第2話
この街でも有数の広さを誇る公園には、ちらほらと人影があった。若葉達と同じようにセーラー服姿の子もいれば、見たことのない制服姿の人もいた。どこかの少規模組織の者なのだろう。会社時代によく着用されたといわれるスーツ姿の人までいて、通りすがりに若葉は思わず横目でじろじろと眺めてしまった。
(ん? あれって……)
緑の生い茂る細い道を二人で歩いていると、反対側から特徴的な姿の少女が歩いてきた。右前ですらりと合わせている襟、長く垂れ緻密な模様が彩る袂。胸の下に結ばれた太い帯、フリルが縁取る短いプリーツスカート。二枚歯に鼻緒が特徴的な履き物、頭には一輪の大きな花が目立つ簪。
(薄群青色の独特な制服……『ブルー』の奴か。こんなところでまで抗争……?)
静かで長閑な公園は、抗争の二文字とは似つかわしくないように思える。なるべく目を合わさぬように注意しながら、若葉はこっそりと対象を盗み見た。段々と近づいてくる少女の手には、銃は握られていなかった。
(『ブルー』は力自慢が集まる組織って話だったからまだわからないけど、もしかして抗争が目的ってわけでもないのかな……?)
仲間を引きつれているようでもない。その表情も警戒するようなものではなく、公園の景色を緩やかに見渡している。隣の文樺が、両の手を胸の前できゅっと握った。息を潜めているのを見て、緊張が伝染する。若葉も思わず唾を呑み込んだ。
『ブルー』の少女は、その長い袖を靡かせて、文樺の横を通り過ぎた。若葉達に因縁を付けるようなこともなく、公園の出入り口の方向へ二枚歯を鳴らすだけだった。帯の御太鼓が遠くなった頃、文樺は立ち止まって、肺の奥底から深く息を吐いた。
「こ、怖かった……」
「ね」
若葉はちらりと背後を見やった。小さくなった『ブルー』の少女は、変わらず静かに歩みを進めていた。
「まあ、何か言われたとしても大丈夫だよ。知らぬ存ぜぬを通せば平気平気」
「そうかなあ」
文樺の背中を軽く叩いて、若葉は歩みを再開させた。文樺も若葉を見上げ、それに続いた。
目的の場所へ辿り着くのにはさほど時間はかからなかった。大きな池に面した石橋を渡ってすぐ、開けた場所に石造りのベンチが二つ鎮座していた。辺りを覆う木々と花々、そして一面の透き通る水面を一望出来る、特等席である。雨よけの屋根は木材が中央から斜線上に伸びていて、深閑な休憩スペースを守るように覆っていた。
深緑に囲まれた清閑の地には、先客がいた。ベンチに座るフリルとレース塗れのスカートは、パニエにより大きく広がっている。フリルがレースを作ってリボンでそれを絞り、その下からさらにフリルとレースが顔を覗かせている。しかし部分的に血に塗れて、細部を見ることは出来なかった。リボンの先が垂れるひざ下は、これまたフリルで彩られたニーハイソックスで包まれていて、スカートの下からガーターベルトがちらりと見えた。その隙間の肌は青紫の痣がいくつも浮かんでいる。底の厚い黒い靴が包む足先は、あらぬ方へと曲がっていた。本来黒と白で統一されているはずのフリルとレース塗れの制服は赤に染まっていて、着用主は既に息をしていなかった。顔は元の形状がわからぬ程に殴打の跡が見られた。
ベンチに一人座る死体を前にして、若葉と文樺は立ち尽くした。周りはただ、木々が揺れるさわさわとした音だけが広がっていた。
「……場所、変えよっか」
「うん……」
広い公園の反対側、死体が独り占めしていたベンチから距離を離し、若葉と文樺は芝生の上へと腰を下ろした。丘のようになっていて、明るい緑が一面に広がっている。なだらかな傾斜となっていて、少し下ったところには細い道が入り組み、点々と添えられている木々が見えた。遠くを見渡せば、公園を囲う木々の向こうに建物が犇めいているのが見え、そしてその上には空がどこまでも広がっていた。開けた視界は思わず深呼吸をしたくなるほど解放感に溢れていた。
