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自分達は、この世界で生きていく覚悟を決めるべきかもしれない。唯奈はその夜、一人でベッドに寝転がって考えていた。締め切られた窓、かけっぱなしのエアコン――それでも自分が知る世界と変わらず、煌々と照らす電灯の明かり。窓を開けられないために、朝が来たことがわかるよう一定時間になると自動で点灯する仕組みになっているらしかった。唯奈が目覚めた時、既に部屋の明かりがついていたのはこのためである。
夜ならばまだ、外の気温はマシになる。四十度以下まで下がるので、特殊な紫外線カットスーツを着れば表を歩けないこともないのだそうだ。ただし、それでも暑いことには変わらず、同時に危険も伴うことから子供が外を出歩くことは緊急時でない限り禁止とされている。
そう、危険があるのだ。暑すぎる気温と、強すぎる紫外線や有害物質ばかりではない。人間が出歩けずロボットばかりが闊歩するこの世界で、それでも適応して進化した生物が、無法地帯さながらに歩き回っているからなのである。
元々は灼熱の熱帯にだけ存在していたトカゲの類が、外敵がいなくなったことで進化して巨大化し、無人になった街を縄張りにしているのだという。何が厄介って、いくら暑さに適応できても、彼らが食べる餌はごくごく限られているということだ。僅かな砂の中に生きる微生物や、ほんの僅かに生き残った植物・虫などを食べて生き延びる連中。彼らは常にギリギリの飢餓状態であり、外に出てきた人間を見かけると即座に襲ってくることでも知られているのだという。要は、数少ない水分たっぷりのご馳走であるからなのだとか。夜の気温が低い時間であっても、外に出かける人間が滅多にいないのはそのためである。
武器がないわけではないが、灼熱に耐えうる彼らの装甲は極めて硬い。レーザー銃を使っても、一時的に麻痺させるだけで限界なのだという。それはつまり、唯奈と真紀がこの世界において――再びテレポートブロックを踏みたいと考えるのなら。文字通り、命を賭けなければいけないことを意味していた。
――オオトカゲ達は、日中の方が活発に動く。夜行性じゃないから、夜は眠っていることが多い。それでも……夜に連中に気づかれて起こしてしまい、捕食されてしまった人は何人もいる……。
自分達は、ただの小学生だ。運動神経のいい真紀はともかく、唯奈の身体能力など普通の小四女子の平均程度でしかない。万が一トカゲに追われたら、生き延びられる自信など全く無かった。敵は、暑さと未知の猛獣。自分達はもう、今までのように簡単な気持ちで世界を捨てることなどできはしないのである。
――ここが、最後の選択なのかな。……選ぶしかないのかな。この世界で生き抜く覚悟を決めて元の世界に戻る希望を完全に諦めるか……あるいは死の覚悟を決めてでも、テレポートブロックを踏みに行って可能性に賭ける勇気を持つか。
どちらの選択も、生半可な覚悟ではできないとわかっていた。
もう自分達に、安易な逃げ道など残されていないということも。
――もう、楽な方向に逃げることなんかできない。……できないんだ、私達には。
これが、現実なのだ。唯奈はごろんとベッドで寝返りを打ち、こぼれかけた涙を強引に袖で拭った。
都合の良いカミサマなんてものは、自分達の目の前に現れない。楽な方に、安易な方に逃げて逃げて逃げて、その結果が今の自分達だと思うと自業自得過ぎて笑うこともできないではないか。結局、突きつけられるのは覚悟がなければ選べない選択だ。決意をしなければ、自分の強い信念を持たなければ生きていくことさえままならない。もう選択を先延ばしにすることも、勇気や覚悟がなくても選べる慰めを捜すことも、自分達には許されていないのである。
何かを間違えたとしたら、きっと最初から何もかもが間違っていた。
どんなに閉じこもって、甘くて都合のいい妄想にばかり浸っていても。現実はけして、自分達を待ってくれるということをしない。最後には必ず、覚悟がなければ選べない二者択一を迫られる。自分達にとってはそれが今だったというだけなのだろう。そしてその時が来ることさえ想像できなかった時点で、自分達にはやはり覚悟なんてものもなかったのだろう。
――勇気がなかったツケが、この結果か。……馬鹿なことしたなあ、私達。
