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第32話

 若葉は階段を少し降り、倒れている『ブルー』の死体から制服を拝借した。憎き薄群青色の制服に袖を通すのは、なんだか不思議な心地だった。長く垂れた袖、短いプリーツスカート、特徴的な二枚歯の履き物。素早く身体に纏っていくが、順調に動いていた若葉の手は、やがて途中の状態で止まった。

(これ、どうやって結ぶの……)

 長い帯を持ち、途方に暮れる。早く桜を助けなきゃという焦りが心の中で燻るが、手は思うように動かない。そうしていると、若葉を挟むように背後から細い腕が伸びて、若葉の両手にのる帯を持ち上げた。

「あたしが結ぶよ」

 すぐ後ろからの声に、若葉は僅かに顎を引いた。

「『ブルー』の制服の着方、知ってるの?」

「昔、七歳の七五三の時に、着物を着たことがあるの。……お兄ちゃんがやろうって言ってくれて。空き家で発見したボロボロの奴だったけど……きっと、それと同じ要領だから」

 梅はそう言いながら、帯を持った手を若葉の身体に回して、結び始めた。若葉は邪魔にならないよう両手をあげながら、てきぱきと結ばれていく帯を見下ろしていた。

(……この組織って、戦闘面に関する知識だけじゃなくて、いろいろな知識に貪欲な人達が集っている組織なのかも)

 七歳の時に一度だけ着た着方を覚えているはずがない。きっとその後図書室にある本などで勉強したからこそ、今も身についているのだろう。いつ役に立つかわからないような知識だが、本拠地への襲撃というここぞという大事な場面で日の目を見ることになった。

(……そういうところは、共感できるかも)

 若葉も特に役立つと思えないような知識を、粛々と集めるところがある。例えば建物の構造を把握したり、周りにある物を調べて使えそうなものを探ったり。敵の動きを観察して、その動作を習得したり。どれもいざという時に備えて行っている、若葉の習慣だ。抗争が常の世の中、いつ命の危険に出会うかわからない。さらに若葉には、常に共にいる守らなければならない存在がいた。だから何があってもいいように、情報はすべて頭に入れておくのが癖のようになっていた。使えるものも、すぐには使えないようなものも。役立つときが来るかもしれないと思って、些細なことも見逃したりはしなかった。

 ……意外と、この組織との相性は良いのかもしれない。

「結べた」

 後ろから囁くような声が聞こえてきて、若葉は我に返った。下を見下ろすと、そこには『ブルー』の少女達と同じく太い帯が巻き付いていた。背中を覗くと、梅の身体との間に御太鼓が出来上がっていた。

「うん、とっても綺麗。本家『ブルー』の奴らより立派だね」

 若葉は背中を見下ろしていた視線を、梅へとあげた。弾んだ声の賞賛に、梅は恥ずかしがるように視線を逸らした。

「よし。……桜を助けるよ」

 二枚歯をかたんと鳴らし、薄群青色に包んだ身体を梅へと翻す。若葉は真剣な表情で——それでも希望を宿した明るい声色で、仲間へとそう告げた。梅も表情を引き締め、ゆっくりと一度、深く頷いた。

 若葉は短く息を吸った。それから唇をきゅっと結ぶ。二枚歯で床を蹴り上げ、長い袂を躍らせた。階段室を飛び出し、闇が広がる廊下へと戻った。後ろで梅も階段室を飛び出したのが、響いた靴音で分かった。すぐにその音は止み、続いて銃を弄る音が後ろで小さく聞こえてきた。恐らく、狙撃の準備に入ったのだろう。若葉は後ろを振り返らず、勢いを乗せて廊下を走り続けた。真っ暗闇から、徐々に視界が開けていく。渡り廊下へ差し掛かった時、ガラス張りの向こうから、月明かりが包み込んだ。アイボリーの弧を描く髪を靡かせるその奥、淡い光を映した瞳は、廊下の先を一心に見つめていた。奥の蠢く薄群青色が、段々とその輪郭を露にしていく。そしてさらに奥の、紅色の制服も見えてくる。若葉の足は止まらなかった。

 近づいてくる二枚歯の音に、薄群青色の者達はまだ距離があるながらも、若葉の方へと顔を向けた。三人とも身体は目の前の紅色の制服へ向けたままだった。顔を向けた両端の少女達の動きは、警戒するようなものだった。その腕は、振り返り際に同時に若葉へと伸ばされていた。その手には拳銃が握られていて、二つの銃口が若葉を捉えていた。それでも若葉は立ち止まることなく走り続けた。守りたい相手へ向かって一直線に突っ込んでいく。『ブルー』の者にも、誰にも、止められるわけがなかった。

