第17話
「信じられません」
林檎に指示された場所へと向かうと、そこには苦い顔を貼り付けた黒髪の少女が立っていた。もう何度目になるかわからない邂逅なのに、ちっとも嬉しそうな気配を感じられなかった。
「まさか生きているとは……」
心底理解出来ないという声色で彼女は言った。
「朱宮さまは、貴女をどうすると仰っていましたか」
「……肉壁にするって」
「肉壁?」
そのおかっぱを揺らし、少女は首を傾げた。
「死ぬならこの組織に貢献して死ねってことらしいよ。今は出番待ちの状態ってわけ。というわけで、短い間になるかもしれないけどよろしく」
若葉は顔の横に手を掲げ、人差し指と中指をくっつけて立てると、ピッと前に振ってみせた。
「はあ……」
曖昧な返事を零し、少女は困り果てたように見上げた。そんな彼女へと、若葉は両手を後ろで組み、そろそろと近づいた。隣へと肩を並べる。
「ねえ、朱宮ちゃんっていつもあんな感じなの?」
「その気安い呼び名、金輪際止めてください」
目の前の少女は、若葉を睨みつけた。目が据わっていた。
「朱宮さまは……わたくし達の考えが及ばないような天才的なお方なのです。わたくし達に、あの方の思考を読むなど無理な話です」
「ふうん、じゃあいつもあんな感じなんだね」
笑みを貼り付けた林檎の顔を想起する。顔は笑っているのに、瞳はいつだって相手を監視し値踏みしているようだった。頭の中ではこちらをどう料理するかと算段をしているように錯覚する、あの佇まい。柔らかな口調なのに、目の前にすると背筋が凍る、あの隙の無さ。正直、今思い返すと結構怖かった。
「……もう、復讐は諦めたのですか」
黒髪の少女は少し言いにくそうに若葉へと尋ねた。若葉は視線を遠くへと投げた。
「……どうだろう。わかんない。でもたぶん、違うと思うんだよね」
「違う?」
「うん。それが本当に文樺の望んでいることなのか、よくわからなくなった」
「……」
おかっぱの少女は一度床へ視線を投げ、「朱宮さまは、やはり凄いです」とぽつりと呟いた。その顔は、憧憬に綻んでいた。そして表情を戻すと、若葉へと顔をあげた。
「自己紹介がまだでしたね。わたくしは、桜と申します。貴女が組織に貢献してくれると言うのなら……それまでの補佐はお任せください」
桜は真っ直ぐと見上げ、真面目な声色で名乗った。そういえば、まだ名前をきいていなかった。
「よろしく。私は若葉だよ。……改めて、あの場では助けてくれてありがとうね」
「助けたわけではないので礼は不要です。『ブルー』の引き付け役として働いてもらっただけなので」
(意外と律儀なんだ。真面目なんだね)
桜は淡泊にそう言うと、「ついてきてください」と言って若葉に背を向けた。言われた通りに背中を追うと、彼女は部屋の外へと出た。廊下も室内や玄関同様、煌びやかだった。デザイン性に富んだ照明器具、芸術性に溢れた絵画や彫刻、ふかふかで色鮮やかに敷かれたカーペット。隅に至るまで汚れや埃一つなく、清潔さも窺える。床の大理石はピカピカに磨かれ、照明の光を白く反射していた。若葉は桜と並んでカーペットの上を進んで行った。横目で隣を歩く少女を見下ろす。黒く艶やかな髪を揺らす、若葉より低い小柄な身体。……既視感。
(身長は……桜の方が小さいな)
若葉はそこではっとした。
(あ、いや……何考えてるんだろ)
慌てて顔の向きを戻す。桜がそれをちらりと盗み見たが、若葉は気付かなかった。
廊下を進み案内されたフロアは、個室の集まるエリアだった。規則正しく扉が並ぶ中、その一つの前で足を止め、桜は扉を開けた。こぢんまりとした部屋には、生活用品が一式揃って置かれていた。空き部屋だったようで、どれも普段使われているような痕跡はなかった。
「この部屋を使ってください」
そう言った後、桜はきょろきょろと部屋を見渡した。
「あれ、この部屋……時計がないですね。これから建物の中を案内するので、ついでに持ってきましょうか」
「別にないならないでいいけどね。出番の時は扉叩いて知らせてくれればいいし」
若葉の言葉に、桜は呆れ混じりの表情を浮かべた。
「我々は、頭を使うことを武器にしています。情報を駆使し、敵を殲滅するのに見合った策を立てて事に応じているのです」
「策?」
「はい。策は緻密に練られております。一分一秒が物を言うのです。この組織にいるのなら、時計は必須ですよ」
