第26話
「て、鉄砲玉さん」
仲間の背中を見送っていた若葉は、呼ばれて梅へと振り向いた。彼女は口角を上げる努力をしながら、若葉の顔を窺っていた。
「倉庫に武器の補充に行きたいの。つ、ついてきてくれる……?」
「うん、わかった」
情報によれば、今はこの建物には『ブルー』の者はあまりいないようだった。下手に一人で外に出ようとするより、梅についているほうが安全だろう。それに敵が少なければ、若葉が足枷になるようなこともないはずだ。若葉は頷いた。
二人で廊下を進み、階段へと向かう。倉庫や保管庫として使っていると桜が紹介していた階へあがると、二人は扉の並ぶ通路へと出た。所々破壊され死体もいくつか転がっていたが、一階程ではなかった。梅に続いて進もうと、足を踏み出す。薄暗い廊下は、不気味な程静かだった。
突然、横の扉が勢い良く開いた。扉側を歩いていた梅が即座に反応し、手にしていた銃を素早く構えた。部屋から飛び出してきたのは、薄群青色の少女だった。長い袂をはためかせ、二枚歯を真っ直ぐに目の前の少女目掛けて繰り出していた。梅は引き金を引いた。『ブルー』の少女は足を梅へと突き出したまま、上体を反った。銃弾はその上を通り、部屋の奥の窓ガラスを突き破った。その間も迫っていた二枚歯が、梅の細い身体に食い込む。『ブルー』の少女の全力が乗った衝撃に、梅の身体は吹っ飛んでいった。
「梅!」
梅は廊下の壁に叩きつけられた。梅の背後の窓ガラスが割れ、瓦解していく。ガラス片が外へパラパラと落ちていった。梅はその身体をずるずると床へ落とした。
『ブルー』の少女は、若葉の姿を確認して眉を顰めた。着ている服が異なり、さらに何も武器を持っていない若葉の姿は、『ブルー』にとって奇異に映ったようだった。しかし、向こうからしたらそんなのは些細な事である。『ブルー』にとって戦場は楽園、暴力を振るうことは悦び。敵地に人がいれば、それは全員漏れなく粛清対象だ。目の前の『ブルー』の少女も例外ではなかったようで、すぐにその顔に好戦的な笑みを浮かべた。
『ブルー』の少女は短いプリーツスカートのポケットから折り畳みナイフを取り出し、空中で振って刃を露出させた。そして若葉の首目掛けて下から振る——目にも留まらぬ速さだった。若葉は大振りに身体を反って、それを避けようとした。セーラー服の肩が巻き込まれ、生地が裂ける。しかし身体には当たらなかった。ほっとしたのも束の間、刃はそのまま上から勢いをつけて若葉へと向かってきた。先程の攻撃はフェイクで、こちらの刺突がメインだったらしい。
(やば、逃げ切れない……!)
自身の胸部に向けて、刃が突き進む。落下の勢いと『ブルー』の少女のありったけの力が乗せられ、まるで閃光の様だった。窓の外の月明かりに照らされて、刃先が鈍く光った。このままだと胸を抉られるとわかっていても、その圧倒的速さの前ではどうすることも出来なかった。
突如、若葉の目の前で赤が散った。若葉の心臓目掛けて落ちていた、『ブルー』の少女の手からだった。力の入らなくなった手の中から、ナイフが滑り落ちていく。少女の掌には、穴が空いていた。貫通していて、廊下の奥が見える。少女の手を通過した銃弾は、廊下の奥へと真っ直ぐ進んでいって見えなくなった。『ブルー』の少女は自身の手をもう片方の手で包み、痛みに顔を歪めた。そして、彼女は即座に廊下の端へ顔を向けた。若葉も慌てて同じ方向へと顔を向ける。そこには、長い廊下が続くばかりだった。死体は三つ四つ転がっているが、銃を発砲したと思われる人影はなかった。
(銃声はしなかった。サプレッサーが付けられていたということ……たぶん、味方の援護)
ピンチがチャンスになった。『ブルー』の少女は痛みで右手が使い物にならないはずだ。若葉は梅へと密かに視線を向けた。梅は背中を打ち付けて上手く呼吸が出来ないらしく、息を整えるのに必死だった。その手から放れた銃が、床に転がっている。若葉は唇を結んだ。そして銃を拾おうと、勢い良く身を乗り出す——しかし、『ブルー』の少女はそれを察知していた。彼女は即座に足を踏み出した。その勢いを乗せ、突き出した右腕を若葉のみぞおちへ埋める。掌は風穴が開き使い物にならないが、肘は使える。そして体重移動を利用する突き込みならば、手に力が入らなくても一撃を繰り出せる。若葉は避ける術もなく、その攻撃をもろに受けた。衝撃と鈍い痛みが身体を駆け巡る。鈍器で身体を叩かれたようだった。苦しくて、呼吸がままならない。思わず上体を折り、その場に蹲った。『ブルー』の少女は、落ちていた拳銃を左手で引っ手繰るように持ち上げた。先程銃弾が飛んできた方向へと、銃口を突き付け引き金を引いた。廊下の奥へ、銃弾が吸い込まれるように溶けていった。
「……」
『ブルー』の少女は暫し廊下の奥を注視していた。その間も、彼女の右手からは次から次へと血が伝って滴り落ちていた。廊下の奥は影一つ動くことなく、物音も立たなかった。人の気配はないようだった。
廊下の壁にもたれ掛かり四肢を投げ出したままの梅、その横で蹲る若葉。二人とも身体を襲った痛みと衝撃にとらわれたままだった。梅の銃も、今は敵の手の中だ。
(まずい、なんとかしないと……このままだと、二人とも殺される)
痛みや苦しみからか、この危機的状況のせいか、若葉の頬を冷や汗が伝って落ちていった。『ブルー』の少女は廊下の奥を警戒するのをやめ、顔を戻した。そして、左手に持った銃を梅の頭へ突き付けた。引き金に掛かった指が、ゆっくりと曲げられる。利き手とは逆であるため、その動きは慎重だった。
(今しかない)
本来ならば即座に発砲されるはずだった引き金は、まだ引かれていない。僅かでも隙が生まれたのなら、それを生かすしかない。若葉は『ブルー』の少女へ身体ごと突っ込んで、思い切り体当たりした。横からの突然のタックルに、少女の身体は若葉ごと傾いていった。若葉の頭上で発砲音が鳴り響く。続いて、窓ガラスが割れる音が降ってきた。銃弾の軌道を梅の頭から逸らせたらしい。『ブルー』の少女は若葉が動けるとは思っていなかったらしく、飛び込んできた後頭部を見て眉を寄せた。しかし、若葉にとって問題はここからだ。若葉の予想通り、『ブルー』の少女はしがみつく若葉の頭へと瞬時に銃口の向きを変えた。二人の身体は重力に引かれながら、共に落ちていく。そして躊躇いなく、引き金が引かれる——。
ピピピピピ……!
