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日本の生理用品の歴史と男性

 はるか昔から世界には共通の認識として、男性は生理中の女性に触れてはならない、というタブーが存在していた。これは女性の心身を守るために自然に生まれたルールではあるが、時代や地域によって、その特別扱いやがてが差別・偏見へとつながっていくことになった。


 古事記においてはヤマトタケルノミコトが遠征先の有力者の娘のミヤズヒメと夜を過ごそうとしたとき、着物の裾に女性の生理の跡がついているのを見つけて

「あなたの着物に月が出ています」

 という意味の歌を詠んだと記述がある。それに対しミヤズヒメが

「あなたをずっとお待ちしていたのですから月も出るでしょう」

 という意味の返歌をしている。

 この話は伝説ではあるが、このような歌が残されるあたり日本の古代において(ヤマトタケルノミコトが実在していれば4世紀ごろの人、古事記が編纂されたのは8世紀)生理を忌まわしい物とは思われていなかったことが分かる。

 しかし9世紀以降になると、神事のルールブックで生理を穢れとして扱うものが増え、女性は生理期間には参拝を行ってはならない、などの記述が現れるようになる。女性へのタブーの明文化が女性差別へとつながっているが、どちらが先なのかは不明瞭である。


 昔の日本では、女性の生理への対処法として、布を詰める、あるいは紙が普及するとそれを詰めておくという方法が採られていた。この方法は衛生の面で問題があり、しばしば感染症の原因となっていたようである。それもまた差別を生み出す要因になっていた。そして、生理期間中の女性は、忌み小屋という普段の家とは違う場所に隔離されて静かに過ごすようにしていたが、地域によっては忌み小屋でも労働を強いられてつらい思いをした女性も多かった。

 13世紀(鎌倉時代)、道元上人が著した「正法眼蔵」にはこのような記述がある。

「僧たるもの、きらびやかに着飾ってはならない。汚れたボロ布を纏え」

 その例として経血の汚れを挙げている。仏教では仏法を求める者に男女の別はないとしているが、この時代では生理は穢れとして意識されていたことが分かる。


 明治時代になると西洋医学が日本に普及し、衛生の観点から、脱脂綿を当ててそれを専用の下着で固定するという方法が推奨された。この方法は働く女性にとって便利なものであったが、それでも激しく動くとずれてしまうことから行動に制限がかかっていた。また、脱脂綿も何度も取り換えて使うにはやや高価なものであった。そして、日本が戦争に突入すると、脱脂綿はもっぱら戦地で戦う兵隊のために使用されるようになり、女性の生理用品は以前に逆戻りしてしまうことになった。


 日本の敗戦後、しばらくすると女子学生を中心にアメリカ製の生理用ナプキンが噂になる。輸入品ゆえに高価なものだったが、こんなに便利なものがあったのか、これならアルバイトしてでも購入したいと評判になった。

 そんな様子を知った坂井泰子という女性が日本人女性の体格に合わせた日本製ナプキンを供給したいと考え、新会社の設立を構想した。しかし出資者を募る際には「女性の生理で金儲けする男なんて」と難色を示されることも多かった。協力を決めた会社の社長も社員から反発されることがあったという。

 新会社の社名は「アンネ」に決まった。『アンネの日記』が由来で、少女の生理に対する素直な気持ちが綴られていたことからである。

 ナプキンの開発にあたって男性社員が生理の実態を調べ、女性は毎月こんなに辛い思いをしていたのかと改めて驚いたという。また、当時は若い女性社長が珍しくそれだけで宣伝効果になっていた。従来の生理用品よりも大々的に宣伝されたアンネナプキンは1961年に発売され瞬く間に完売となる。

 このヒットによりアンネは生理の代名詞となる。正式名称は月経であるがそれをストレートに口にすることは恥ずかしがられ、遠回しに生理という言い方にされたがそれもすぐに恥ずかしいものになってしまった。アンネという女性名には羞恥心を緩和し抵抗感が減るという効果があった。もっともその広まりのため、アンネという言葉で男子小中学生が女子を冷やかすという事態にもなってしまっている。1973年にフォークデュオのあのねのね(清水國明、原田伸郎)が「赤とんぼの唄」というコミックソングでデビューしヒットしているが歌詞の中に下ネタとしてアンネという単語が使われている。

 やがてアンネ社は後追いの他社との競争に負けライオンに吸収される。それとともに月経の呼び方はアンネという言葉から生理という言葉に戻ったが、以前ほど言いにくい言葉ではなくなった。


 アンネ社を猛追し追い越したのがユニ・チャーム社である。1976年、同社は歌手でタレントの研ナオコにCM出演のオファーをする。当時は芸能人が生理用品の宣伝をするなどイメージダウンになると考えられていた。研ナオコの所属事務所も当然断ろうとしたがユニ・チャーム社の懇願に折れ出演が決まる。研ナオコは歌手としてデビューしているがバラエティー番組で大口を開けてギャハハと笑ってみせるなど従来の女性タレントのイメージを打ち破る活動をしていたことが理由だったのかもしれない。CMの評判は良く、ユニ・チャーム社は業務成績を大幅に上げ、生理用品のCMに革新を起こした。

 その後の生理用品のCMでは、主に女性の好感度の高いお姉さんなイメージのタレントが出演しているが、それなりの割合で男性タレントも出演している。1977年には松崎しげるが数人の若い女性とともにP&GのCMに出演。健康的な女子のイメージの良さをアピールした。1981年には桑田佳祐がアンネのCMに出演。男性から女性への感謝と敬意をこめた内容であった。また、1985年には笑福亭鶴瓶が月の被り物をして女の子と会話するユーモラスなイメージのユニ・チャームのCMに出演している。

 調べてみて意外だったが思っていたより男性タレントの割合は多かった。初期には女性タレント側が出演し(させ)たがらなかったからというのがあるだろう。しかし事情はどうあれ、男性タレントのCM出演が、男性の生理への意識・理解を促していたという面もある。現在でもなお男性のCMに対する印象、男性がパートナーや家族のために生理用品を購入することに対する意見は真っ二つに分かれている。しかし生理用品の進化と共に女性の行動の枷が減じていったように、不必要な忌避感や差別感情も減じていくべきではないか、と思う。

参考文献・田中ひかる「生理用品の社会史」

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