第37話
桜は若葉を見上げた。
「……恐らく、若葉にとっては危険な立ち回りになると思います。それでも、本当にいいのですか?」
「勿論。任せてよ、絶対に死なないから」
若葉は不敵に笑ってみせた。桜はその顔を見て、ゆっくりと深く頷いた。
「桜の策を信用するよ——だから桜も、私を信じて策を立てて」
自分の不得意な分野は得意な者に任せて、その者の仕事を信じて動けばいい。全体を俯瞰して人に任せるのは、もともと若葉にとって得意とするところだ。だって、医療関係も細かい勘案事も、今まで文樺を頼ってきたのだから。逆に身体を張った探検や器用な立ち回りは、全て自分が請け負ってきた。それと同じことを、ここでもやればいい。
「この場に縹がいないのは、きっと私達のアドバンテージだ。お陰で、『ブルー』の殲滅も視野に入れられるもの。攻め入れられている状況だから、ここにいる『ブルー』の奴らを抹殺出来たら利点……なんだけど、第一に優先すべきは、あくまで仲間の援護。桜や梅が死なないように立ち回った上で、この組織の者が欠けるのを防ぐ必要がある。それを最重要事項として考えて、策を立てて欲しい。あとは朱宮さまの姿が見えないことが気がかりだけど、彼女ならきっと上手くやってるから……優先度は下げていいと思う」
林檎と実際に話した時間は短いが、それでも彼女の実力は信頼に値すると若葉は感じていた。桜や梅のように傍で立ち回りを見たわけではないため、根拠があるわけではない。……だが、彼女は信じさせるだけの何かを持っていた。若葉に事前に渡していた折り畳みナイフ、いつの間にか手にしたことを把握して使用方法を伝えてきた手榴弾。どれも若葉のここぞという時を救ってきた。それはきっと、偶然ではないはずだ。
「それと、桜は策を立てることだけに専念して、実行は全て他に任せて。適材適所、これは絶対だよ。私は桜や梅を守るために使われるんだから」
若葉の言葉に、桜は目を細めながらも、素直に頷いた。若葉はそれを確認し、梅へと顔を向けた。
「梅は変に緊張し過ぎなくて大丈夫だと思う。たぶん梅は、いつものように平常心でいれば仕事を上手くこなせる」
梅はもじもじと身体を揺らした。
「……あたし、別に狙撃部隊とかじゃあないんだけどね……」
「そうなの? でも私の見た感じ、梅の狙撃は精度が高いし絶対活かした方がいいよ。朱宮さまが私の射撃の指導役として梅を采配したのだって、絶対梅の射撃の技術を見抜いていたからだと思うけどな」
そして、それを若葉に伝えるためでもあったのだろう。
「そして、残るは私」
若葉は胸を反り、右前で合わせている襟の上へと掌を置いた。片足を軽く床に打つと、二枚歯がかたんと音を立てた。梅に着付けて貰った自慢の帯が、合わせて揺れた。
「たぶんこの敷地内で誰よりも綺麗な御太鼓なの、私だからね。つまり私が真の『ブルー』ってわけ」
梅へとウインクを零す。桜は眉を寄せ、梅はきょとんとした顔をした。
「絶対誰にもバレないから、安心して。上手くやる自信があるよ。……やり方も、この組織のやり方でいい。言われた通りにこなして見せるから」
この組織は合理性を重視していて、一つ一つの命に重きを置かず、例え自分達のことでも駒と見做す。敵への情けもなく、損得のみで物事を考える。感情を抜きにしている分、彼女達は確実に利益を上げることに拘る。そのやり方を今の若葉が自ら実行するのは難しいが、桜が指示したことをこなすだけなら出来る。もちろん血も涙もないやり口を実行するには多少覚悟がいるだろうが、大切な人を守るためなら厭わない。『ブルー』を生かせば、その内桜も梅も若葉も殺されてしまうのだ。情けを掛ける道理はないし、その隙を見せたら死ぬだけである。
「だから——私を上手く使って。指示されたことはきちんとその通りにやるし、臨機応変な対応が求められるところでは適当に上手くやるからさ」
二人のことを、絶対に守ってみせる。……今度こそ、喪ったりしない。ここにはそれを実現するだけの、仲間が揃っているのだから。
「信じてるよ? この組織の策の力をさ」
若葉は口元に弧を描いた。お道化たような口調だったが、その瞳には目の前の人達への信頼感を湛えていた。桜と梅もその視線を正面から受け止めた。顔を引き締め、口々に返事を返す。どちらも短く、けれども凛とした力強い声だった。若葉もその言葉に、頷きを返した。
窓から月明かりが差して、紅色のカーペットを四角く照らしていた。部屋の中の三人は、今後の動きを話し合った。その間も外では暴徒達の立てる音が響いている。爆発音、燃える音、銃声、崩れる音、悲鳴。澄んだ空、棚引く雲の間から覗いた月が、静かにそれを見下ろしていた。
***
『ブルー』の少女は二挺の銃を両手に構え、暗い廊下を進んでいた。獲物を探す目は、ギラギラと欲望に輝いている。先程仲間に譲って貰った銃を、廊下の奥へと突き付けた。こちらも左手に持った自前の銃同様、よく手に馴染んでいた。残弾数の少なくなった左の銃とは違い、こちらはまだ一発も発砲していない。獲物を迎える準備は万端だ。赤い制服がいればすぐにでも撃ち殺せるよう、二つの銃口は常に先へと向けられていた。やがて『ブルー』の少女の目に映り込んできたのは、赤ではなかった。床にへたり込む薄群青色の制服だった。少女はすぐに銃を下ろして駆け寄った。