銃声はしなかった。代わりに、不快な電子音が廊下に小さく響いた。直後、発砲音がすぐ頭上で鳴り響いた。しかしそれは若葉に向けてではなかった。遠くで着弾した音がきこえてくる。くぐもった電子音がきこえてくる方角と同じだった。戦い慣れした『ブルー』の少女は、小さくきこえてきた音に対して人が潜んでいると判断し、即座に狙いを変えたらしかった。少女と若葉は、冷たい床へと倒れ込んだ。下敷になった『ブルー』の少女は、その短いスカートを翻し、被さった若葉を膝で蹴り上げた。抉るような腹部の衝撃に、思わず若葉は身体を折り、少女の上から転げ落ちた。
上体を起こした『ブルー』の少女は、電子音が鳴り続ける部屋へと警戒する視線を投げた。銃口を音のする扉へと向けたまま、引き金を引く——そして銃声とともに、その頭から血が吹き出した。若葉は横から降る血に呆気にとられた。『ブルー』の少女の上体は、ゆっくりとうつ伏せに倒れていった。
「怪我はありませんか」
銃弾が飛んできた方角、廊下の奥から姿を現したのは、桜だった。真面目な声色を響かせ、梅と若葉へと小走りで近寄った。
「だ……大丈夫……」
壁に上半身を預けたままの梅が、へろりと笑みを作って答えた。桜は続けて、死体の横に倒れている若葉へと視線を落とした。若葉も笑みを作ろうとしたが、上手く出来なかった。
「こ、こっちも大丈夫。ただ、ちょっと……しばらくこのままにさせて……」
掠れた声で答える。みぞおちと腹部に重い痛みが残り、息が苦しい。内臓が、鉛のように重く感じる。今すぐには立ち上がれなさそうだった。桜は命に別状がないことを確認し、ほっと安堵したように一息ついた。
この場にそぐわない電子音が鳴り響く部屋へと向かい、桜は扉を開けた。開けられた扉には銃弾が埋まっていた。しばらくして、音が止む。部屋から出てきた桜は、真っ直ぐと若葉のもとへ向かい、しゃがみ込んだ。
「貴女の策で貴女は助かったのですよ」
「私の……策?」
つまり、先程の電子音は時計のアラーム音だったということなのだろう。桜はアラームを仕掛け、他の階を使って回り込み、機会を窺っていた。ショッピングモールでの若葉と同じように。そしてアラームが鳴り、『ブルー』の少女の気が削がれた瞬間、その頭へと発砲した。恐らくそのようにして、若葉を救ってくれたのだろう。
「ああ、『ブルー』の子の手を撃ってくれたのって、私を守るためだけじゃなくて、アラームを設定する機会を作るためでもあったんだね……」
「……手を撃つ? 何の話ですか?」
若葉の零した言葉に、桜はきょとんとして訊き返した。
「……あれ? 『ブルー』の子の手……撃ってくれたの、桜じゃないの?」
「いえ、わたくしは最後の発砲のみですね」
「そうなんだ……。じゃあ、他の仲間が撃ってくれたんだ……助かったよ」
自然に零れた言葉だったが、そういえば自分はこの組織の者ではなかった。この組織に属する面々は、当然『仲間』ではない。若葉は言ってしまった言葉を誤魔化すように、頭を身体に寄せ、丸くなった。
「……」
梅は二人の会話には興味を示さず、目の前の死体に視線を落とした。陰で、僅かに眉尻を下げる。壁から上体を起こすと、死体の手に握られたままだった銃を取り戻した。
「わたくしは上の階へ向かいます。もしかすると、まだ『ブルー』の奴が潜んでいるかもしれません」
桜は立ち上がって、ふんわりとした薄手の紅のグラデーションを叩いた。長いスカートが柔らかく広がる。倒れたままの若葉と、膝をつく梅をそれぞれ見下ろした。
「あとは二人で大丈夫ですか?」
「う、うん……大丈夫」
梅がすぐさま返事をし、視線は逸らしたままながら強い語気で言った。桜は僅かに笑みを浮かべた。
「では、ご無事で」
桜はそう残すと、拳銃を握り直し、廊下の奥へと駆けて行った。その小柄な背中は、階段へと曲がり消えていった。