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第22話

 話が一段落したのか、梅はコップを両手でとってごくごくと水を飲んだ。それから両手を置いた若葉を、不思議そうにちらちらと覗いた。

「……た、食べないの? デザート」

 若葉の盆の上には、ババロアの入ったミニカップが乗っていた。艶やかなピンク色の表面に、苺の粒粒と気泡の跡が広がっている。そしてその上にはいちごジャムのソースがたっぷりと掛けられていた。一口も手を付けられることはないまま、食べられる時を待ち続けている。

「うん。梅、ババロア好き?」

「……え? ……う、うん。好き……」

 若葉はミニカップを取り、梅へと軽く掲げた。

「あげる」

 梅の御盆の上、既にある同じ形のミニカップの隣へと置いた。梅はぱちくりとそれを見下ろした。

「え? えっと……」

「甘いもの、好きなんでしょ?」

「好き、だけど……。えっと……。……い、いいの?」

 梅はしどろもどろに言い、困ったように若葉を見上げた。若葉は当たり前だという顔で頷いた。いつも文樺にしていることだ、若葉にとってはこれが普通だった。

「もちろん。それとも、もうお腹いっぱい?」

 三分の一程しか手が付けられていない梅のどんぶりの中身を見ながら、若葉は問いかけた。梅はなぜか悪い事がバレたような顔をした。それから困ったように呻き、一度若葉を見上げた。再び半分以上が残ったままの御盆を見下ろし、梅は頭を掻いた。ボサボサの毛先が、ピンと跳ねた。

「せ、説明が……難しい」

「説明?」

「……」

 若葉は、梅の次の言葉を根気よく待った。梅は「あー」「うー」と呻いたあと、両手の人差し指を伸ばし、ちょんちょんとくっつけた。苦い顔で視線を逸らしたまま、口を開く。

「実は……あ、あたし、小食で。その……いつも、昼食を持って帰っているの……。夕飯にするために……」

「あ、そうなんだ。じゃあ、そのババロアも一緒に夕方に食べなよ」

 満腹の時に無理に食べる必要はない。若葉は軽く返し、それから内心首を傾げる。

(あれ、説明……ってほど、難しい話じゃないと思うけどな)

「……」

「あ、でもどうやって持って帰るの? 食器は返却しなくちゃだよね」

 梅は無言でフロアの一角を指差した。そこには箸やスプーンなどの食器に混じって、使い捨てのプラスチック容器が置いてあった。

「なるほど、あれに入れるのか。ってことは、ババロアは無理そうだねえ……」

 入れられないことはないだろうが、たっぷりと掛かったソースが容器の間から漏れそうだ。ババロア自体もぐしょぐしょに崩れてしまうだろう。

「……。……と、いうのは、いつも使う建前……」

「建前?」

 梅は若葉が御盆に乗せたミニカップを持ち上げると、もう片方の手でスプーンを手に取った。言葉に反して、どうやら食べる胃のリソースはあるらしい。赤いソースのたっぷり掛かったぷるぷるの塊を掬い、口へと入れた。その瞬間、とろけるような顔になる。

「……。美味しい……」

「良かった」

 見ている方も笑顔になるような、幸せそうな表情だった。譲って良かったな、と若葉も微笑む。ゆっくりと味わって咀嚼し、まるで大切なものを仕舞うかのように嚥下を終えると、梅は口を開いた。心なしか、僅かに血色が良くなった気がした。

「実は、持って帰ってるのには、理由があるの」

「理由?」

「……家に……病気のお兄ちゃんがいるの」

 最大限に潜められた声は、辛うじて若葉の耳へと届いた。梅は暗い表情で、スプーンを握る手に力を込めた。

「お兄ちゃんに分けるために、いつも持って帰ってるの。だから……あたし、こんなに食べられたの、久しぶり」

 顔をあげ、笑みを作る。やっぱりぎこちなかった。

「う、嬉しい。ありがとうね……」

 しかし、その声色は本心であろうことが察せられた。若葉も微笑んで、「どういたしまして」と返した。

(この子、こんなに痩せてるのも血色が悪いのも、ちゃんと食べてないからだったんだ)

