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第8話

 紅の衣が黒く焦げた残骸の奥へ消えたのと入れ替わりに、階段の方から慌ただしい足音がきこえてきた。二枚歯の特徴的な音が立て続けに鳴り響いて、段々と大きくなってくる。若葉は近くの棚の裏へまわると、棚板と棚板の間から銃口を伸ばした。階段から繋がる壁の先へと、照準を合わせる。僅かでも動く人影が見えたら、迷わず引き金を引く。相手が撃つより先に。若葉は棚の間から、無人の通路を睨みつけた。次こそ、自分の手で殺さなければ。息をするのも忘れる程、目を凝らし、集中する。

 籠っていた二枚歯の音が、クリアに響いた。『ブルー』の少女が、階段から通路に出たらしい。若葉は唇を真一文字に結び、怒りに燃えた瞳で真っ直ぐと壁の先を射貫いた。引き金に掛けた人差し指をいつでも動かせるよう、僅かに位置を調整する。一秒一秒が、どこまでも続いているかのようだった。

 視界に、薄群青色が映り込んだ。壁から僅かにその上質な生地が顔を覗かせる。その時にはもう、人差し指を動かしていた。今度はちゃんと、引き金を引くことが出来た。しかし銃弾は薄群青色を破らず、赤をまき散らすこともなかった。若葉の撃った銃弾は、壁の端にめり込んでいた。素人による発砲である、照準が逸れたらしい。

「!」

 『ブルー』の者の反応は早かった。すぐさま若葉の方へと銃を向け、発砲音を響かせた。銃弾は若葉の前の棚へめり込んだ。丁度、若葉の胸部の位置だった。『ブルー』の少女は仕留め損ねたと悟った瞬間、勢い良く距離を詰めてきた。若葉は迫りくる二枚歯の高らかな音をききながら、頭を必死に動かした。

(撃ち合いでは負ける……それなら!)

 若葉は棚に思い切り体当たりした。近づいてきた『ブルー』の少女へ向かって、商品の乗っていない棚はゆっくりとその身体を傾けていった。『ブルー』の少女は倒れてきた棚に一度勢いを止め、そのまま横へと転がった。棚が地面へ倒れ、辺りに音を響かせた。瓦礫が飛び、土埃が舞った。『ブルー』の者はその長い袂の先さえも棚の下敷になることを避けていた。身軽に上体を起こす。そして瞬時に体勢を整え、銃を構えなおした。しかし、その先に若葉はいなかった。

 『ブルー』の少女の太い帯を、一筋の弾丸が裂いた。赤く染まった腹を抱え、『ブルー』の少女は身体を縮めた。倒れた棚の後方、瞬時に別の棚へと身を隠していた若葉は、その裏から姿を現した。『ブルー』の少女は、若葉を見て眉を寄せた。どうやら相手がセーラー服を着る学生だとは、想像していなかったらしい。若葉は『ブルー』の少女の頭へと銃を向けたまま、慎重な足取りで近づいていった。三歩程の距離をあけたところで、歩みを止める。この距離なら、若葉にも確実に頭を撃ち抜けるだろう。痛みによるものか、目の前の少女から呻き声が漏れた。彼女は腹を抱えたままだった。

「君達は文樺を殺した」

 若葉の怒りを押し殺した低い声が、廃墟に響く。

「その報いを受けなさい」

 人差し指を曲げる。人を殺すことは初めてだが、躊躇はなかった。文樺の顔がちらついて、喪失感と、怒りと、悲しみと、悔しさしかなかった。

 発砲音が響いたが、目の前の『ブルー』の人間の頭は割れなかった。彼女は腹部を撃たれたとは思えない俊敏な動きで、若葉へと一気に距離を詰めていた。先程までの苦痛に動けない様相は、演技だったらしい。弾丸は前屈みとなった彼女の頭上を真っ直ぐと飛んでいった。血に染まった拳が握られ、若葉の下から振り上がる。若葉が目の前の目標を見失ったと気付いた時には、既にその拳は若葉の両手へめり込んでいた。骨が砕けるような痺れが走る。重い衝撃によって、若葉の手から銃が離れ、弧を描いて放り出された。痛みに反射的に手を庇い、身を捩る。『ブルー』の少女は銃を握った手に力を込め、若葉の腹へと思い切り突き出した。その細い腕から繰り出されたとは思えない衝撃に、若葉の身体は吹っ飛んだ。店の区画を出て、通路へと飛び出す。首を掻っ切られた死体の横まで吹っ飛び、背中から瓦礫塗れの床へと叩きつけられた。重い衝撃に声が漏れる。内臓が破裂したのではないかというような痛みと苦しみが襲い、若葉は顔を歪めた。苦痛を少しでも逃がそうと、深呼吸を試みる。しかし背中を打ち付けたせいで、上手く呼吸をすることが出来ない。まるで陸に打ち上げられた魚のように、無様に口を大きくはくはくと動かすばかりだ。

