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第44話

「悟られないように、って……ど、どういうこと?」

 隣で梅が困惑したように漏らす。若葉はてっきり、縹がこの場に現れなかったのは林檎に会うのを避けるため、つまり意図的だと思っていた。林檎と顔を合わせれば、彼女を殺さざるを得なくなってしまう。それを避けるために縹はいないのだと、そう思っていた。だが、あの煮えたぎるような怒りを孕んだ声色。恐らく、縹がいなかったのは若葉が考えていたような理由ではなかったのだ。

「二日後にここを襲撃する予定だったこと、知ってたんだろ。あたしの与り知らぬところで、『前倒しになった』って嘘を吹き込んだそうじゃないか」

(お前って……たぶん、朱宮さまのことだよね)

 何も知らない人がきいたら、縹は状況からそう判断したのだと考えるだろう。しかし、若葉にはそうは思えなかった。縹は、林檎のことをよく知っているからこそ、これが林檎の仕組んだことだと気付いたのではないか。……頭の中で、三人の少女達の幸せそうな笑顔が蘇った。

「えっと、つまり……この状況は、朱宮さまが意図的に作り出していたってこと?」

 梅が声を潜めて、疑問を口に出す。横の桜が小さく頷いた。

「……そのようですね。『ブルー』の襲撃が迫っていることを知って、なんとかして縹がいない状況を作り出したのでしょう。我々が勝てたのは、偏に纏める人がいないお陰でしたからね。襲撃を早めたとのことだったので、向こうは準備不足でもあったのかもしれません」

 ……つまりこの勝利を形作ったのは、この組織の長の策のお陰だった。

 しんと静まり返る敷地内は、風が木々を揺らす音がよく聞こえた。この組織の者は皆息を潜め、音を立てないように慎重に様子を窺っていた。若葉、そして桜と梅も、壁に潜んでじっと『ブルー』の少女を見下ろしていた。一向に返事がなく、ぞっとする程の静けさに支配される建物を見上げ、『ブルー』の少女はその豹のような鋭い目を細めた。

「……許さない」

 憎しみがそのまま口から出たような叫びだった。きつく握られた両の拳が震えていた。怒りに支配された目が、じっと建物を見上げる。視線だけで人を殺せるのではないかというような、燃え盛る、恐ろしい瞳の色をしていた。

「お前らの大将に伝えろ。——『大事な家族を奪った報いを、必ず受けさせてやる』」

 求めていた相手から返事がなかったため、縹は言葉の相手を組織に属する者達へと変えたらしかった。怒りに震える叫び声は、その言葉を最後に止んだ。『ブルー』の少女は、建物へ背を向けた。目視で生き残りがいないと確認したのだろう。彼女は一人、門へ向かって駆け出した。同時に建物の至る所から、その背中に向かって銃弾が放たれた。『ブルー』の少女は蛇行を以ってその銃弾を避けた。それでも当たりそうになると身体を反らす。まるで銃弾が見えているかのように、踊る。彼女の身体に弾が貫通することは、最後までなかった。彼女は無傷のまま門の残骸を踏み、敷地を後にした。そのまま駆けて行き、闇夜に溶けて消えて行った。

(……この場に朱宮さまがいなくて良かった)

 若葉は薄群青色の消えた闇に目を向けながら、悲し気に目を細めた。林檎の言っていたことが全て本当だったのなら、林檎は縹のことを、今も殺せない程大切に思ってしまっている。しかし縹が放った言葉は、明確な敵対宣言だった。ティーカップへ両手を添え、暗い面持ちで視線を下げる林檎の顔を思い起こす。彼女がもしこの場にいたら、一体どんな表情であの言葉をきいていたのだろうかと思ってしまう。

「……縹がいなくて良かったです。彼女を相手にしていたら、とてもではないですが今の状況は作ることが出来ていなかったでしょう。彼女一人で、一体何人殺されていたか」

 銃弾を避けて逃げおおせた背中を思い起こしていたのか、桜が苦い顔でそう漏らした。梅も「そうだねえ……」と同じ顔で同意して、クマのひどい瞳を門の先へと向けた。

「でも私達……勝ったんだよね?」

 若葉の現実を噛みしめるような言葉に、二人は窓の外へと向けていた視線を室内へと戻した。

「『ブルー』の急襲で殺されることなく、生き残れた」

 若葉は口角をあげ、二人へと諭すように続けた。煌めく瞳を二人へ向ける。

「私達——生きてるんだよ!」

 若葉は目の前の二人へと抱き着いた。その顔には明るい笑顔が咲いていた。梅が「わっ」と驚いた声をあげる。小柄な桜は思わず後ろへ倒れそうになったが、若葉が回した腕によって支えられて事なきを得た。若葉の目の前の大切な人達は、緊張感が抜け切れていない表情のまま、若葉の腕の中でお互いに顔を見合わせた。そして、目の前の若葉へと顔を向けた。目と鼻の先にある嬉しそうな顔を見て釣られたのか、二人もその表情をやわらげた。全く同じタイミングで、二つの小さな笑みが零れる。若葉はその光景がなんだかとても愛おしく思えて、二人を抱く腕に優しく力を込めた。

