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第7話

 六階についた若葉は、通路へと飛び出した。目についた近くの瓦礫の奥へと身を潜める。

(突き落とすとして……『ブルー』の子に近づく必要があるけど、正面から対峙するのは無理。銃を手にしたとはいえ、相手は戦闘慣れしてる。撃ち負けるはず)

 瓦礫の山から顔を出し、若葉は半壊している落下防止のガラスフェンスをじっと見つめた。

(ならば、吹き抜けの方に『ブルー』の子を誘導しないといけない)

 相手に悟られないまま近寄り、後ろから突き落とすことが必要となる。若葉は視線を移し、辺りを見渡した。

(何か吹き抜けの方へ、注意を引くような細工が出来れば……)

 相手が吹き抜けの方を向いていれば、後ろから近づいて突き落とすことが出来るだろう。しかし辺りには目ぼしいものは何もなかった。瓦礫が広がるばかりである。若葉は瓦礫の山から出ると、隣のエリアへと向かった。そこはもともとテナントが入っていたようで、商品が散乱していた。その品揃えから、どうやらここは雑貨店だったらしい。残念ながら、散らばった商品はそのほとんどが使用不可能な状態となっていた。

(ん……)

 その中で、若葉はあるものに目を留めた。置時計だった。それを素早く掻っ攫い、近くの焦げて拉げた棚の背後へと隠れる。手にした置時計は、時を刻んでいた。爆撃の中でも奇跡的に生き残ったようだ。若葉は動き続ける数字を見下ろし、きゅっと唇を結んだ。そして時計の横にあるスイッチを押して、操作を始めた。……表示時間の、きっかり五分後。アラームを設定し終えると、若葉は通路へと戻った。辺りを慎重に確認したあと、置時計をガラスフェンスの上の細い手摺りへと置いた。手摺りは先が壊れて断たれていて、その下のガラスフェンスも崩れて跡形もなくなっていた。若葉は時計の設置を終えると、店の棚の裏へと戻った。

 『ブルー』の者達は、仲間を撃った侵入者を探している様子だった。ならば、外部の人間によってセットされた時計が突然鳴り響けば、必ず確認をしにくるはずだ。彼女達からすれば、仲間を殺した侵入者がアラームをセットしたと考えるのが自然だからだ。『ブルー』の者が時計のアラームを止めた瞬間、背中から突き落とせば、相手は六階から一階に真っ逆さまに落ちることになる。その後は、落ちた背中へとその場でゆっくり銃を構えればいい。戦いのことは何も知らないが、無抵抗の人間相手なら銃を使ったことのない若葉でも銃弾を当てられるだろう。

 心臓が五月蠅かった。たった五分なのに、永遠にも思えた。その間も若葉の頭に浮かぶのは、文樺の顔ばかりだった。心の中の深い喪失感が、喉から出て叫び声をあげそうになる。若葉は、泣きそうになるのをぐっと堪えた。

 やがて、静まり返った廃墟には不釣り合いな電子音が、甲高く響いた。若葉のすぐ近く、吹き抜けに面する手摺りの上からだ。五月蠅い鼓動の音も聞こえなくなるほどの、耳障りな音だった。まるでここで死んだ者達が叫んでいるかのようだった。

 二枚歯の音がきこえてきた。階段からだ。若葉は息を潜め、棚の裏からそちらを睨みつけた。時計の置かれている手摺りのもとへ、いつでも駆け付けられるように踵を浮かす。やがて、一発の銃声が響いた。同時に耳を劈く電子音が止み、視界の奥で、時計がひとりでにその身体を傾けた。そのまま吹き抜けの向こうへと落下していく。ガチャン、という空虚な音が、遅れて小さくやってきた。

(アラームを止めるくらい、手を使いなさいよね)

