第14話
(なにこれ……)
写真には、若葉と同じセーラー服を着た三人の少女の姿が写っていた。その顔には幼さが残っているが、それでも全員見覚えがあった。カメラへとピースを向ける、二つ結びの長い髪を靡かせた少女。この少女は、愉悦、そして狂気を体現する『ラビット』の長だ。その横、紅色の髪を靡かせて幼さの残る笑みを浮かべるのは、目の前にいる新興組織の長、林檎だ。そして二人を抱く様にして満面の笑みを咲かせているのは……憎き『ブルー』の長、縹だった。
直前まで考えていたことが全て霧散し、頭の中が空っぽになった。立っているはずの地面が揺れているような錯覚を覚えた。たった一枚の写真、そこから視線を動かすことが出来ない。三人の幸せそうな笑みは、本来なら有り得ないものだ。なぜなら、彼女達は敵対組織のトップ同士のはずなのだから。夢を見ているのではないかと思わずにはいられないが、目の前の光景はどうしようもなく現実だった。持っていた銃が手から零れ、音を立てて床へ落ちた。口を開けるが、言葉が出て来ず、閉じる。しかし混乱を吐き出そうと再び口を開け、やはり言葉にならなくてまた閉じる。意味もなく瞬きが多くなる。唾が口の中に溢れて、飲み込む。……意味がわからない。それでも、視線は固定されて、動かない。
「……」
真っ赤な目を見開き写真を凝視したまま、震える手でその写真を受け取った。林檎は自身の手から写真が離れると、静かにデスクの奥へと戻っていった。椅子に座り直すと、ティーカップを手にとった。唇に寄せ、すっかり冷めたお茶に口をつけた。
「……」
言葉を失ったままの若葉は、写真を見下ろして立ち尽くしていた。
この写真は、紛い物?
敵対関係にあるはずのこの三人が、こんなに幸せそうに笑い合うことなんてあるの?
次から次へと疑問が湧き、頭を支配する。真っ白な頭は、全く働いてくれない。常識が音を立てて崩れていくような心地だった。ティーカップがソーサーに戻された音が、カチャンと小さくきこえてきた。
『嘘ついてたの?』『本当は皆グルだったの?』。訊きたいことは山ほど浮かぶのに、疑問は言葉にならず、頭の中を駆け巡るだけだ。
「……その写真を見て、わかることは?」
林檎は俯いたまま、久しぶりに声をあげた。声色が落ちている。その目は、若葉を見てはいなかった。
「あ……え」
若葉は驚愕と困惑に囚われたまま、眉を下げた。その間も、写真から視線が離せない。一度唾を呑み込み、若葉は恐る恐る口を開いた。
「こ……ここに写っているのは、『ブルー』と『ラビット』と、この組織の、リーダー。服装から見るに……学生時代の三人」
「……そうですね。続けてください」
若葉の目は写真に固定されていたため、林檎がどんな顔でいるのか見ることは出来なかった。しかし、林檎の声は暗いように感じた。……これも若葉という商品の、品定めの一環なのだろうか。若葉は言葉を途切れさせないように、なんとか絞り出して続けた。
「す……少なくとも、ここに写っているのを見る限り、仲が良さそう。敵対しているとは……とても思えない」
「……」
林檎から返事はなかった。若葉は口を閉じかけ、しかし言い淀んだのを振り切って続けた。
「つまり……この三組織は、裏で繋がっている。本当は抗争なんてしていない……。そういうこと?」
若葉はやっとのことで、写真から顔をあげた。正面へと視線を移す。林檎は、残り少なくなったティーカップの中身へ視線を落としていた。相変わらずその顔に表情は浮かんでいないが、それでもその瞳はなんだか寂し気に映った。
「……」
林檎は返事をしなかった。部屋を静寂が支配する。若葉は必死に頭を回転させた。
「……いや、それにしてはショッピングモールでの殺し合いは演技には見えなかった。『ブルー』の子も『ラビット』の子も本当に死んでいるのを、私はこの目で見ている。……文樺が殺されたのだって。だから、抗争は演技やフェイクではない。確実に行われている……」
若葉は眉間に皺を寄せたまま、写真へと顔を戻した。三人の眩しい笑顔は、不釣り合いな程幸せそうだった。
「抗争は実際に起きている。三組織は裏で繋がっているわけじゃなくて、本当に敵対している。と、いうことは……昔は仲が良かったけれど、今は殺し合っている、っていうことか」
