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第41話

 桜の迫真の叫びに、梅は顔付きを変えた。桜の言わんとすることを即座に理解し、小銃を構えなおす。微調整した照準の先は、桜の身体に向けられていた。桜ごと敵を撃とうと、人差し指が引き金を僅かに動かす。

「気付かないの!」

 桜の叫びすら掻き消すような、廊下中に響き渡る声だった。思わず梅の人差し指が止まった。それは若葉の腹の奥底からの叫び声だった。その瞳は、正面から真っ直ぐと『ブルー』の少女を射貫いていた。責めるような怒気を孕んだ声に、『ブルー』の少女は一瞬呆けた。

「私は——、わざと君の腰を撃ったんだよ! 私は、君の仲間なんだから!」

 叫ぶと同時に、若葉は走り出した。二枚歯が、廊下に高らかに響く。『ブルー』の少女は、若葉の発言を頭で性急に咀嚼しているようだった。目の前の薄群青色の少女は、わざと腰へと発砲した。つまり……射撃能力がないわけではなく、敵のフリをしただけであって、だからわざと致命傷にならない場所を撃った? 『ブルー』の少女が頭を捻り出してその結論に辿り着いた時、若葉は目と鼻の距離まで迫っていた。そして——『ブルー』の少女と捕まった桜の間へ、勢い良く割って入った。そのまま『ブルー』の少女へ覆い被さるように、その身体を倒していく。若葉によって分かたれた桜の腕が『ブルー』の少女の手から離れ、自由になった。『ブルー』の少女は、自身に突撃して倒れ込んできた若葉を見上げ、歯軋りをした。息のかかるような位置にある若葉の顔。真っ直ぐな曇りない瞳は細められ、目の前の敵へ向けられていた。……『ブルー』の少女達は、相手が仲間である可能性があるのなら下手に撃つことは出来ない。なぜなら『ブルー』は、感情を優先する仲間思いの組織だからだ。

「……嘘じゃねえか、くそが!」

 『ブルー』の少女は廊下へ倒れながら、自身の真上の少女の胸へ銃口を押し当てた。しかしその人差し指が引き金を引く直前、彼女の頭から血が吹き出した。返り血をべっとりと浴びた若葉は、そのまま落下して床へと叩きつけられた。下になった『ブルー』の少女の身体がクッションとなり、痛くはなかった。上体を起こし、血で汚れた場所を長い袖で拭う。顔をあげると、梅が丁度銃を下ろしたところだった。彼女の小銃は、硝煙を燻らせていた。

「……間に合った」

 ぼそっと、梅が呟いた。彼女の顔は、未だに強張っていた。若葉はその口角をあげた。

「言ったでしょ、梅の銃の腕を信用してるって」

「む、無茶苦茶だよ……一秒遅かったら死んでたよ……」

 梅は危機を切り抜けたことを漸く実感したのか、小さく息を吐きだした。若葉は梅の身体に怪我がないことを確認して、桜へと顔の向きを変えた。桜は床に倒れ、足を投げ出した状態のまま、何やら険しい顔をしていた。その口が、僅かに開いた。

「戦闘経験のない若葉は、『ブルー』の動きを真似て状況を打破してきたらしい……恐らくこの『ブルー』の者も、同じ。わたくし達の方法を真似て、状況を変えようと動いた」

 ぼそぼそと呟かれる言葉は思考が漏れ出たものらしく、梅や若葉に対して投げられた言葉ではなかった。桜は顎へと手を当てた。重い瞼の奥の瞳は、床を見つめたままだ。若葉はきょとんとして、倒れたままの桜の様子を窺った。

「つまり、裏切り者がわたくし達のでっち上げだと気付いていた……? 一体なぜ? それならば、なぜ下で争っている者達に直接告げて止めようとしなかった?」

 言葉はそこで途切れた。桜は勢いよく顔をあげた。眉をよせ、若葉へ向かって叫ぶ。

「……まだ終わっていない! こいつは鉄砲玉だ!」

 若葉はその言葉に、勢い良く身体を跳ね上げた。死体の上から、バネのように立ち上がる。それと同時に、視界の隅で走り出す梅、そしてこちらにとんでくる物体が映った。——手榴弾だ。

 若葉は考えるより先に身体を動かした。その手は、桜に向かって伸ばされていた。桜は今、足を怪我していて動くことが難しい。手榴弾がここに撒かれた場合、逃げ切ることは困難だろう。

(守らなきゃ)