「……若葉」

 不意にきこえてきた桜の声は真面目なものだった。若葉は顔をあげ、そちらを見つめた。桜は若葉と目が合ったあと、その表情を引き締めたものへと変えた。

「わたくし達の戦いは、これからです。襲撃に対抗出来たとはいえ、こちらも多くの命を喪いました。大切な仲間の命を数え切れない程散らした『ブルー』に、我々は報復をしなければなりません」

 今夜だけでも、多くの赤い制服の少女達が死体へと変えられてしまった。

「これからは、『ブルー』と正面を切って戦うことになるでしょう。今日以上の困難にも、いくつも突き当たるかもしれません。それでも——歩むしかないのです。覚えておいてください。組織に入るということは、こういうことなのです」

 桜の言葉は厳かに放たれていたが、責めるようなものではなかった。それどころか、その目には若葉を憂うような感情が滲んでいた。若葉がこの組織に入らせてくれと頼んだ時、桜は『感情任せの軽率な行動』と言って若葉を止めた。組織に入るということの重さ。桜はそれを嫌と言う程理解していたからこそ、若葉のことを止めたのだろう。そして今の若葉も、その重みを身を以って知っている。

「そうだね。……だからこそ、守らなきゃ」

 若葉はその瞳を真っ直ぐと向け、口角をあげた。窓の外の月明かりが、若葉を淡く照らしていた。

「大切な人の命が消えないよう——私が守らなくちゃ」

 桜も梅も、喪いたくない。文樺のような大切な人を、今度こそ守り抜きたいのだ。組織に入ることの重さを、若葉は知った。でもそれ以上に大切にしたい、生きる理由を見つけた。文樺ならきっと、そんな若葉を応援してくれるはずだから。

「それ以外の答えはないよ」

 若葉はにやりと笑った。桜はその言葉に、眉を寄せて小さく笑みを浮かべた。それ以上、彼女は何も言わなかった。瞳を伏せた彼女の口元はやはり緩んでいて、なんだか若葉は認められた心地がした。その横で、梅も柔らかく微笑んで若葉を見上げていた。長い前髪から覗くクマのひどい瞳は、どうやら兄を思い起こしているようだった。彼女にも、守りたい人がいる。今日生き残れたことは、梅にとっても大切な人を守るための大事な一歩であったはずだ。

「とにかく……二人が無事でよかったよ」

 怪我はしてしまったものの、三人はこうして生きている。再び静寂に包まれた廊下で、若葉は明るく声を張り上げた。

「今後のこととか考えちゃうのはわかるけどさ。まずは生きていることを喜ばないと! ね?」

 若葉が二人を覗き込んで笑い掛ける。二人の喜ぶ姿が見たいと言わんばかりの表情に、桜と梅も笑みを返した。混乱に満ちた戦場に様変わりした場所に、漸く笑顔が戻った。若葉は満足気に口元を緩めた。

 若葉は今まで、文樺の笑顔を見ることによって活力を貰っていた。彼女が幸せなら、若葉も幸せだと感じていた。その笑顔を見ることは、もう二度と出来なくなってしまった。けれど、今の若葉の目の前には、別の笑顔が咲いていた。文樺とは違う花、けれど文樺と同じ様に、若葉を幸せにする力を持つ花だ。

 月明かりの差し込む中、三人の少女はしばらく抱き合っていた。生きている現実を噛みしめ、お互いに笑みを咲かす。この時間は心地よく、それでいて少女達に必要な時間だった。こうして、混乱を極めた『ブルー』の襲撃は幕を閉じた。組織の本拠地への急襲という絶体絶命の状況を乗り越えた彼女達に訪れた、束の間の安らぎの一時。しかし彼女達はしばらくすると、状況の把握のために仲間達のもとへと向かってしまった。この建物には、手当を必要とする怪我人が大勢いる。それにこうしている間にも、再び『ブルー』が襲ってくるかもしれない。若葉がいなければ、きっと彼女達は一時の休息すらしていなかったのだろう。……組織に入るとは、こういうこと。桜の言葉が蘇る。若葉も手伝いを申し出たが、若葉の心身を考慮したのかやんわりと断られた。二人の姿が消えた後、若葉は一人、静まり返った長い廊下を見渡した。その先は暗闇に覆われ、見通すことは出来ない。若葉は一歩、足を踏み出した。向かう先は闇だ。それでもきっと、後悔はなかった。




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