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第35話

「先程の立ち回り。……死ぬことは、止めたのですね」

 彼女の声色は柔らかかった。若葉はどんなに危機に瀕しても、最後まで命を投げ出さなかった。その様子を見て、何か察するところがあったらしい。桜の表情は若葉からは見ることは出来なかったが、なんだか声に嬉しさが透けているような気がした。

「うん。……文樺が望むものは、心中でも敵討ちでもないって気付けたから」

 若葉も廊下の先へと視線を向けた。大きく抉れた廊下は大方煙が晴れてきていて、ある程度見渡すことが出来た。瓦礫とガラス片が散乱し、焦げて崩れた壁や天井は建材が剥き出しとなっていた。時折瓦礫が落ちる音が、小さく響く。

「それにね。……私、この世でやることがまだあることに気付いたの」

 文樺のような大切な人を、守ること。もう、喪ったりしないように。

「だから、文樺にはもう少し待って貰おうと思って」

 若葉は廊下から視線を戻し、黒いおかっぱの頭部を見下ろした。

「勝手だと思う?」

 桜はその言葉に、廊下の先へ向けていた顔を若葉へとあげた。

「……いえ」

 重い瞼の奥の瞳を細め、彼女は笑みを浮かべた。

「わたくしは文樺さんではないので、あくまで想像ですが。……それでも、彼女は嬉しいと思っていると思いますよ」

 床に下半身を投げ出したままの姿勢で、艶めく黒髪を小柄な身体から零し、真面目な口調で彼女は言った。その瞳は喪ってしまった大事な人のものとは異なるが、それでもその奥に宿す色は、いつも見ていたものと重なっているように若葉には感じられた。

「そっか」

 若葉はその顔を見下ろし、微笑んだ。安心感の滲んだ笑みだった。それを見て、桜は小さく頷いた。

「若葉に、居場所が出来たということですから」

「居場所?」

「この世に、若葉の居たいと思える場所を見つけた、ということでしょう?」

 若葉はきょとんとした顔で、ぱちぱちと瞬いた。

(……そうかもしれない)

 桜の言葉は、不思議とすとんと胸に落ちた。言われてみれば、心当たりがあるからかもしれない。

 文樺がいない世界なんて、意味のない場所だと思っていた。けれど生きる意味を見つけた瞬間、この世界は価値を持って輝き出した。中でも一番居たいと思うのは、大切な人達の傍だ。

(その場所は、きっと……)

 静かだった廊下に扉の開く音が小さく響き、若葉は顔をあげた。丁度部屋から梅が現れたところだった。彼女の手は何も持っておらず、その顔は悲しみに沈んでいた。ひどいクマの上の瞳を伏せ、枯れ枝のような手を合わせた。

「ご、ごめん。カーテンはあったんだけど、棒やロープの確保が出来なくて、担架、作れなかった……」

「そっか、仕方ないね」

 梅へ明るく言葉を投げたあと、若葉は桜へと顔を向けた。

「桜、悪いけど肩を貸すから、それで移動出来そう?」

「ええ、大丈夫です。手間をかけさせてすみません」

「お互い様だよ、お互い様」

 肩を貸すとなると若葉は身長が高く、身長の低めな桜にとっては体勢的に厳しいだろう。しかし、如何せん梅の細い身体では寄りかかったら折れてしまいそうである。桜には我慢して貰うしかない。

 桜に若葉の肩を貸しながら、三人は階段をあがって場所を移した。梅が先導して安全を確保し、一行は薄暗い中をゆっくりと歩んでいった。桜は痛みに歯を食いしばりながらも、なんとか刃物が刺さったままの足を動かしていた。幸い道中で『ブルー』の薄群青色を見ることはなく、三人は上の階へあがると近くの部屋へと入った。梅は最後まで警戒を怠らず、廊下の奥を見渡してから慎重に扉を閉めた。敵のいない空間に籠れたと思うと、知らず知らずのうちに、若葉の口から安堵のため息が漏れた。

 若葉は桜を椅子に座らせたあと、机を繋げて簡易的なベッドを作った。桜に肩を貸してそこへ寝かせたあと、若葉と梅で応急処置に使えそうな布を集めた。梅が給湯室へ行って布を洗い濡らした後、その布を使って患部を清潔にした。最後にその付近を縛り、止血の処置を施す。刃物が抜けないよう、刃物の周りを渡してガーゼを巻きつけ、簡易的な処置を終えた。消毒剤の類も、包帯も手元にない。刃物は刺さったまま、傷口の治療も行える環境ではない。それでも処置を行う前とは桜の顔色は明確に異なった。梅が何処からか持って来た痛み止めと水の入ったコップを差し出し、桜は起き上がってそれを受け取った。錠剤を喉へ流し込むと、自身の乗る机の端へとコップを静かに置いた。ふう、と一呼吸つく。

