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カメレオンの特徴やレーザー銃の使い方は、一応熟読してから来ている。とはいえ、唯奈の小学生平均レベル以下の脳みそで、どこまで理解できているかは怪しいところではあるが。
――あんまり遠いと当たらないけど、あいつの舌ってカメレオンみたいに長いみたいだし……向こうの射程に入る前に撃たないと多分意味ない……!
真紀がまだ何かを叫んでいるのは聞こえていたが――無視した。というか、集中しすぎて他の音が聞こえなくなる現象というものが実際にあるということを、たった今唯奈は実地で体験している真っ最中であったのである。
鮮やかではなく、まるでくすんだようなドス黒い紫の体が、どたどたと足を鳴らしながら近づいてくる。速度は、そこまで速いわけではない。そして、レーザー銃も充電が切れたら使えなくなってしまう。弾数を無駄にするわけにはいかない。なるべく少ない段数で、相手を無効化しなければ。
ならば、狙うべきはあの、カンガルーのように発達した太い足。当たる範囲はそこまで狭くなさそうだ。集中すれば、自分のような素人だって多少なりに扱えるはずである。というか、素人が全く使い物にならない銃なら、家に置いてあっても全く意味をなさないわけだから。
――足を撃って、鳴き声を上げさせないように首を撃ったら……そのまま脇をすり抜けて、二人で走る!学校まで、最短距離を行く!
体力がもつかどうかわからない、なんて心配は後でするべきだ。今は、オオトカゲの親が気づかないうちに、子供の動きを封じることに集中するべきなのだから。
「ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
気持ち悪い鳴き声が、近づいてくる。薄暗い電灯の下、暑い気候にも耐えうる分厚くてボコボコと隆起した皮膚がはっきりと見えてくる。爛々と光る、ぎょろんとした二つの目玉がごろごろと転がりながらこちらを見据えているのがわかる。がばり、と大きく開いた口から長い舌と、それからずらりと並んだトゲトゲの牙が覗いている――。
汗で滑る指に、唯奈は力を込めた。チャンスは――そう。
――今だ!
引き金を、引いた。レーザーというより、それは金色の電撃だ。迸るそれが連続してオオトカゲの子供の両足、そして首元に直撃した。喉をやられたオオトカゲは全身を震わせ、声も出せずにその場に崩れ落ちていく。
ああ、奇跡が起きた。唯奈は思った。そして――もしかしたらそれは、命を賭けて戦う覚悟を決めた唯奈への、神様のたった一度きりのギフトであったのかもしれない、とも。
「真紀!今だよ、走って!学校まで!!」
唯奈は叫び、真紀の腕を掴んだ。
奇跡を貰ったのだとしたら、それを未来に繋ぐのは紛れもない、唯奈自身の仕事のはずである。まだ何も、終わったわけではない。
***
幸い、正面から学校に入るのまではそこまで難しいことではなかった。小さなオオトカゲにはあの後二度ほど遭遇したものの、スピードがそこまで速くなかったために逃げ切ることに成功でき、かつ巨人サイズのオオトカゲは学校の裏手の方に集中していたからである。同時に、窓硝子は既にあちこちが割れていて穴あき状態であったため、中に入るのもそこまで難しいことではなかった。裏を返せば、学校内部にトカゲが侵入する可能性も十分にあるわけであったが。
「ゆ、唯奈……」
全力疾走し、疲れきった二人は。現在昇降口に入ったところで、大きく肩で息をしてしゃがみこんでいるところである。
「ありがと……ほんと、ありがと。唯奈来なかったら多分あたし、今頃あいつらのエサになってたと思う、から……」
「……いや、いいって。……私も、真紀いなかったら……絶対心細かったし……やば、疲れた……」
「うん……でも、あたし役に立ってないどころか、足引っ張ってるし……」
どうやら、怯えてばかりで結局戦えなかった自分のことを、真紀は心底悔いているらしかった。銃がないんだから仕方ないよ、と唯奈は思うのだけれど。なんだかんだでプライドの高い彼女は、そんな言葉では納得してくれないのだろう。
気にしなくていいのにな、と思う。
足を引っ張るだの引っ張らないだの、友達同士で、そんなことを考える必要なんてないのに、と。
「あのさ、唯奈……」
少し息が落ち着いてきたらしい、真紀が言う。
「今だから、本当のこと、言うけど。……あたし、唯奈に言ったじゃん?唯奈はあたしと違って性格ブスじゃないから、って。あれは本当なんだけどさ」
「うん?」
「……本当はね。……唯奈は、『それだけ』だと思ってたんだ、あたし。唯奈はいいヤツだけど、いいヤツなだけってタイプなのかなって。それがあんたの一番いいところではあるんだけどさ。なんていうか他のみんなも……あんた自身も。あんたのことを、そういうふうにしか見てないんじゃないかなって感じてたんだ。あたしからすると、ソコが一番足らないところだったからさ。むしろ憧れてはいたんだけどね……ってごめん、言葉ぐっちゃぐちゃでまとまってないんだけどもさ」