 梅は二口目をスプーンで掬うと、もぐもぐとババロアを食した。口角はあがりっぱなしだった。

「それにしても……お兄ちゃんって、珍しいね。男児なのに、この国に残ったの?」

 男児が生まれた場合、この国の外に連れていかれるのが普通だ。しかし梅の兄は、それを免れたらしい。

「先天性の、病気だから……。病人だってわかったら、連れてかれなかったらしいよ。昔、お母さんが言ってた。……すぐ死ぬって、思われたのかな……」

 梅はクマのひどい瞳を伏せた。悲しみを振り払うように、「でも」と続ける。

「確かにお兄ちゃんの病気は酷くて、ずっと伏せっているけど……ちゃんと今まで、あたしと一緒に生きてくれた……」

「そっか。梅のお陰じゃないかな」

「えへへ……そうだと、いいけど」

 梅はスプーンを咥えたまま、相好を崩した。兄への家族愛が垣間見えた。

「お兄ちゃんは、どんな人なの?」

「すっごく、優しいよ……。いつもあたしのことを気に掛けてくれてる……。……お兄ちゃんの方が、身体が辛いはずなのに……」

 スプーンは赤いソースを突っついた。苺の粒が散った赤く透き通る液体が、僅かに凹んだ。

「お兄ちゃんはいつも、あたしのこと励ましてくれるんだ。この前、『ラビット』の奴らを全員殺したことを報告した時なんて、すっごく褒めてくれた……」

 穏やかに語る声は、大切な宝物を披露するようだった。

「……だけど……そんな危ないところに行かせてごめんって、謝られちゃった。……お兄ちゃんが気にすることじゃ、ないのに……」

 梅は言葉を切り、ババロアを口に入れた。若葉はテーブルに頬杖をついて、その様子を眺めた。

「……鉄砲玉さんも、妹みたいな存在の子がいたんでしょ? ……きいたよ……」

 ババロアを飲み込んだ梅は、少し躊躇いがちにそう言った。ちらちらと若葉の様子を窺い、目を逸らす。

「……あ、あたしも協力するよ。『ブルー』の奴らは皆、同じ苦痛を味わわせて殺そう。頭を砕いて、手をすり潰して、腸を引きずり出して、足を捥いで……。絶対に、許せない……」

 梅はスプーンを握りしめた。

「そうだね……」

 若葉は空っぽのどんぶりの底を見つめながら、寂し気に笑った。コップの中の透明な水面が、若葉の顔を映して揺れていた。




 梅が食事を終えた後、親子丼を移した容器を備え付けの冷蔵庫に残して、二人は食事スペースを離れた。梅は若葉を連れて、エレベーターホールへと向かった。

「鉄砲玉さんは……。じゅ、銃の扱いは……?」

 梅はのそのそと歩を進めながら、若葉をちらちらと見て質問をした。

「桜にセーフティレバーの扱いをきいたくらい、かな……。『ブルー』の子に対して撃ったりもしたけど、上手く心臓には当たらなかった」

「そっか……。一応撃てはするんだね。じゃ、じゃああとは、精確性か……」

 エレベーターへ乗り込み、導かれた先は倉庫だった。桜に時計を貰った部屋だ。

「練習で使う銃を持っていこう……。ぶ、武器の持ち歩きは許可出来ないから、終わったら、返してね……」

 若葉は一応外部の人間である。銃を持ち歩くことはNGらしい。

「はーい」

 御座なりに返事をし、入り口の横の壁に背を預ける。梅は薄暗い部屋の奥へ入ると、棚を一段一段ゆっくりと見渡した。銃を探しているようだ。梅は一歩一歩部屋の奥へと進み、目当てのものを見つけようと視線を這わせていた。若葉は音もなく上体を起こした。梅の背中を一瞥してから、隅の棚へと密かに近づいた。一番手前の物を掠め取り、素早くセーラースカートのポケットへ突っ込んだ。折りたたみナイフが入っている方とは、逆のポケットだ。音を立てずに後退し、入り口の近くまで戻る。同時に、梅が奥で手を伸ばして何かを持ちあげた。もう片方の手で別のものを取り、組み合わせる。音からして、どうやら弾倉を取り付けたらしかった。彼女は振り返ると、長い前髪の間から、クマの残る目でじっと若葉を見つめた。青白く骨ばった顔は、薄暗い中に立つとまるで幽霊のようだった。

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