「どうした?」
覗き込むと、その顔は真っ青だった。大量の冷や汗が垂れ、呼吸は不規則に乱れていた。太ももに鏢が刺さっており、止血の対応がされている。しかし症状からして、それが原因ではないことは明らかだった。『ブルー』の仲間達は、不死身かと思うくらい身体が丈夫だ。怪我くらいでこうはならない。駆け寄った『ブルー』の少女はその様子を見てただ事ではないと悟った。
「何があった?」
険しい顔で尋ねる。問われた『ブルー』の少女は、へたり込んだまま、震える口をなんとか開けた。硬直しているのか、その動きはぎこちなかった。
「ここの大将の居場所。……見つけたかもしれない」
「何?」
『ブルー』の少女は自分の耳を疑った。しかし重い動きの口は、きちんときいた通りの言葉を発していたようだった。
「どこにいる!?」
思わずその襟元を掴みそうになって、寸でのところで踏み止まった。相手は滝のような冷や汗を流しながら、薄く口角をあげた。
「……お前は違うらしいね」
意味のわからない言葉に、『ブルー』の少女は眉根を寄せた。
「……大将は、恐らく私らの中だ」
「はあ?」
理解不能な言葉が飛んできて、間髪入れずに疑うような声があげられる。
「もう建物中を探し終えたでしょう? こんだけ探していないんだ。あと残っているのは……」
「……」
仲間の中、だけ。そう言いたいらしかった。奇襲だったため、相手が外部に逃げ果せたとは考えにくい。となるとこの場にいるはずだが、現状この敷地内で探していないのは、確かに仲間の中だけだった。しかし俄かには信じがたく、口を閉じた少女は複雑そうな顔をした。『ブルー』に紛れるなど、有り得ない結論だ。
「私のこの身体も……たぶん奴にやられたんだ」
「奴?」
「包帯が巻いてあるでしょう? さっき接触したやつ……仲間だと思っていたけど、奴こそが大将だったのかもしれない。もしくは、裏切り者だ。治療をするふりをして近づいて、恐らく何かしたんだ」
見下ろす『ブルー』の少女は狼狽えながらも、相手の太ももに巻かれた包帯を一瞥した。
「そんなの制服見てわかれ」
「私らと同じ制服を着ていた。だから油断したんだ。でも、最後に残した言葉も変だった。まるで大将の場所を知っているかのようだった」
冷や汗の垂れる眉間に皺を寄せ、悔しそうに歯ぎしりをする。『ブルー』の少女はその顔を受けて、改めて包帯越しに見える鏢に視線を向けた。血のついた鈍色が、不織布の白に覆われている。
「……ただの破傷風の可能性は?」
「破傷風なら、こんなにすぐ症状は出ない」
死体と間違う程の青白い手が伸びて、『ブルー』の少女の袂を掴んだ。どこにそんな力が残っていたのかというほど強く袖が握られる。
「嘘ついてるように見える?」
「……」
見上げる『ブルー』の少女の顔は、冗談を言っている風ではなかった。その額に滲む大量の汗も、今にも死にそうな青白い顔も、とても演技には見えない。FPSゲームで襲い掛かってくるゾンビのようなしがみつき方は、死の間際の必死さが滲み出ていた。そして何よりその真っ直ぐな瞳が、『ブルー』の少女の疑いの芽を摘む決め手となった。こんな真剣な表情をしている仲間のことを信じてあげられないようでは、『ブルー』の一員失格だ。
「いや……どうやら本当らしいな。……姑息な真似取りやがって。やり返してやろうぜ」
「ああ、絶対にな。それに……このままだと皆が危ない」
ここの大将が仲間に紛れている、もしくは裏切り者がいると仮定すれば、油断した仲間が被害に遭う可能性がある。下手をすれば、今は姿の見えない縹様に近づかれる可能性だってある。
「そうと決まれば、まずはそいつを探すか。顔は覚えてるか?」
「いちいち覚えてはいないけど、きっと見ればわか——」
遠くで銃声が響いた。二人は即座に会話を止め、顔をあげる。両手に拳銃を持った少女が、音のした方へと一目散に走り出した。恐らく、下の階、北の方角だ。銃声など飽きるほどきいている、音から場所を特定するなど少女達にとっては容易い。そのまま廊下を走り抜けて、階段を駆け降りた。手負いの『ブルー』の者は走り出しは一緒だったが、あの身体では追いつけなかったようだ。進む度に後ろにあった気配は遠くなっていった。仲間を置き去りにしたまま、『ブルー』の少女は全力で足を動かす。
「逃がすかよ!」
最後の二段を飛ばし、着地する。階段室を抜けて廊下に出ると、足を止めないまま突き進んだ。程なくして、いくつかの扉が並ぶ区画が顔を出した。銃声の感じからして、この辺りで発砲されたはずだ。見えてきた並ぶ扉の内、一つが開け放たれている。きっとあそこだ。二枚歯を高らかに鳴らし、開けっ放しの部屋の前へと滑り込んだ。空いた扉の奥。狭い空間、そこには先客がいた。薄群青色の制服を着た少女だった。こちらに向いた背中の御太鼓が、ぴくりと揺れた。
「……!」
彼女は駆け付けた少女を振り返り、顔を強張らせた。両手に銃を持った少女は、部屋の中を見てほんの一瞬呆けた。背を向けていた『ブルー』の少女が振り返ったことで、その奥が見えた。そこに、『ブルー』の少女の死体があったからだった。