 若葉の頬を、冷や汗が伝った。遅れて姿を現した『ブルー』の者は、しっかりと銃を構えていた。彼女は時計の置かれていた場所へと、慎重に近づいていった。隙を見せず、警戒するように銃口を動かしている。彼女は辺りに人が潜んでいることを確信しているようだった。『ブルー』の少女は手摺りの前で一旦足を止めた。右から左へと見渡し、鋭い視線を投げた。再度左から右へと、獲物を狙うような視線を這わせる。至近距離には人がいないことを確認すると、吹き抜けをゆっくりと離れた。その二枚歯を鳴らして、若葉の潜むエリアへと近づいてくる。銃の先を視線に合わせて動かしながら、その人差し指をいつでも引けるように引き金へと添えていた。エリアの端から端、瓦礫の陰や、フロアの奥まで。獲物の痕跡を僅かも逃さないように、鋭い目がぎょろりと動く。一歩、また一歩と若葉との距離が詰まる。

(見つかるのも時間の問題……しょうがない)

 若葉は自身の手に収まる銃身を見下ろした。

(先に撃つしかない)

 覚悟を決めた若葉の行動は早かった。『ブルー』の少女の視線と銃口が逸れたことを確認し、若葉は一気に棚の後ろから飛び出した。『ブルー』の少女の持つ銃の照準が若葉を捉えるまで、一秒もないだろう。それでもほんの僅かでも照準を先に向けられるのなら、こちらが有利になるはずだ。若葉は『ブルー』の少女の身体へと銃口を真っ直ぐに伸ばした。頭や胸を狙うなんて高度なことは出来ない。……三発。三発だ。致命傷を与えられなくたって、三発銃弾を当てることが出来れば、相手は出血多量で死ぬはずだ。……文樺のように。

 若葉は躊躇いなく人差し指に力を込めて——動かない引き金に、その顔を驚愕に染めた。

(なんで……っ)

 ——セーフティロックだ。この銃には、セーフティが掛かっている。

 頭が現実を理解した時にはもう、『ブルー』の少女の持つ銃口は若葉へと向けられていた。目の前の少女は、若葉同様躊躇いなく引き金を引こうとして——しかし、引かれることはなかった。首から血を吹き出し、その身体を崩して地面に倒れ込んだからだった。

「え……」

 若葉は呆然として、目の前の光景に口を半開きにするしかなかった。若葉は殺していない。その手に持つ銃は、弾を発砲していないのだから。

 『ブルー』の少女が倒れた後ろには、一人の少女が佇んでいた。彼女は薄群青色の制服に身を包んではいなかった。小さい花々の中から細長い装飾が垂れる髪飾り、スタンドカラーの襟元、縁取られ丸みを帯びた半袖。足首まである長いスカートは紅のグラデーションが広がり、ふんわりとした薄手の生地を揺らしている。紅と白、そして桃色から構成されるその服には見覚えがあった。登校中に小道ですれ違った人物が着ていた制服と同じだ。彼女の手には、血塗れの小型ナイフが握られていた。それで『ブルー』の少女の首を掻っ切ったようだった。彼女は床に倒れた『ブルー』の少女の死体の横を通り、若葉へと近づいた。ナイフから血が滴り落ちて、床に赤い点々を描いていた。若葉は咄嗟に銃を突き付けた。そしてセーフティが掛かったままだったことを思い出し、唇を結ぶとその銃身を下ろした。紅に身を包む少女は構う事なく歩み続け、やがて若葉の目の前で止まった。ナイフを持っていない方の手で、若葉の持つ銃を指差した。

「それ」

 若葉も釣られて銃身へと視線を下ろした。彼女が指差しているのは、銃身の上部にあるレバーだった。

「下げてください。そうすれば、撃てます」

 若葉は予想していなかった言葉に一瞬目を瞬かせたあと、言う通りにレバーを下げた。顔を上げた時、少女は既に若葉に背を向けていた。若葉を殺す気はないらしい。緩慢な足取りで離れていく彼女の背中は、無防備だった。若葉が撃てば、殺せてしまうくらいに。彼女はまるで、若葉は自分を撃たないと知っているかのようだった。

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