 『ブルー』の少女は口から勢い良く血を吐き捨てた。倒れたままの若葉を睨みつける。腹部から血が流れ続けていたが、彼女はそれを感じさせないしっかりとした足取りで若葉へと近づいた。

「……戦いを知らない奴が銃ぶっ放すなんて、十年早いよ。ガキ」

 嘲笑を見上げ、若葉は歯軋りをした。見下す双眸は、若葉の弱さへの侮蔑で溢れていた。……文樺を殺した時も、こんな目を向けていたのだろうか。あの子に、こんな薄汚い目を。

「『ブルー』に楯突いたこと、あの世で後悔しな」

 引き金に指を掛けると、大の字になったままの若葉へと銃口を突き付けた。照準の先、若葉の心臓が荒く動くばかりで、打ち付けられた身体は動いてくれない。あまりにも無防備だった。

(文樺……っ!)

 鈍く光る銃口を睨み付け、若葉は眉を寄せた。……自分は、あまりにも無力だった。大事な存在を守ることが出来なかったどころか、その仇すら取ることが出来なかった。あの世で彼女に合わせる顔がない。こんなにも彼女のことを想っているのに、微塵も彼女のためになれなかった。若葉の目尻に、涙が浮かんだ。

 その時だった。耳障りな電子音が、辺りに響いた。『ブルー』の少女の指は、突然の音にぴたりと止まった。場の空気に似つかない甲高い音は、止まることなく耳を劈く。

(何……?)

 倒れたまま、僅かに頭上を仰ぎ見る。……若葉の後頭部の先、吹き抜けの細い手摺りの上。置時計が一つ、身に似合わない爆音を鳴らしていた。先刻若葉がセッティングした光景と、全く同じだった。でも、若葉は二度も時計をセットしたりしていない。

「うるせえな」

 『ブルー』の少女は憎々し気に言い捨てた。その顔には苛立ちがありありと浮かんでいた。射殺さんばかりの視線を若葉に浴びせる。それから舌打ちと同時に、若葉に合わせていた照準を上へとあげた。向かうは手摺りの上だ。

 パン!

 銃声とともに、不快な電子音が止んだ。至近距離の発砲音に、思わず若葉の身体がびくりと震えた。目の前の銃から硝煙が昇る。それと同時に——

「え?」

 目の前の『ブルー』の少女の頭が割れていた。彼女の頭は大きく傾き、抉れている。大量の血と脳髄液とよくわからない白いものが、若葉の足元に降り注いだ。若葉は呆然と目の前の死体を見つめた。まるでススキ花火のように血が吹き出して、薄群青色は影も形もないほど赤く染まっていた。目の前の光景を頭が理解していくにつれて、吐き気がこみあげた。若葉は両手を口元にあて、なんとか唾を呑み込むことを繰り返してそれを抑えた。

 静かなフロアに、瓦礫を踏む足音が響いた。思わず身体を強張らせ、音のきこえた方向へと視線を向ける。倒れたままの上下逆さまの視界に映ったのは、近づいてくる紅だった。そちらを一心に警戒していると、不意に遠くで爆発音が響いた。建物の外、駐車場からのようだった。若葉は驚いて顔をそちらへ向けようとした。すると視界に『ブルー』の無惨な死体が映り、慌てて目を逸らす。

「『ブルー』、殲滅完了です」

 廃墟に響いた独り言は、紅の制服に身を包んだ少女から発せられていた。彼女は駐車場の方を確認していた顔を、若葉へと向けた。

「見事な囮役でした」

 表情もなく、淡々と告げられる。……一体いつ、自分が囮役になったというのか。若葉は顔を顰めた。

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