二人は柔らかい芝草の上にドーナッツショップの箱をのせた。そして箱を開く。若葉は中に入っていたペーパー越しにフレンチ・クルーラーを半分にし、一つを文樺へと差し出した。文樺はそれを受け取り、二人は顔を見合わせて笑みを零した。
「頂きます」
「頂きま~す」
二人は新商品の味を堪能し、感想を零し合った。柔らかい風が、艶やかな黒髪のセミロングと、アイボリーのふわふわの髪を靡かせていった。芝生が波のように揺れて、影を遠くへ運んでいく。
「……」
不意に、文樺がきょろきょろと辺りを見渡した。眺めのいい芝生の上からは、周りに人影がないことを一望できた。嚥下を終えた若葉はその様子に気付き、小さく首を傾げた。
「どうしたの?」
「その、さっきの『ブルー』の子がいるんじゃないかって、怖くて……」
文樺はおずおずとそう言って、身を縮めた。彼女の顔には恐怖が滲んでいた。先程出会った『ブルー』の少女、そして死体を思い起こす。若葉も文樺に倣って辺りを確認してから、安心させるように笑い掛けた。
「大丈夫、いないよ。ほら、せっかくの新商品なんだから、余計な心配してないでもっと味わわなきゃ」
若葉はそう言って、手に持っていた残りを全て口に入れた。「美味しい~」と落ちそうになる頬に手を当てて舌鼓を打つ。美味しそうに食べる様子を見て、文樺もぎこちない笑みを浮かべた。
「そうだよね……。さっきの子は、きっともう公園を去っているよね」
自分を鼓舞するようにそう言って、文樺もドーナッツを一口食べた。円形の端が、小さく口の形に欠ける。その様子を見て、若葉はほっと胸を撫で下ろした。同時に、文樺が夕焼けに染まっていることに気が付いた。後ろを仰ぎ見ると、奥の方から橙色に染まっていて、その光が木々を眩しく照らしていた。
「ねえ、若葉ちゃん」
横から静かに呼ばれ、若葉は顔を戻した。文樺は手に持ったドーナッツの残りに口をつける気配もなく、芝生に視線を落として暗い顔をしていた。芝生には、二人分の黒い影が伸びていた。
「若葉ちゃんはさ……。将来、『ブルー』に入るの?」
若葉は緩慢に目を瞬いた。じっと見つめる先、少女の大きな瞳は、こちらを向いていない。
「今のこの世の中、『ブルー』に入るか、『ラビット』に入るか、大きく二択になるよね? 当たり前の事だから、今までこんな話してこなかったけど……。若葉ちゃんはどうするつもりなのかな、……って、気になって」
今の時代、世を支配している組織は主に二つだ。新興組織の『ブルー』、そしてほぼ時を同じくして発足した『ラビット』である。二組織は急激にその規模を拡大していて、近頃の抗争はほぼほぼこの二組織によって行われている。数多の小規模組織はあれど、どれも資金難に加えて武力や人手不足であり、『ブルー』と『ラビット』によって片っ端から壊滅させられている。過去の時代には、人々は会社というところで働きお給金を貰っていたらしいが、今は少なくなった会社で働くのは機械かロボットのみである。政府も崩壊し、警察などの公的機関も弱小組織に成り果てている。少女達が食い繋いでいくには、『ブルー』、もしくは『ラビット』に入るしか道はない。
「そうだね……」
声を落として、若葉は文樺から視線を逸らした。唇を嘗める。
「……うん、いずれは『ブルー』に入るだろうね」
正直言って、若葉には戦いなど微塵も興味はない。『ブルー』には力自慢、暴力を愛する者が数多集っているときくが、若葉は腕っぷしが強いわけでも、暴力が好きなわけでもなかった。ただ、他の弱小組織に入って長く生きていけるとはとても思えないし、もう一つの巨大組織である『ラビット』に入ってやっていけるとも思えなかった。『ラビット』は愉悦をモットーとした集団であり、まともな感性の者が所属出来る組織ではない。そのため食い繋いでいくためには、必然的に『ブルー』に入るしかないのだ。……別に自分が食っていけるかは、本当はどうでもいい。『ブルー』に入ってお金を手に入れることが出来れば、それで文樺に食べ物の心配をさせずに済む。若葉にとって、それは巨大組織に入る唯一にして最大の目的だった。