願うなら、一番最初に――安易な気持ちでテレポートブロックを試してしまった日に戻りたい。
自分達が本来生きてきた世界の父や母は、きっと本来の娘が異世界に飛んでしまったことになど気づいてもいないのだろう。既に、予想はついているのだ。自分達は、体ごと異世界に飛んでいるわけではないということに。きっと魂だけが、本来異世界で生きていたはずの自分達のそれと入れ替わっているだけだということに。
つまり自分達は転移を繰り返すごとに、本来この世界を生きていたはずの唯奈と真紀から、強引に体を奪い取っているに他ならないのだ。彼女達は今の自分達と違って、この世界の運命を受け入れて、ちゃんと覚悟を決めて生きていたかもしれないのに。自分達は自分達の都合だけで、己が捨てた世界を彼女達に押し付け続けてきたのである。
これが罪でなくて、なんだというのだろう
唯奈だって、普通に生きてきて突然朝起きて世界が変わってしまっていたら――それが異世界転移した自分のせいだと知ったら。恨みに思わない自信など、けしてないのである。
『一方通行だっつっただろうが。ちょっと亜種の呪文見つけてみたみたいだが、それ試したって元きた道を戻れるわけじゃねえ。マシな世界に行ける保証なんか一個もねえんだぞ。それで、また大変な世界だったら同じ言い訳してテレポートブロックを踏むのか?』
『どうして欲しいわけでもねえよ。俺からすれば、お前らが不幸になろうが破滅しようが知ったことじゃない。余計な被害を増やすのがちょいと気に病んだから忠告しただけだ、あくまでちょっとした善意だ。それを足蹴にしたのはお前らだろうが』
『俺が一番呆れてんのは。お前らみたいな馬鹿を何人も見てきてるからだ。異世界に行きたい、異世界で今の自分と違った自分に生まれ変わりたい、都合のよいチートになりたい美少女になりたい無条件で愛されたい退屈じゃない刺激的な毎日を過ごしたい……いや、そういうものを想像するのは自由だぜ?妄想するのだって創作するのだって好きにすりゃいいさ。けどな。それを“本当に望んでいいのか”ってことに、どうしてどいつもこいつも気づかねぇのかね』
あの時。聖也が言った言葉の意味が、今なら痛いほどよくわかる。
突っかかったのは真紀の方で、唯奈は何も言うことができなかった。でも、あの時はまだ真紀とほぼ同じ気持ちだったのである。軽い気持ちで行った異世界転移でこんなことになり、その責任を自分自身で取らなければならない事態に怯え、己の過ちを認める勇気も出せず。
真紀が言わなければ、きっと唯奈が言っていた。
自分達がしたことがそこまでの罪だとは思えないと。そして今更責められたところで取り返しがつかないことなら、これからの自分達はどうやってこの事態を打開すればいいのかと。
全く都合のいい話ではないか。彼はちゃんと、一回目にやらかした時点でテレポートブロックの恐ろしさをきちんと教えてくれていたというのに。
一方通行。元の世界に帰れる保証はない。もう二度と使ってはいけない――それを無視したのは、自分達の方だったというのに。
『……断言するよ。お前らみたいな欲深くて、どんな世界でも一生懸命生きようとしない奴らが……本当に満足できる世界なんか、どんだけ転移しても辿り着ける筈ねえってな』
覚悟を、決めなければない。もう、決めるしかない。
『いつまでも繰り返し続けることができると思うな。……どんな運命にも、必ず終着地点はあるのだから』
――腹を、括ろう。……この世界が、私達の最後の場所。どれほど怖くても、危なくても……この世界の家族と一緒に生きていく。その覚悟を決めよう。この世界で、本気で生きてみよう……。
未練を涙と共に拭い、唯奈が真紀に連絡するべく携帯電話を手にした時だった。
唯奈がメール画面を出そうとした瞬間――手の中のそれが、激しく震え始めたのである。
「!」
バイブ設定にしてあるので、音が出ることはない。しかし目の前の画面が、この震えが“電話着信”であることを示していた。表示されている名前は、“太田真紀”。
「真紀?」
嫌な予感がした。唯奈は恐る恐る通話ボタンを押す。そして、親友の名前を呼びかけようとした、その瞬間だった。
『唯奈……唯奈、助けて!助けて!!』
電話の向こうから、つんざくような真紀の悲鳴。
『私の家、家が壊され……家族みんなどっかに行っちゃってわかんなくて……どうしよう、どうしよう!このまま外に取り残されたら、あたし死んじゃう……!』




