第9話
「本来ならわたくし達の痕跡を残すことは避けたいので、貴女も殺すべきなのですが……」
ふんわりと広がる薄いスカートを揺らし、少女は足を止めた。手にした銃を、倒れたままの若葉へと突き付ける。
「どうでしょう、わたくし達の存在を口外しないというのなら、生かして差し上げますが」
「……」
若葉は、突き付けられた銃口を見、それから赤い制服の少女を見上げた。若葉は黙ったままだった。まだ荒さの残る呼吸を繰り返すだけだ。若葉に答える気がないことを察した少女は、再び口を開いた。
「では、質問を変えましょう。貴女は『ラビット』に入る気はありますか?」
「……『ラビット』?」
突然の質問に、若葉は不審がるように小さく訊き返した。そして口からゆっくりと両手を離し、小さく横へと首を振った。
「『ラビット』に入るつもりはないわ」
「そうですか。では、わたくしは撤退しますので、これで」
若葉の答えを受け、少女はあっさりと銃を仕舞った。倒れたままの若葉を放り、すたすたと歩いて行く。目指す先は階段のようだった。
「ま……待って!」
若葉の叫び声が木霊した。よろよろと上体を起こして顔をあげれば、彼女は律儀に足をとめ、若葉を振り返っていた。
「思い出した。……文樺が言ってたんだ。『最近誕生した新しい組織が、猛威を振るっているらしい』って……。その噂の新興組織って……もしかして、君達のこと?」
若葉の疑問に、少女は感情の見えない瞳でじっと見つめ返した。
「さあ、どうでしょう。新興組織なんて、山ほどありますから」
「君達は『ブルー』と『ラビット』と敵対してるんでしょ? じゃなきゃ『ブルー』の奴らを殺しになんて来ないでしょ」
数多の弱小組織なら、『ブルー』と対立するような動きは避けるはずである。しかし目の前の少女は、『ブルー』の者達を一人で全員殺してのけたのだ。少女が所属する組織は『ブルー』と敵対していて、それでいて『ブルー』に匹敵するような実力を持っているということなのだろう。『ラビット』以外で当て嵌まるような組織は、きっと一つしかない。噂の新興組織だ。若葉は床につけた拳を握った。
「……ねえ、お願い。私も君達の組織に入れてよ」
目の前の少女は、僅かに眉を寄せた。
「私……文樺の敵討ちをしようと思ったの。『ブルー』の奴らを皆殺しにしてやるって……」
「そうでしょうね。貴女の着ている学校の制服、そして階段にあった同じ制服の死体。少し考えれば察しがつきます」
少女は黒い髪を揺らして頷いた。最初から分かっていたらしい。
「……でも、これ以上ないくらいに思い知った。……私じゃ、『ブルー』の奴らを殺すのは無理。あいつらは暴力に慣れすぎている。それに対して、私は素人で、銃の扱い方すらわからない。君の介入がなければ、とっくに殺されてた。私じゃ……文樺の仇を、討てない」
「……」
「……でもそれは、私一人だった場合の話。君達の組織に入れば、私一人では成せなかった敵討ちが出来る」
若葉は目を細めた。その顔は、どこまでも真剣だった。
「文樺を殺されて、黙っていたくないの。『ブルー』の奴らにも文樺と同じ屈辱を味わわせなくちゃ、文樺に顔向け出来ない。……それには君達の組織に入るのが一番なんだ。君達は『ブルー』と敵対していて、殲滅する実力もある。……お願い、組織に入れてよ」
若葉は再度懇願の言葉を放った。『ブルー』への怒りに燃える炎を宿す瞳、真剣ながらも覚悟の決まった顔。若葉の表情をじっと観察していた少女は、小さくため息を零した。
「自分の実力を客観視出来、アラーム機能を使ってターゲットを誘き寄せる程度には頭が回るはずなのに、こんな簡単なことも分からないのですか」
その声には、非難の色が滲んでいた。
「まず、わたくし達が貴女を迎え入れるメリットがありません」
「私、役に立つよ。絶対に君達に貢献するって約束する」
強い語気の即答に、小柄な少女はほんの少しの困惑と呆れを滲ませた。
「確かに飲み込みは早く、戦闘面の反応も悪くはないようでしたが……」
「それにメンバーは多い方がいいでしょ? 『ブルー』は大規模組織だもの。君達だって頭数は必要でしょ」
「……」
赤い制服に身を包む少女は、若葉を遠目に見下ろしながら目を細めた。
「貴女が大事な友人を失ったであろうことは理解出来ます。とても深い悲しみに襲われ、『ブルー』に対してとてつもない怒りが渦巻いているであろうことも。ですがだからと言って、貴女の人生を投げ打って、感情のまま組織へ入ることを決めるのは、非常に浅はかと言わざるを得ません。そのような勢いに任せた行動をするような者を、組織に入れるわけにはいきません」
言いかえそうとした若葉に先んじて、少女は捲し立てて続けた。
「貴女が『ブルー』、そして『ラビット』に入る気がないのなら、貴女はわたくし達の敵ではありません。見逃してあげますので、甘んじてすぐにここから去り、学校に通う平和な日々に戻るべきです。感情任せの馬鹿な考えは捨ててください」
「感情任せなんかじゃない。私は本気——」
若葉が言い終わらない内に、視界が煙に埋め尽くされた。突然のことに、若葉は思わず腕で口元を覆った。煙は刺激性が強く、目に痛みが走り、涙が滲んだ。鼻の奥がチクチクと疼き、若葉はもう片方の腕も使って顔全体を覆った。刺激に耐えられず、目を瞑る。耳が、遠くなる足音を拾った。……恐らく、赤い少女が催涙弾か何かを使って逃げたのだ。
(……殺していかないんだね)
若葉より年下のようだったのに、若葉のことを完全に子供扱いしているようだった。……いや、これが組織に属する者とそうでない者に対しての彼女なりの線引きなのかもしれない。
しばらくそのままの体勢で耐えていたが、やがて若葉はそろそろと腕を解いた。目を薄っすらと開けるが、強い刺激に襲われることはなかった。生理的に溜まっていた涙を散らして辺りを見渡すと、煙は既に霧散していた。もちろん赤い制服の少女の姿はなく、『ブルー』の物言わぬ死体だけが残されていた。
若葉は両の拳を力強く握った。
(……諦めない。文樺の仇を討つ、きっと唯一の道だもの。私はあの子達の組織に入るわ)
若葉はよろよろと立ち上がった。『ブルー』の少女に殴られた腹を摩る。まだ違和感は残るものの、痛みや苦しみは大分薄れてきていた。若葉はスカートを揺らし、階段へとふらふらと足を動かした。無人の廃墟は、若葉の足音だけが寂しげに木霊していた。