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第4話

 後ろでハーフアップにしたアイボリーの髪を、指で器用に編み込んでいく。完成した二本の三つ編みをまとめ、最後に花の飾りのついたヘアゴムで縛ると、両手を離した。緩く弧を描くふわふわの髪を揺らし、鏡に向かって頭の角度を変えて、右から左から確認する。……よし。

「今日もばっちり」

 若葉は独り言を漏らし、最後にもう一度、洗面化粧台の鏡へ身を乗り出した。可能な限りの角度で後頭部を映す。すると光を反射して、髪飾りが輝いた。ヘアゴムについた花の形をした飾りには、花びらの部分に煌めくカットガラスが埋め込まれている。上品に輝く、創られた小さな花。アイボリーに映える、ブラウンとオークル。何度見ても可愛い。これは文樺が若葉に贈ってくれたものである。

 身支度を終えた若葉は、セーラー服のスカートを翻し、小走りで玄関へと向かった。靴を履き、置いておいた鞄を肩にかける。

「あ」

 せっかく履いた靴を投げるように脱ぎ、靴下で滑りつつ廊下を駆ける。リビングのテーブルに置いたままだったチョコレートの箱を取ると、再び玄関へと向かった。靴を履き直し、とんとんと爪先を床へ叩きつけた。

「行ってきます」

 無人の廊下の奥へと、挨拶をした。誰も返すことはないとわかってはいるが、外出前の挨拶はもう癖のようなものだ。家を出ると扉へ鍵をかけ、学校への道を走り出した。隣の家へと顔を向けるが、足は止めない。今日は普段と違い、文樺は図書委員の仕事で早めに登校しているはずだ。今頃は家はもぬけの殻だろう。いつもは文樺を迎えに行って一緒に登校しているが、今日は一人でその前を通り過ぎた。文樺の家の前を駆け抜けたところで、手に持ったままだったチョコレートの箱に気が付いた。若葉は足を止めないまま、箱を鞄の中へと仕舞った。……文樺が好きな、キャラメル味のチョコレートだ。同時発売していたコーヒー味のチョコレートの方がどちらかといえば好みだが、文樺は苦いのは苦手である。だから、若葉が選ぶチョコレートは自ずと一択に絞られるのだ。若葉が走るのに合わせて、鞄の中で箱が暴れている音がきこえてきた。

(む)

 走り続ける中、視界の隅で素早く影が横切った。一早く反応して身体を大きく反らす。向かってきた影を避けるように、歩行者道路の端ギリギリまで身体を寄せた。突然道路に飛び出してきたのは、幼い女の子だった。衝突を避けた小柄な体躯は、ボールを抱えていた。足を止めないまま、若葉は女の子へと身体を向けた。

「危ないよ!」

 後ろ向きに走りながら、諭すように声を投げる。女の子は遠くなる若葉へ振り向くと、無垢な笑みを浮かべた。ボールから片手を離し、その小さい手を大きく振った。

(あんまり伝わってなさそう)

 苦笑を浮かべ、若葉は身体の向きを戻した。何はともあれ、ぶつからなくて良かった。向かう先を見つめながら、脳裏には文樺が先程の女の子くらいの年齢だった頃が蘇っていた。彼女は大人しくて本を読むのが好きで、若葉が『冒険に行こう』『探検に行こう』と言う度に不安そうにしていた。それでも最終的にはいつもついてきて、二人は様々な出会いと様々な戦利品をお土産に大冒険を終えていた。一度、闇組織の取引現場に遭遇してしまった時は、文樺は半泣きで若葉の服の裾を握りしめていた。その時は若葉が近くにいた別の組織の者の気を引いて近くに呼び寄せ、取引を中止させて事なきを得た。場を脱出した後、安心した文樺が大泣きしてしまったことを思い出し、若葉はくすりと笑みを零した。

 スピードをあげ、街路樹に沿って走っていく。横で緑がさわさわと揺れ、朝の光が零れて若葉を照らす。やがて青信号の横断歩道が見えてきて、若葉はさらにスピードをあげた。信号が変わらないうちに渡れそうだ。

「げっ」

 横断歩道に飛び出した瞬間、奥から猛スピードで迫る車に気付き、若葉は思わず声をあげた。車は歩行者に気付いても止まる気配はない。もちろん、赤信号で止まるような律儀さもない。若葉も足を止めなかった。車までの距離を確認しながら、力強く地面を蹴る。車は法定速度を大幅に超えたスピードで蛇行運転をしていた。フロントガラス越しに、楽し気な少女達の顔が見えた。彼女達は、フリルとレース塗れの黒白の服に身を包んでいた。

(『ラビット』か……ならば私を轢いていこうとするはず)

 『ラビット』は愉悦を求める組織だ。運転中に格好の的がいれば、ボーリングのピンのように倒していくに決まっている。予想通り、横断歩道を渡り切ろうとしている若葉を捉えると、スピードを上げて一直線に突っ込んできた。猛スピードで迫る車越しに、喜色満面の少女達の顔が見えた。若葉は横断歩道を全力で駆け抜け、その後も足を止めなかった。歩道に入ると、勢い良く左折する。急カーブについてこない身体を支えるように、地面に指をついた。足を動かし続けるまま体勢を立て直し、街路樹の奥へと駆け込んでいった。若葉を轢こうとしていた車は若葉の動きを追って、そのまま街路樹へと突っ込んだ。ブレーキが踏まれることは最後までなかったらしい。フロントガラスが粉々に割れ、ボンネットは大きく凹んで拉げた。黒い煙が漏れ、車はその場を動かなくなった。運転席と助手席に座る黒白の少女達が、ぶーぶーと文句を垂れている。その様子を遠目に見ながら、若葉は駆け続けた。街路樹が衝突した部分からポッキリと折れ、その巨体を道路に倒した。砂埃が舞う。緑の葉の向かう先、若葉の背は小さくなっていった。

