第33話
低い声がきこえてきて、若葉へ視線を向けていた『ブルー』の両端の少女も、言葉を続けようとしていた若葉も、声の主へと顔を向けた。紅色の制服に身を包んだ黒髪の少女は、明確に怒りを湛えて、目の前の敵を睨みつけていた。
「こちらは今すぐ縹を殺すことだって出来るんだ」
桜はトランシーバーを持った手を、小さく振った。
「どうすればいいかは、その能無しの頭でも答えられるだろ。お前らのするべきことは、こっちのリーダーを探すことじゃない……今すぐ降伏して、縹の解放を乞うことだ」
桜は見せつけていたトランシーバーを翻した。口元へと距離を少し縮めて、いつでもトランシーバーの繋がっている相手へ話しかけられるようにする。目の前に立つ『ブルー』の少女の顔をじっと見つめながら、桜は小さく言った。
「でないと——手遅れになる」
『ブルー』の少女は、細めた目を桜に向けたままだった。銃口は変わらず桜へ向いていて、しかしその人差し指を動かす気配はない。表情を変える様子もなく、また口を開く様子もなかった。桜の言葉を値踏みするように、目の前の小さな身体へ鋭い視線を向けていた。
「……構わん。行け」
右端の少女が若葉へ顔を向け、言いながら顎で廊下の奥を指した。若葉はぎこちなく頷いた。そしてついてきて欲しいと交渉しようと、口を開きかける。
突然、左端の『ブルー』の少女の頭から血が吹き出した。ぐらりと身体が揺れ、床へと一直線に倒れていく。一瞬の出来事に、若葉は呆けてそれを見つめた。梅の狙撃が当たったのだと理解が追いついた時には、『ブルー』の残りの少女達は既に行動を起こしていた。中央にいた少女は横の少女の頭が撃たれたと同時に素早く前へと手を伸ばし、桜の手首を捻り上げた。一瞬で間合いを詰め掴んできた手に、桜の人差し指が反応出来るはずもなかった。彼女が発砲するより前に、『ブルー』の少女の銃が桜の手の筋へと落ちた。桜の手から、銃が零れる。少女はそのまま流れるように桜の身体の後ろへ回り込み、その首に腕を回して固定した。弾が飛んできた廊下の奥へと銃を突き付け、掴んだ桜を自身の身体の前へ盾のように立たせる。……いや、実際に桜は盾なのだろう。今梅が『ブルー』の少女を狙撃しようとしたとして、彼女の腕の中に捕らえられている桜ごと殺さなければならなくなる。仲間が殺されたのを目視した途端、敵を盾にすることを思いつき、簡単に実行に移す。『ブルー』が戦闘慣れしているのが嫌でも伝わった。もう一人の『ブルー』の少女も若葉の背後へと既に銃を突き付けていて、警戒するようにその先を睨んでいた。緊迫した二人の視線の先を、若葉も遅れて追う。後ろを振り返ると長い廊下が続いていて、窓から差し込む月明かりが並ぶ先に、不気味な程の暗闇が広がっていた。
「くそ……」
後ろで発砲音が鳴った。至近距離からの爆発音に、一瞬若葉の身体が強張る。顔を向けると、『ブルー』の少女の銃から硝煙が昇っていた。廊下の奥へと撃ったらしかった。
(梅……当たってないといいけど)
ここから廊下の奥の様子はわからなかった。残りの二人を狙撃する必要がある以上、梅はこの廊下から動けないはずだ。若葉は内心心配しながら廊下の先を見つめた。そんな若葉の背後で、『ブルー』の少女は視線を廊下の先から若葉へと変えた。そして、伸ばしていた手を一度下ろし……その銃口を、若葉の頭へと突き付けた。若葉は突然向けられた銃に、思わず息を呑んだ。『ブルー』の少女へと、固い動きで顔を戻す。
「お前……反応おせえな」
目を細めた目の前の顔は、訝しむように眉を寄せていた。若葉はそろそろと両手を挙げた。
「し、新入りなもので……先輩達のような格好いい動きは出来ないっす……」
内心肝を冷やしながら、じっと見つめてくる顔へと乾いた笑みを返した。『ブルー』の少女は小さくため息を零すと、銃口を若葉から離し、再び廊下の奥へと向けた。そちらを警戒しながら、「死にたくなかったら銃を出せ」と投げやりながらも若葉へと言葉を掛けた。若葉は「はい!」と答えながら、慌てて銃を取り出した。
(相手が『ブルー』で良かった。例えば相手がここの組織の人間だったなら、今ので確実に殺されてたな)
ここの組織の者なら、少しでも不審な点があれば、仲間のように見えていたとしても躊躇いなく殺すだろう。情報を抜き取られ敵が懐に入る可能性と、本当に仲間だった時の損失を天秤にかけた時、合理性を重要視する人間はリスクに重きを置くはずだ。大きいリスクの前に、一つの命は些細なものだと考える。しかし仲間意識が強く、感情を優先しがちな『ブルー』にとっては、そうではない。小さな引っ掛かりよりも、仲間の命の方が大事だと考える。些細な違和感は見捨て、戦闘に不慣れな新人が死なないように補佐することを選択する。『ブルー』らしさ、そして弱点でもある特徴に、今回は助けられたと言っていいだろう。
