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第6話

 一階をぐるりと一周し確認を終えた若葉は、階段室を見つけてそちらへと向かった。奥へ身体を滑り込ませ、フロアと階段室を隔てている壁に張り付く。壁から顔だけ出して、ちらりと上へと視線を投げた。『ブルー』の少女が一人、視界に映った。彼女は先程見た時より一つ上の階を巡回していて、先程と同じく誰かを探すように注意深く辺りを見渡していた。下にいる若葉には気付いていないようだ。若葉は壁から出していた顔を戻すと、崩壊した手摺りの残骸を跨ぎ、階段を上へと上り始めた。階段もフロア同様、崩壊が酷かった。瓦礫に足を滑らせないように注意しながら、段差を上っていく。踊り場を曲がり、さらに上へ向かおうとした時。若葉は足を止めた。階段の途中に、死体が転がっていたからだった。そしてその死体は、セーラー服を着ていた。赤に塗れた、見慣れたシックな紺色。自分の身体から、血の気が引く音がきこえたような気がした。

「ふみ……っ」

 思わず出してしまった声を飲み込むと同時に、倒れる死体へと駆け寄った。うつ伏せの身体を、震える手で起こす。床に接していた部分はどこも血塗れで、血を吸ったセーラー服からぽたりと血が垂れた。腹部に二か所、胸の辺りに一ヵ所穴が空いていた。三発銃弾を受けたらしかった。恐らく出血多量で死んだのだろう。若葉は乱れる呼吸のまま、ゆっくりと、その視線を死体の上部へと持っていった。ごくんと唾を呑み込む。血を貼り付けた黒髪の中の顔は、目を瞑り、青くなった唇を閉じていた。青白い生気のない顔は、若葉が一日たりとも欠かさず見続けてきた顔だった。

 若葉の見開いた瞳に、涙が溜まった。目の前の光景が信じられず、これは夢だと脳が叫んでいるのに、流れ落ちる涙の感触は生々しく頬に残った。震える唇から、吐息が漏れる。呼びかければ答えてくれるかもしれない、と思うものの、同時にここで声を出してはいけないと理性が囁いてくる。声にならない息ばかりが漏れる。今にも開くのではないかとその双眸をじっと見下ろしても、文樺が目を開けることはなかった。

 何かが割れる音が微かにきこえて、若葉ははっと顔をあげた。その勢いで、瞳に溜まった涙が散っていく。上の階からだ。若葉が漏らした声をききつけたのだろう。再び瓦礫を踏むような音がきこえてきて、若葉は顔を強張らせた。……恐らく相手は、階段を降りてきている。若葉は名残惜しそうに文樺の顔を見下ろしたあと、ゆっくりとその死体を寝かせた。なるべく音を立てないようにして、階段をあがる。最寄りの二階のフロアに出て、出来るだけ階段から離れるべきだ。若葉は息を殺して、階段を上がりきった。再び、上の方から何かを踏む音がきこえてきた。先程よりも音が近い。若葉は目を細め、二階へ出ようとして……階段とフロアの境に倒れている死体を見下ろした。

(『不可侵の医師団』の制服……?)

 今までとは異なった服装をしている死体に、若葉は眉を顰めた。元は白いはずの制服は煤だらけで、その多くが燃えていた。全身に火傷の形跡があり、皮膚は爛れていた。抉れた部分からは血が広がっている。どうやら爆撃に巻き込まれて死んだようだった。

(なんで文樺がこんなところに、って思っていたけど……もしかして、『不可侵の医師団』の子が治療してる現場を助けに来ていたのかな)

 死体の多くが『ラビット』の者であるところから見て、ここにはもともと『ラビット』の者達が集まっていたのだろう。『不可侵の医師団』の者が『ラビット』の治療に向かっていたところに、文樺が偶然通りかかったのかもしれない。一人だけの『不可侵の医師団』の子を見て、きっと手伝いを申し出たのだ。そして二人が『ラビット』の治療をしている所に、『ブルー』が襲撃してきたのだろう。若葉は死体を避けて回り込み、二階のフロアへと出た。近くの瓦礫へと身を隠して、辺りを窺う。幸い、人影はなかった。階段の方から人が出てくる気配もない。確認を終え、フロアの一角、比較的崩壊を免れている店へと視線を動かす。若葉は音を立てないように注意しながら、瓦礫を素早く飛び出してそちらへと移動した。奥にある試着室らしき部屋へ一直線に入ると、布を引いて身を隠した。息を殺してしゃがみ込み、注意深く耳を傾ける。辺りは静かだった。足音や何かを踏む音、発砲音も、きこえてはこない。薄暗い中じっと潜みながらも、若葉の脳裏には文樺の死に顔がこびり付いて離れなかった。

(私が……私が文樺を後押ししなければ、『不可侵の医師団』の子に声を掛けるようなこともなかったのかな)

 文樺なら『不可侵の医師団』に入れる、そうやって背中を押したのは、若葉だ。その言葉がなければ、内気で謙虚な文樺は救護の手伝いなんて自分から申し出ることはなかったはずだ。若葉はその口を、両手で覆った。

(私が……私が殺したようなものじゃない?)