「もう大丈夫です。改めまして……援護に来ていただいて、助かりました。ありがとうございます」

 まだ足は痛むだろうに、桜は気丈にそう言って、笑みを浮かべた。

「それに……まさかあんな方法で加勢するとは思いもしませんでした」

 桜は若葉の着る制服に視線を下げた。紅色に囲まれながら異彩を放つ、薄群青色を眺める。

「あの策は、若葉が?」

「策って程ではないけど……私はこの組織にとって唯一の余所者。それを有効活用出来ないかなって考えたの。今『ブルー』に近づいて不審に思われない人間って、たぶん私だけだからね。私の情報は、絶対に『ブルー』が持っているはずがないもの」

 桜は満足そうにその口角をあげた。

「突拍子もない発想ですが、理にかなっておりますね。……やはり、朱宮さまは……」

 何かを言い掛け、それを飲み込むようにこほんと小さく咳払いをした。「なんでもありません、こちらの話です」と断り、桜はその表情を真面目なものへと戻した。

「現在の状況はどのようになっているのでしょう? 二人は把握していますか?」

 桜は窺うように若葉と梅の顔を見渡した。それに応えるように、後方にいた梅が一歩前へと出て、若葉の横へと並んだ。

「桜と合流する前に本館と寮を通ってきたから、ざっと確認済みだよ。『ブルー』の多くはあたし達の爆弾と特攻を警戒して建物の外に出てる」

 胸に当てた掌を握り、梅は険しい顔で続けた。

「『ブルー』の奴らは、建物に火をつけていて……外の倉庫なんかは全焼してた。他の建物を燃やされるのも時間の問題かもしれない。火から逃げようとして出てきたところを捕まえて、暴力の限りを尽くしているみたいだった。外だとあたし達の策にも限界があるし、障害がない分『ブルー』の本領も発揮しやすいから……あっち有利の状況を作れるみたい。だから燃やされるのがわかっていても、安易に外に出るのは得策じゃないと思う」

「……」

「……桜?」

 報告と分析を続ける梅を、桜が不思議そうな顔で見上げていた。梅もそれに気付き、一度言葉を止め、訝しむように眉を顰めた。

「ああ……いえ」

 桜は曖昧に返事を暈した。

「なんだか……」

 桜は梅をじっと見上げ、何事か言おうとした。しかしその先を言葉にはせず、首を小さく横へ振っただけだった。その口に、僅かに笑みを浮かべる。

「いえ。なんでもありません。続けてください」

 桜は若葉を一瞥した。やはり言葉にはしなかったが、梅の心情に何か変化が訪れたこと、そしてそれが誰のせいなのかを察しているようだった。詳しい事情などは当然分かってはいないだろうが、桜と梅は日々顔を合わせている仲間だ。梅の変化には敏感なのだろう。梅は小さく首を傾げながらも、それ以上追及しようとはしなかった。状況の説明へと戻る。

「建物内部にいる『ブルー』は、数が少ないながらも依然としてあたし達を殺そうと動いてるみたい。下の階に行く程その数は多くて、上の階に行く程逆に疎らになってる印象だった。策を使って応戦してるけど……やっぱり戦闘となるとあっちに軍配が上がるみたいで、下の階はうちの組織の死体も多かった」

「まあ、想定内ですね。全体的な戦況はどうですか?」

「五分五分かな。建物内部はこっちが優勢、外は『ブルー』がほぼ圧勝。外の倉庫は全焼したから生存は絶望的、でも内部で応戦してるうちの人員を見る限りこっちの幹部はほぼ生き残ってる」

 数だけ見れば劣勢だが、質だけ見れば痛手なし。合理的に考えるのならば、確かに五分五分なのだろう。

「なるほど。……早く加勢に行った方が良さそうですね。こちらの優秀な人員が欠けると戦況に響きそうです」

 若葉は桜の足を、不安を湛えて見下ろした。白い布が巻き付く、細く柔らかい肌。未だに不釣り合いな鈍色の刃が突き刺さっている。

「その足で加勢に行くの?」

「流石に伏せていられる状況ではないですからね」

「……無茶だよ。頭のいい君達ならわかるでしょ? 怪我を負って現場に行ったって、生存率は下がるだけ。死んじゃうよ」

「指を銜えて見ていられる状況ではないことくらい、若葉もわかるでしょう。今も仲間が戦っているのです」

「でもそれじゃあ……桜が危ないよ。一緒に動く梅だって、きっと危ない」

 しかし、若葉の忠告は桜の意思の前では意味がないようだった。彼女の闘志に燃える目は、揺らぐ事はない。

 今の若葉の生きる意味は、大切な人を守ることだ。桜や梅を、死ぬ危険が高い状況で送り出すことなど出来るわけがない。もちろん、状況的に桜の気持ちも理解できる。それでも、目の前の人間を喪うのはもう懲り懲りだ。若葉は説得を続けようと、口を開きかけた。しかし焦燥感に駆られる若葉を見て、桜は察したとばかりに先んじて口を開いた。

「ああ……若葉を逃がす方が先かもしれませんね」

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