしの回だ」
ルカが背後で短刀を外し、ため息をひとつ。「寝る時だけ、俺は案内をやめる」
エセルは薄く笑い、メルタは無表情で頷く。
拍は、ゆっくり落ち着いた。
ノエルは鉛筆を耳に挟み直し、半打を心の中に一度だけ鳴らす。
明日は、眠りの地図を引く。法は踏まれて強くなる。眠られて、さらに強くなる。