 本来ならば自分は、抗争の影がありそうな場所に文樺が近づかないよう全力を尽くすべきだった。小さい頃から数多の危機から精一杯文樺を守ってきたし、これからも彼女を守っていくつもりだった。自分が犠牲になってでも、何をしてでも。それなのに、彼女を危険に晒し、剰えその命を奪う原因に——

(……いや、冷静にならないと。遺された人は自分を責め、罪悪感に苛まれる傾向にある——これは悲嘆反応の一種。落ち着いて……過去じゃなく、今出来ることを考えなきゃ……)

 両手で覆った中で、若葉はゆっくりと息を吸い、深く吐いた。その間も、警戒を怠ることなく耳を攲て続ける。もう一度深呼吸を挟み、両手をそっと離した。今、若葉に出来ること。落ち着いた頭の中で、状況を整理する。

(ここにいる奴らが……文樺を殺したんだよね)

 力強く拳を握った。食い込んで痛いくらいだった。文樺は三発も銃弾を受けていた。ただ治療をしにきただけだったはずの彼女に対して、明らかに惨い仕打ちだ。

(絶対……文樺の仇を取ってやる)

 眼前に広がる布の向こうを睨みつける。

(『ブルー』の奴らは、私が殺す)

 若葉にはもう、守るべきものはない。失うものも、何もない。刺し違えてでも、この場にいる『ブルー』の奴らを殺してやる。それが今の若葉に出来る、文樺のためにしてやれる精一杯だ。若葉は怒りに満ちた目を細めた。

 足音がないことを確認し、若葉は布を僅かに引いた。隙間から外を見渡すと、試着室に駆け込んだ時と同じ景色が広がっていた。若葉は試着室を出て、倒れたマネキンを跨ぎ、建材が剥き出しになっている壁へと向かった。身体を張り付け、通路を見渡す。人影はなかった。

(私には武器もないし、暴力に長けているわけでもない……ならば)

 通路の向こう、吹き抜けになっている空間を見上げる。

(上から突き落とせば……)

 六階の高さでは落として死ぬかどうかはわからない。ただ、怪我は負うはずだ。手負いにさえなれば、後は近くの死体から銃を取ってきて撃てばいい。

 若葉は先程自身が出てきた階段へと顔を向けた。六階に行くためには、階段を上る必要がある。

(階段を降りてきていた『ブルー』の子は、もうどこかへ行ったかな)

 吹き抜けを再度確認する。五階に一人、辺りを見渡しながら銃を構える『ブルー』の少女が確認出来た。そして三階に、若葉がいるエリアの真上の方から周ってきたらしい人影が視界に入った。袂を揺らし、銃を各エリアの奥へと忙しなく構えては解く行為を繰り返している。

(外から確認した時、『ブルー』の子は二人だったはず。今なら階段はフリー)

 若葉は這いつくばると、慎重に階段へと向かった。こちらの視界範囲内ということは、向こうからも見えるということだ。幸い、『ブルー』の面々は各店舗や空きエリアの奥を確認するばかりで、吹き抜けの反対側へ振り返ることはなかった。階段のある場所へ入ると、若葉は素早く立ち上がった。なるべく音を立てないよう、階段を上がっていく。

(文樺……銃を向けられて、どれだけ怖かったか)

 足の動きを止めないまま、若葉は顔を歪めた。

(『不可侵の医師団』の子と一緒に治療するなんて、初めてだったでしょうに。きっと緊張していたんだろうな。そんな中、突然襲撃を受けて……文樺はその時、一体どんな気持ちだったんだろう)

 恐かったかもしれない、悲しかったかもしれない。治療を完遂出来ずに悔しかったかもしれない。理不尽さに怒りが湧いたかもしれないし、周りの人を守ることに必死だったかもしれない。『不可侵の医師団』に入る夢を絶たれ、若葉にもう会えないことに絶望したかもしれない。正解はわからない。けれど確かなことは、文樺の様々な感情を、『ブルー』の奴らが踏み躙っていったということだ。その暴力で、一瞬にして。

(許すことなんて出来ない。絶対に)

 『ブルー』の奴らも、同じ思いを味わうべきだ。人々のため医療を勉強していた、真面目で優しく何の罪もなかった文樺の受けた仕打ちを、彼女達も当然受けるべきだ。若葉は五階へ続く階段に、死体が転がっていることに気が付いた。近寄ると、その腰についたヒップホルスターから銃を抜き取った。銃を持ったのは初めてだった。ぞっとするような冷たさが掌に伝わる。両手でしっかりと握り、右手の人差し指を引き金に掛けた。銃口を下に向け、若葉は再び階段を駆け上がった。

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