 向けられた銃は、発砲されることはなかった。突っ込んでくる姿が薄群青色だと確認すると、若葉の方へ伸ばされた手はすぐに引っ込み、銃口は再び紅色の少女へと戻された。窓から差す月明かりをいくつも潜り、若葉は四人の前まで来て、ようやくその足を止めた。近くで見ると薄群青色の制服はどれも煤けていて、破れや燃え跡が目立っていた。近くの二つの扉は開け放たれていて、どちらも弾痕が残り、酷く拉げていた。廊下は大きく抉れ、壁の崩壊具合から扉の奥も損傷が激しいことが察せられた。『ブルー』の三人は囲う様に紅色の少女の前に広がっていた。唯一若葉の方へ振り返らなかった中央の薄群青色は、紅色の少女を真正面から銃口で捉えていた。そして紅色の少女もまた、その薄群青色の少女へと銃を突き付けていた。抉れた黒い壁に背中を預けて立っている。右足には、スカートを巻き込んで刃物が深く突き刺さっていた。紅色の薄い生地に血が広く滲んで、グラデーションを汚していた。銃を持っていない方の手にはトランシーバーのような物が収まっていて、目の前の少女達に見せつけるように掲げられていた。黒髪のおかっぱの中の顔は、近づいてきた人物の顔を確認して僅かに呆けたような表情をしていた。

 若葉は荒く息を吐きながら、背中を向けたままの中央の少女を除く場の視線を浴びていた。息を整えながら全員を見渡す。そして窺うような表情を作って、口を開いた。

「一人殺してきたんで、加勢に来たんですけど……どういう状況ですか?」

 場にそぐわないような、呑気さの残る口調だった。若葉の言葉を受けて、『ブルー』の端の少女の視線が若葉の顔からその制服へと下がった。視線の先の制服は、血で汚れていた。それが若葉の言葉を裏付けたのか、若葉の状況をそれ以上問うことはなく、『ブルー』の少女は状況説明を始めた。

「コイツ……仲間が縹様を捕らえたとかほざいていてな。どうせホラ吹いてんだろって殺しちまおうかと思ったんだが、合図を出し次第仲間が縹様を殺すとか抜かし始めたんだ」

「もしコイツの言うことが本当だった場合、殺す前に縹様の居場所を訊き出さないと手掛かりがなくなっちまうだろ? ただ縹様側の状況がわからないもんで、コイツに無暗に乱暴していいのかってなってたところだよ」

 『ブルー』の少女は銃口を向けた先の少女へ見下した視線を投げた。面倒くさい状況を作った怨みも込められていそうだった。

「お前は何か、縹様の状況を掴んでいたりしないか?」

 端の『ブルー』の少女が、若葉へと顔を向けた。じっと、窺うように見つめられる。その顔には加勢しに来た少女への警戒心や猜疑心は微塵も浮かんでいなかった。

「いや~……知らないっすね」

 若葉は後頭部をかいた。尋ねた『ブルー』の少女は、そうか、と答えただけだった。特に期待していた素振りもないようだった。

「……このまま殺してしまうのは簡単だがな。……今日、縹様の姿をお見掛けしていないんだ」

 中央の少女が、桜に銃を突き付けたまま口を開いた。彼女は端の少女達とは違い、貫禄の滲み出る口ぶりだった。後ろの若葉へ声をかけながらも、その視線はずっと目の前の敵を射貫いたままだ。少しでも動けば引き金を引く。そんな気概が透けて見えた。

「あの縹様が現場に姿を見せないなんて珍しいからな。別の用事が入ったか、後から来るのかと思っていたが……コイツの言っていることが本当だった場合、辻褄が合うのも確かだ」

 ……なるほど。恐らく桜も敵のトップの姿の情報を得ていて、その姿が見えなかったからこそ、こんなハッタリをかましたのだ。

(いつも抗争現場に現れるリーダーが、敵対組織のアジトへの初襲撃という重大な局面で不参加って……絶対におかしい)

 『ブルー』の少女の言うことが本当なら、本来ならば『ブルー』のリーダーは今日の襲撃で勇んで先陣を切っているはずだ。若葉の脳内に、部屋で二人きり、林檎と対峙した光景が過った。彼女に渡された写真、そしてティーカップを両手で包む、彼女の影のある表情。

(つまり、あの写真も朱宮さまの言っていたことも、全て本当だった? 『ブルー』の長の縹も、朱宮さまと同じ気持ちで……だから襲撃に、参加出来なかった……?)

 この場に林檎がいた場合、殺さざるを得なくなってしまうから。

「……」

 若葉が難しい顔で黙っていると、「おい」と乱暴な声が掛かった。

「縹様の状況を探ってこい。それと、今すぐここの大将を見つけ出してこいと他の奴らに伝えろ。コイツの言う事が嘘であれ本当であれ、こっちも同じことすりゃあいいんだ」

 桜の顔が僅かに強張ったことが、若葉にはわかった。

「あの縹様と、ぽっと出の王様気取りの雑魚のどっちの方がもつかって、お前にだってわかるだろ。見つけりゃこっちのもんだ」

 指示を飛ばす少女は、やっぱり桜へ銃を突き付け、そちらを注視したままだった。その背中へ、若葉は険しい顔のまま、「うす」と返した。指示に従いつつ、ここで誰かについてきて欲しいと言えば、事前に計画していた通り一人誘導して離すことが出来るはずだ。こちらの長を探し出されたらまずいが、敵と共にいれば若葉が邪魔することも出来る。邪魔と言っても『ブルー』の暴力で突破されたら若葉では成す術はないのだが、まずは何より桜を助け出すことが先決だろう。

「……いいのか」

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