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第15話

「……ねえ」

「はい」

「私が縹を殺すこと……、賛同してる、って言ったよね?」

「ええ」

 幼い少女は、短く答えた。

「君はまだ、縹を大事に……友人だと思ってるんだよね? ……なんで止めないの?」

 林檎は毅然とした態度で、若葉を見上げた。

「わたしにあなたを止める資格はありませんから。それに先程も言ったように、『ブルー』の壊滅を望んでいるのは本当です。組織の長として……、敵組織のトップは討つべきなのです」

 彼女も分かっているのだ。組織の長として、敵組織の長を殺さないなど、許されることではないのだと。彼女自身も、旧友への想いを押し殺そうと藻掻いているのかもしれない。

(……理解、出来ないな。私の大切な人を、目の前で『殺す』って宣言されたら……私なら全力で止めるし、怒っちゃうと思う)

 長としての責任感ゆえなのだろうか。逆に言えば、若葉のように感情で動かないからこそ、組織のトップに座ることが出来ているのかもしれない。

(感情任せ……軽率な行動)

 若葉のことを非難するだけあって、この組織の者達は理性に従い、常に道理にかなったことを選択しようとしている。

(でもそれでも……縹への想いは消せないんだ)

 それほど大切な相手。心からの笑みで笑い合えるような、絶対に殺さなくてはならない状況でも躊躇ってしまうような、大事な相手。

「……」

 そんな相手に、若葉も心当たりがある。

(それって……私にとっての文樺と同じ、ってこと?)

 若葉にとって、何よりも大切な相手は文樺だった。彼女が笑えば、若葉も心からの笑みを咲かすことが出来た。彼女のためなら、殺せない相手さえも躊躇なく殺そうと思った。彼女への想いは消すことは出来ず、復讐を果たそうと躍起になった。

 若葉は空いた手をデスクへと伸ばした。先程林檎が置いていった銃を握る。安全装置は外されたままだ。人差し指を引き金にかけて——座る少女の頭へと、銃口を向けた。

「例えば今、私が引き金を引いたとして」

 引き金を引く代わりに、若葉は言葉を放った。若葉の言葉は、林檎へと向けられてはいなかった。譫言のように、部屋に淡く消えていく。林檎は銃口を向けられても眉一つ動かさなかったが、若葉の言葉は予想外だったようで、若葉を不思議そうに見上げた。

「それってつまり……縹は大切な人を喪う、ってことだよね」

 文樺のような、大切な人を。

「逆も然りで……私が復讐を果たして縹を殺せば、君は大切な人を喪う……」

 若葉は苦しそうに眉を寄せた。

「それって……」

 ——本当に、文樺が望むことなの?

 その先は言葉にしなかったが、林檎は訊き返すことなく、静かに座ったままだった。銃口は彼女の頭に向けられていて、若葉が指を少し動かせば彼女の命は消える。しかし林檎は微動だにせず、また若葉も引き金を引こうとしなかった。

(わからない)

 若葉は顔を歪めた。

 文樺のことは、全部わかっているつもりだった。誰よりも理解している自信があった。小さい頃からずっと一緒で、誰よりも傍で見てきて、彼女のことは知り尽くしていると思っていた。……でも、わからない。彼女を喪ってしまってから、何もかもがわからない。

(優しい彼女は……本当に、私が復讐をすることを望んでいるの?)

 文樺のはにかむ顔、真剣な顔、安堵する顔、嬉しそうな顔、幸せそうな顔。ずっと隣に存在するのだと、勝手に思ってしまっていた。そんな大切な温もりを突然失った、絶望感。世界から色が消えたような、喪失感。誰よりも心優しい文樺は、そんな若葉の味わった苦しみを——他人に味わわせることを、本当に望んでいる?

「私……私が文樺を大切に思うように、誰かが縹を大切に思ってるなんて、考えもしなかった」

 若葉の復讐は、この何にも耐えがたい絶望感を誰かに与えることになる。文樺のために唯一出来ることは、『ブルー』を壊滅させ、仇を討つことだと思っていた。でも、本当に? 誰よりも優しい心を持つ文樺が、こんな暗闇を藻掻くような苦痛を……誰かに与えて欲しいなんて、本当に思うの?

「……」

 若葉は唇を思い切り噛んだ。血が滲みそうな程の強さだった。

 ——違う。あの子は……誰かの大切な人を奪うことなんて、きっと望まない。

 例えそれが、自分の命を奪った憎き仇であったのだとしても。

 誰よりも近くで見てきた若葉には、それがわかる。

「じゃあ……」

 若葉は震える言葉を零した。

 ——文樺が私に望むものって、何?

 若葉はくしゃりと顔を歪めて、泣きそうな顔をした。正面の林檎は、じっと探るように見上げたままだ。しかし若葉の瞳には、目の前の光景など映っていなかった。文樺との数え切れない程の記憶が思い起こされ、そして消えていく。

 文樺が復讐を望んでいないのだとしたら。……私が文樺のために出来ることって、一体何なのだろう。

 底なしの海に溺れて、縋る先を探すようだった。今の若葉は文樺のために出来ることをするために生きているようなものだ。それなのに、彼女が望むものを手繰り寄せようとしても、霧となって霧散する。……わからない。彼女が望むもの、そして若葉が彼女のためにしてやれるもの。一体それは、何なのだろう。

 ——ねえ、若葉ちゃん。

 膨大な記憶の中から、蘇った一幕。文樺の可憐な声が鮮明に再現されて、頭の中で響いた。……確かあれは、二人で廃墟を冒険して帰ってきた日のことだった。壊れかけの建物、突然抜けた床。おどろおどろしい雰囲気、飛び立つ烏。響く何かの音、風にはためくボロボロのカーテン。そして勝手に住み着いていた、どこかの組織の奴ら。スリル満点の大冒険を終えて、家に到着した時のことだ。別れ際に、文樺が若葉を呼び止めたのだ。

 ——今日は、うちに泊まっていかない? その……怖くて。

 おずおずと言った文樺は、恥ずかしそうに指をくっつけていた。

 ——一緒にいてくれるだけでいいんだ。だって……若葉ちゃんが隣にいてくれれば、安心出来るもの。

 若葉が返事を返すと、彼女は心からの安堵を浮かべ、嬉しそうな笑みを零していた。

(一緒にいてくれる、だけでいい……)

 ……隣にいてくれれば、安心出来る。

「……そっか」

 ——見つけた。文樺が自分に望むもの。

 林檎に突き付けたままだった銃を、徐に引っ込める。

(死後の世界って、きっと寂しい場所だよね)

 一人でいたら、怖いはずだ。文樺は、人一倍怖がりなのだから。

(私に出来ること——)

 銃を持ったままの手を、自分の頭の横へと掲げる。こめかみへと、その銃口を押し付けた。

(それは、死後の世界で……彼女の傍に一緒にいること)

 それこそが、文樺の望むものなのかもしれない。……ならば、それを叶えるだけだ。若葉の生きる理由はもう、これしかないのだから。

 ……やっと見つけられた。文樺の望むこと。

 目を閉じる。躊躇いは微塵もなかった。そして——引き金を引いた。

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