『無理に理解しろとは言わないよ。……唯奈はあたしと違って性格ブスじゃないもん、わからなくても仕方ないでしょ』
確かに、彼女はそんなことを言っていた。それが一番のコンプレックスなんだろう、ということも理解していたのだ。
真紀は美人だけれど、だからこそ見た目だけで何もかも誇れると思っていた己を恥じていたし――自分が弱いことを理解していても、それを治せない己を心底嫌ってもいたのだから。
「でも……でもさ。なんていうか、こんなことになってさ。さっき、銃があるとはいえあたしを助けに来てくれてさ、戦ってくれる唯奈を見てたらさ。……ああ、あたしとは全然違うって思ったんだよね」
真紀はたどたどしくも、一生懸命言葉を紡ぐ。
「あたしはギリギリになっても全然頑張れなくて、唯奈に助け求めて一人で震えてただけだけど、唯奈は全然違うじゃん。あたしが怖がってたらすぐに飛び出してきて助けてくれたでしょ。友達守るために一生懸命になってくれるでしょ。……土壇場で、誰かのために凄い力が出せて、頑張れる奴。それがあんたなんだって今はっきりとわかったよ。超カッコいいじゃん。こんだけ長い付き合いなのにさ、あたしあんたの一番いいところ知らなかったんだなあって思ったら……すごく恥ずかしくなったし、申し訳なくなった。だからなんていうかその……ごめん。ほんと」
脈絡無い言葉だったが、だからこそそれは真紀の本心に近いものであったのだろう。唯奈は少し驚いて――つい、笑い出したくなってしまった。その理由は、つまり。
「……なんていうか。結局似たもの同士なんじゃないかなーって、今思ったよ?私と、真紀」
彼女の隣に座り、唯奈は笑う。
「いいヤツってだけのヤツ。……私もそう思ってた。平凡なのがコンプレックスで、他になーんもなくてさ。いいヤツっていうけどそれは、他の人に嫌われたくなくて、嫌われない言葉ばっかり探してるつまんないヤツってことでもあるんだよね。地味だし、一緒にいてみんなは本当に楽しいのかなって正直ビクついてたんだ。……でも、真紀は、そんな私といっつも一緒にいてくれた。どんな新しい環境でも、真紀がいればどこでも笑っていられた。真紀が友達だったからなんとかできたことなんかたくさんあるんだよ?そんな私なんかと友達でいてくれたってだけで、真紀は全然性格ブスなんかじゃない。心から私はそう思ってる」
「そうかなあ……だってさ、あたし……」
「助けを求めたことなんか気にしないでよ。友達じゃん。一人で抱え込まれて一人で死なれた方がよっぽどメーワクだったもん。そうならなくて、本当に良かったよ。だからもうこの話はおしまい。全く気にすることなんか、ない!ね?」
嘘は、何一つ含まれていなかった。
真紀がピンチになったことで、この世界で生きていくことがでいなくなったのは事実だ。けれど、今回はそれがたまたま真紀であったというだけなのではないかと心からそう思っている。ちょっと何かが違えば、家を失って家族を奪われていたのは唯奈の方であったのかもしれないのだ。そう思えば、いずれにせよ自分達は命懸けでテレポートブロックを目指す羽目になっていたように思えてならないのである。
だから彼女が、気にする必要などない。
怖いものはいくらでもあるけれど、頑張る勇気が完全に持てたとは言い切れないけれど――それでも、友達を見捨てて平気でいるような人間にだけはなりたくないのである。それを決意できるようになってしまったら最後、それはもう唯奈が臨む唯奈ではないのだから。
「そろそろ行こう。オオトカゲが校舎の中に入ってくるかもしれないし、零時まで三十分くらいしかないんだから」
ほら、と唯奈は立ち上がり、真紀に手を差し伸べる。真紀は潤んだ眼で、うん、と頷いて手に捕まってくれた。残念ながらヘルメットがあるので、涙を拭うことはかなわない。伸ばした手も、硬いグローブの感触しか伝えてはこないけれど。
「次が、あたし達の終着地点かもしれない、んだよね。テレポートブロックが存在しない世界かもしれないし……そうでなくても、いつまでもこうして逃げ続けるわけにはいかない、から」
まだ覚悟ちゃんと決まってないけど、と真紀。
「でもさ。どんな世界に行ってもさ。……唯奈は、友達でいてくれる?いつか、あたしが唯奈にちゃんと……恩返しできるようになるまでは、さ」
精悍で整った顔には、涙でぐちゃぐちゃの不安がこれでもかと滲んでいる。だから真紀は、そんな唯奈を安心させるように――コツン、とヘルメットの中心を指で小突いてみせたのだった。
「できればそこは、しわくちゃのババアになるまでって言って欲しいなあ。……大丈夫だよ、真紀。もう迷わない。真紀がそばにいなかったらその時はちゃんと……真紀のことを、探しに行くから。何回離れたって、何回だって」
ガシャン!とどこかで硝子が割る音が響いた。カメレオンが侵入したのか、あるいは振動の余波か。
とにかく急ごうと頷き合い、唯奈と真紀は西階段の方へと向かっていった。祈るような気持ちで、互いの手をしっかりと握って。