「おい、行くぞ。新入りはしんがりでいいからついてきな」
桜を盾にした『ブルー』の少女は、廊下の奥を見据えたままそう言った。若葉の横で、少女は浅く頷いた。若葉は捕らえられている桜へ密かに視線を向けた。彼女は身体を固定され、身動きが取れないようだった。首に巻き付いた腕は力が込められているようで、その顔は少し苦しそうだった。
「お前は私の後ろに隠れながら進め。こいつを盾にする」
「了解」
(このままだと梅が殺される……)
桜を盾にされている以上、梅は『ブルー』の者を狙撃することは出来ない。このまま梅に近づかれたら、戦闘面は『ブルー』に利がある以上、梅に為す術はない。
(事前に共有した通りに『ブルー』の奴を一人にするだけじゃ駄目だ。桜を盾にされている状況を、どうにかしないと……)
桜の身を矢面にしたまま、少女が廊下の奥へと進み始めた。桜の右足には依然として刃物が刺さったままだが、『ブルー』の少女は無理やりに桜の足を膝で打って動かしていた。横の『ブルー』の少女も、その後ろへ続く。二人が背を向けたのを見て、若葉は廊下の奥へと向けていた銃を下ろした。『ブルー』の少女達の後についていくために足を踏み出しながら、この状況を打開する方法を必死に考える。桜を助けるために何か行動を起こせば、それは変装をバラすことにも繋がる。チャンスは一度きり、慎重にタイミングを見計らわなければならない。薄群青色の制服達は、縦一列になって暗い廊下を歩いていく。廊下は嫌に静まり返っていて、二枚歯の音が木霊していた。二人は耳を澄ましているようだった。再度銃声が鳴れば、大方の位置は特定出来るのだろう。
「止まれ」
月明かりが差し込む、窓が並ぶ場所までやってきた時だった。威嚇する低く小さな声が響いた。少しくぐもっているのは、首を絞められているせいだ。
「それ以上進むと……縹を殺すよう合図を送る」
桜はそう言って、トランシーバーを持つ手に力を込めた。銃は『ブルー』の少女によって叩き落とされてしまったが、トランシーバーは変わらずその手中に収まっていた。
(……桜も気付いたんだね。このままだと、梅が殺されることに)
一行はその場に立ち止まった。若葉の前の『ブルー』の少女は、目の前の背中へ向けて眉を寄せた。桜を捕らえている『ブルー』の少女は桜の言葉を受けて、視線を自身の前の後頭部へと向けた。銃は変わらず廊下の奥に向けたままだった。
「……なるほどな」
桜の後ろの顔は、その口角をあげた。
「ホラ吹いてるだけだったな、お前」
桜は一瞬だけ、僅かに目を見開いた。薄群青色の背中たちを前にしながら、若葉も驚いたように唾を呑み込んだ。
「……何を言っているんだ? 縹を捕らえているのは嘘ではない」
「じゃあ、縹様の声を聞かせろよ」
『ブルー』の少女の大きな声は、静かな廊下によく響いていた。
「出来ないよな? ……ハッタリだもんな」
桜の苦し気な呻き声が、喉から漏れた。首に絡み付く腕に、強く力が込められたらしかった。
「脅すんなら縹様を捕らえている証拠を提示すんのが基本だ。だがお前は縹様の外見や捕らえた場所の情報を言うばかりだった」
桜の漏れる声が掠れ始めた。このまま絞め殺されるのではないかと、一抹の不安が過る。若葉は思わずスカートのポケットへ手を突っ込んだ。
「それでいてこんなタイミングで縹様を殺す、ときたもんだ。向こうの状況を気にする素振りも全くない。こっちの行動を制御するために使っているのが丸わかりだ」
制服を変えた時、梅の目を盗んでポケットに移した物。その硬い表面を握りしめて、ポケットの外へと取り出す。前の三人は、それに気付く様子はない。
……『使い方は、レバーを握りながら安全ピンを抜去し、投擲』。
若葉の立っている場所は丁度窓と窓の間だった。暗闇の中、手紙に書かれた達筆な一文が蘇る。若葉は手にした手榴弾のピンを唇に挟み、引っこ抜いた。左手でレバーを握りしめていると、ピンはあっさりとその身を裸にした。そして、すぐさま背後へと放り投げる。身体は前へ向けたまま、しかしなるべく遠くなるように、勢いと力を込めて。即座に空いた左手を戻し、ピンを口から抜くとポケットの中へと突っ込んだ。