それはなんだか、すごく悲しいことだ。この写真の中の笑みが心からのものだと伝わるから、余計にそう感じる。若葉は僅かに目を伏せた。……しかし、単に過去を伝えたかったから写真を見せたというわけではないだろう。今の若葉に見せるからには明確な理由があるはずだ。若葉と関係のあるような、理由が。
若葉は唇を嘗めた。一度躊躇い、しかし口を開く。
「この写真を、持っているということは……君は、この写真をよく見るってこと、だよね。大切にしている……つまり君は、……まだ二人のことを、大事に思っている?」
少女へと顔をあげる。彼女は両手をティーカップに添えたまま、それを見下ろし続けていた。小さな身体は、僅かに竦められているように感じた。若葉には、まるで罪状をきいている罪人のように映った。
「『ブルー』や『ラビット』の殲滅を掲げて活動している一方で、その組織の長である君は、二つの組織の長をまだ大事に思ってしまっている。それで——」
若葉はそこで、口を噤んだ。自分が過去になんと言ったか、思い至ってしまったからだ。
「私……」
——『私なら、縹を殺せるよ』。
「……」
言葉が途切れた。若葉は右手を、口元へと持っていった。眉を寄せ、視線を脇へと投げる。
あの宣言は、組織の長へ自分の有用性を証明するために放った言葉だ。しかしあの言葉をきいた林檎が、頭の中で一体何を考えたのか。若葉は写真へと再度視線を落とした。そこには変わらず、三人の心からの笑顔が咲いていた。
「……あなたにこの組織は相応しくないのです」
林檎はこの部屋で再三言ってきた言葉を再度繰り返した。しかし、今きくとこの言葉の真意は全く異なるように感じた。そもそも若葉の復讐心が本物であり、憎しみの限りを尽くして『ブルー』を壊滅させたいのなら——この組織に入るべきではないのだ。この組織の長は、『ブルー』の長を、きっと大切に思ってしまっているのだから。
林檎はまるで若葉の胸中を察したかのように、僅かに顔をあげ、若葉を見上げた。
「一応言っておきますと……あなたが縹を殺すことについて、止めようなどとは思っておりません。勿論、賛同しております。……『ブルー』と『ラビット』を壊滅させることは我々の目標です。そして、わたし達の目指す理想の世界の実現を目指しております。そこに嘘偽りはありません」
組織の長の顔だった。揺るがない瞳は、本心を言っているというのが充分伝わって来た。林檎は一度口を閉じ、俯いた。一人の幼い少女の顔に戻る。「ただ……」と続けた声は、ワントーン落ちていた。
「……」
その言葉の先は、紡がれることはなかった。その顔には、初めて彼女の感情がありありと滲んでいた。切なげで、悲しげだった。それを振り切るように表情を消し、林檎は絞り出すように声をあげた。
「……あなたの頭がまわっているというのなら。あなたがとるべき行動は、もうお判りでしょう」
若葉は視線を落とし、写真を持つ手に力を込めた。
(この組織に入ることは、『ブルー』への復讐の最善手とは言えない。ここの長はきっと、『ブルー』の長を殺せないから)
この組織に入れて欲しいと懇願することは、意味をなさないことだった。この一枚の写真が、嫌というほどそれを物語っている。
(……そして極めて重大な秘密を知ってしまった以上、私はこの長、そしてこの組織にとって、絶対に生かしてはおけない存在になってしまった。このままだと殺される)
アジトの場所の情報を握り、長に銃口を向けて引き金を引き、……何より、誰も知らないような枢要かつ口外厳禁な重要情報を知ってしまった。林檎は口封じに殺す以外にないだろうし、この組織としても長へ楯突いた者を生かしては組織の沽券に関わるだろう。
(だから……私が本当に復讐を果たしたいのだとすれば)
『ブルー』を壊滅させるため、この部屋から生きて出たいのならば。
「そう。あなたは、わたしを殺すしかない」
林檎は薄く笑みを浮かべた。そう言う割には、無防備な状態で座ったままだった。その小さい手はティーカップに伸ばされたままで、銃を握ろうとすらしていない。
「……」
端が歪んだ写真を見下ろす。若葉はじっと、切り取られた少女達の一時を見つめた。