 『ラビット』に因縁を付けられて追われるのも面倒である。若葉は大通りから逸れ、薄暗い小道へと身体を滑り込ませた。細長く続く寂れた道を、スピードを緩めた足で走って行く。一度後ろを振り返るが、誰かがついてきている様子はなかった。さらにスピードを緩め、暗い道を息を整えながらゆっくりと歩いていった。

(遅刻しないといいけど)

 大通りとは違い、この道は少し遠回りになる。ギリギリに家を出たわけではないが、あまり悠長に登校している余裕も無さそうだ。そんなことを考えながら進んでいると、遠くで爆撃の音が響き、地面が僅かに揺れた。続けて二、三発発砲音が続き、何かが崩れ落ちる音が響いた。音のきこえてきた方を見上げるが、使われていない家屋が並んでいて、その向こうを見渡すことは叶わなかった。……まあ、いつものことだ。若葉は特に気にせずに学校までの道のりを進んでいった。

 少し歩いていくと、家々が並ぶ区画が途切れた。道の両側には家の代わりに、手入れのされていない草木が生い茂っている。まるでその中に隠れるように、ほんの数段の小さな階段があるのを見つけた。脇の簡易的な手摺りは劣化が激しく、錆が目立っていた。そんな寂れた階段の上には、小さな赤い鳥居が構えられていた。その奥、狭いスペースの中央に、これまた小さな祠があった。随分と古いものらしく、年季の入った様相だ。木材は色を失い、土台となっている石の表面は苔が覆っている。所々破損も見受けられた。それでも、抗争によって壊されるのを今の今まで免れてきたらしい。若葉は通り過ぎながら、何とはなしに繁々と眺めた。鳥居の鮮やかな朱色のせいか、祠の得も言われぬ神秘的な雰囲気のせいか、不思議と目を引かれた。若葉は横切ったあと、ゆっくりと小道の先へと顔を戻した。そこにはいつの間にか、人影があった。こちらに向かってきているようだ。家々の間から漏れた太陽の光を潜る度、向かってくる人物の容姿が露になっていった。

 見たことのない服装だった。小さい花々の中から細長い装飾が垂れる髪飾り、スタンドカラーの襟元、縁取られ丸みを帯びた半袖。足首まである長いスカートは紅のグラデーションが広がり、ふんわりとした薄手の生地を風に靡かせている。紅と白、そして桃色から構成されるその服は、遠目にもとても優雅に映えていた。

(どこかの小規模組織かな)

 名もないような弱小組織か、あるいは儚い運命にある新興組織だろうか。そのような小規模組織は、ごまんとある。……けれどその紅は、薄暗い小道の中、何よりも目を奪われる程精彩を放っている気がした。そんなことを考えている間に、知らない制服は若葉のすぐ近くまで迫っていた。

 この狭い小道は、人がすれ違うのもやっとだ。通り際に何か因縁を付けられるのではないかという考えが頭を過る。しかし若葉の警戒は杞憂に終わり、道を譲った若葉に対して少女は会釈をしただけだった。そのまま通り過ぎていく背中を、ぼうっと突っ立って眺める。建物の影に消えていく後ろ姿を見送り、若葉は歩みを再開させた。暗い道を、長くすらりと伸びた足を動かして進んでいく。両際で木々が揺れ、さわさわと音をたてていた。木々や建物の隙間から、朝の元気な太陽の光が漏れ、暗い道を仄かに照らしていた。

 やがて小道は終わりを迎え、大通りへと出た。遮るものがない光が、空から若葉を歓迎する。学校はすぐそこだ。若葉はきょろきょろと辺りを見渡してから、見えてきたボロボロの校庭と校舎へと向かった。通学路には『ラビット』の者も、『ブルー』の者も、他の小規模組織の者も見当たらなかった。代わりに、いつものようにまばらにセーラー服姿の人影が見えた。日常の登校風景だ。見慣れた景色にほっと息をつく。校庭を囲う穴だらけのフェンスに沿って、緩やかに歩みを進める。角を曲がり、校門もすぐというところで、誰かが若葉のもとへと駆けてきた。目を凝らすと、若葉の見知った顔だった。クラスメイトだ。

「おはよー」

 若葉は片手をあげ、軽やかに挨拶をした。その言葉を言い終わらない内に、若葉は表情を変えた。近づいてきた相手が、血の気の引いた顔をしていたからである。息を切らして駆け寄ってきた少女は、沈痛な表情を貼り付け、声を詰まらせた。

「……何かあったの?」

 若葉は気遣うような声色で、静かに声を掛けた。なんだか嫌な予感がした。鼓動が速くなる。相手は勢い良く顔をあげ、その重い口を大きくあけた。辺りに悲鳴のような叫び声が木霊した。

「若葉ちゃん! 文樺ちゃんが、『ブルー』の襲撃に巻き込まれて、殺されたって……!」




***




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