 伸ばした手は、桜の腕を掴んだ。桜の両の目が見開かれるのを見届ける前に、若葉は廊下の奥へと顔を向けた。手榴弾の着地点とは反対の方向へ、二枚歯を鳴らして駆け出す。桜の身体も力の限りに引っ張って、手榴弾から少しでも離れようと身体を動かした。しかし、数秒の間に遠くまで逃げられるとは思えない。動けない人間を引っ張りながらでは、猶更難しい。若葉は出来る限り距離を稼いだあと、それ以上進むことをやめ、後ろへと振り返った。そして、引っ張っていた桜へと抱き着く。そのまま桜を守るように覆い被さり、うつ伏せになって床へと伏した。桜が少しでも爆発地点から遠くなるように、そしてその破片が彼女に当たらないように。若葉は伏せたまま丸くなって、腕の中の少女をぎゅっと力強く抱きしめた。小柄な黒髪の少女。しかし若葉の鼻に届いたのは、いつも文樺が使っているシャンプーとは異なる香りだった。文樺は死んでしまったのだから、当たり前だ。でも、関係なかった。目の前にいる人が文樺かどうかが重要なのではない。若葉にとって大切な人だということが、重要なのだ。きっと文樺だって、今の若葉を見たら後押ししてくれるはずだ。だって文樺は、誰かを真っ直ぐに守ろうとする若葉が好きだったのだから。もう、大切な人を喪ったりしたくない。大切な人を守るためなら、若葉はなんだってする。今、出来ることを全部。死ぬつもりはないが——それが今、何よりも大事なことだ。若葉は強く目を瞑った。

 後方で、手榴弾が勢い良く爆ぜた。爆音、そして衝撃が襲う。若葉の背中に、熱さと痛みが同時に広がった。真後ろで龍が羽搏いたのかと思う程の風圧が襲ってきて、息が詰まって呼吸が出来なかった。それでも、懸命に腕の中の少女を守った。背中を焼くような衝撃に耐え、桜を抱く手に力を込める。意地でも桜を離すことはしなかった。

 背中を襲っていた風圧が弱まった。そろそろと目を開けると、視界いっぱいに、艶やかな黒髪の後頭部が映った。彼女は腕の中でその温もりを失うことなく、肩を小刻みに上下に動かして呼吸をしていた。若葉はパチパチと目を瞬いた。

(……。生きてる)

 どうやら背中の御太鼓、そして巻き付いた太く厚手の帯が若葉の身を守ったらしかった。加えて七五三をベースにしていたため、二重太鼓だったり志古貴代わりに帯が足されていたりと、本来の制服の着方よりも強度が増していたのだった。痛みと熱さからして全体的に火傷はしているらしいが、逆に言えば奇跡的にそれで済んだようだった。腕の中の少女も、怪我はなく無事だ。若葉は桜の上から起きて立ち上がり、後方を振り返った。もくもくと立ち込める黒い煙が、辺りを隠すように視界を奪っていた。廊下は巨大なドリルが突っ込んだかのように、大きく抉れているようだった。窓ガラス、天井、そして廊下の壁が崩れて辺りは残骸が飛び散っていた。見える部分はどこも黒く焦げて煤けている。辛うじてその端に、倒れた少女が確認できた。梅だ。彼女もそろそろと起き上がるところだった。小銃は爆発で吹っ飛ばされたらしく、空の両手を床に這うように広げていた。遠目かつ煙が邪魔で細部まで確認することは出来ないが、大きな怪我はないようだった。……梅も無事だ。

 ほっと一息つこうとした時、辺りの煙が一気に晴れた。……いや、違う。突如煙の奥から現れた、薄群青色の制服に身を包んだ少女。彼女は煙を巻き込んで風を起こし、その手に持つ刃を煌めかせて若葉へと迫っていた。突然の襲撃に、若葉の視線は忙しなく動いた。彼女の振り上げた右手、鈍色のナイフ、跳んだ二枚歯の先、宙を舞う長い袂。自身の上へ広がる影に、若葉は驚愕を貼り付け、ただ見上げるしかなかった。『ブルー』にとっては、この彼女の攻撃こそが本命だったのだと悟った。実際今のこの場の面々には、成す術がない。桜も梅も、その手から武器が離れている。若葉は飛び掛かる『ブルー』の少女を見上げ、僅かに顔に焦りを浮かべた。若葉の手の中には拳銃があるが、若葉には狙ったところに当てる程の技量がない。だからこそ、若葉は発砲することを避けた。成功率が著しく低い行動が、いざという時だけ成功する保証はない。代わりに立ち上がりかけていた桜へ身体を向け、力の限り外へと押し出した。彼女の小柄な身体は若葉に押され、倒れるように前へと出た。桜はその体勢のまま、後方の若葉を振り返ろうとした。

「逃げて!」

 彼女と目が合わない内に、若葉は叫んだ。それは梅への言葉でもあった。彼女達には武器がなく、敵に対抗する手段がない。若葉が引きつけて、二人が逃げる時間を稼ぐしかない。若葉は視線だけを後方へ向けようとした。視界には横の黒い壁までしか映らなかったが、背中越しに近づいてくる気配はひしひしと感じた。迫りくる影がどの程度大きくなっているのかは、わからなかった。振り返って見る程の時間の猶予はなかった。

(絶対に……桜と梅は殺させないよ!)

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