そう言うと、桜は部屋の紹介もそこそこに廊下へと出て行った。若葉も部屋の中を見渡した後、桜に続いて部屋を出た。
「さて、では次は……そうですね、食事場所を案内しておきましょう」
桜はそう言って歩き出した。若葉も彼女を追い駆け、横へと並んだ。
「さっき策を使うって言ってたけど……それは朱宮ちゃんが立ててるの?」
桜は眉を思い切りよせ、ぴたりと歩みを止めた。そして若葉へと眼を飛ばした。
「『朱宮さま』、です」
一字一句に憤りが溢れていた。なんなら『ブルー』の少女達と対峙した時よりもよっぽど怒っていた。
「でもあの子……大分年下だよね?」
「貴女は本当にこの組織に貢献する気があるのですか?」
問題児を前にした先生のように、桜は盛大にため息をついた。
「あの方はこの組織のトップです。呼び方には気を付けてください。命が惜しければ」
本当に殺しかねないような怒りに渦巻く瞳を見て、若葉は鎮めるようにジェスチャーをした。そして、軽く笑い掛ける。
「忘れたの? そのトップが私のこと捨て駒にしようとしてるんだから、心持は命が惜しいとかいう次元じゃないのよ、もう」
「全く、ああ言えばこう言いますね……」
桜は呆れたように言って、肩を竦めた。それから思い出したように歩みを再開させる。若葉もそれに合わせて足を踏み出した。一面ガラス張りの渡り廊下に差し掛かり、若葉は外の陽射しの眩しさに僅かに目を細めた。
「朱宮さまがおいくつなのかは知りません。確かにわたくし達よりは御年は低いのだとは思いますが……そんなの関係ありません。彼女はこの組織のリーダーたるに相応しいお方ですから。年齢で頭脳ははかれないのです」
「ということは、やっぱり朱宮さまが策を?」
「そう……ですね。ただ、朱宮さまはわたくし達を信用してくださっています。抗争現場での行動などは、わたくし達に一任してくださることも多いです」
「ふうん……」
建物の中を歩いていると、向かいから赤い服に身を包む少女が歩いてきて、若葉の横をすれ違った。若葉はその背中を、目線だけで追いかけた。そのまま歩き続けると、エレベーターホールが見えてきた。さらにその奥、開けた場所に人工的な噴水が見えた。観賞用の、小さなものだ。周りを観葉植物が囲っている。照明が辺りの大理石に反射して眩しかった。若葉が手を翳して見渡すと、数人の少女が空いた場所へ腰を下ろしていた。どうやら休憩スペースらしい。若葉は横切りながら、一息ついている赤い制服達へと視線を向けた。
「この組織は今、どれくらい人員の確保が出来ているの?」
桜はすぐには答えなかった。一度若葉の顔を窺ってから、慎重に口を開いた。
「『ブルー』の半分くらい、ですかね。『ラビット』より少し少ないくらいです」
「……『ブルー』や『ラビット』の構成数を把握しているの?」
その言葉に、桜へと顔の向きを戻す。驚きを滲ませて若葉が尋ねると、桜は真面目な顔のまま頷いた。
「はい。言ったでしょう、我々の武器は情報なのです。基本的な情報は網羅していますよ」
「へえ……」
どの組織もその実態を隠しながら活動しているはずで、構成数なんて隠しやすい上に秘密にしたい情報の代表格のようなものだ。既にその情報を正確に抜いているのだとすれば、新興組織にしては驚くほど行動が早い。数多の弱小組織では成し得ないだろう。やはり、この組織は『ブルー』や『ラビット』に対抗しうるような力を秘めているのだ。
「じゃあ、二組織のアジトの場所とかも?」
「把握済みです。ただ、貴女に教えることは出来ません」
「うん、そうだろうね。別に知りたくもないし……」
情報を重要視している彼女達が外部の人間に簡単に漏らすわけがないことはわかっていた。若葉は乾いた笑みを戻した。情報という観点で言えば、この組織は二組織に大分差をつけていそうだ。話しながら休憩スペースの横を抜けると、二人は廊下の突き当たりまでやってきた。桜が廊下を曲がったのに合わせて、若葉も角を曲がった。開けた視界には、再び長く続く廊下が現れた。桜と同じ制服の少女が数名、奥で行き交うのが見える。廊下の先からこちらへ向かって歩いてくる者もいて、若葉はふわふわと揺れるスカートをなんとはなしに眺めた。窓から差す光を浴びて、オーロラのように輝いていた。