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春一つ、やり直せたなら  作者: タナカ


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愛の雨


高校三年生になってから、

少しだけ世界の色が変わった気がする。


教室の空気も、

廊下の足音も、

放課後のグラウンドの景色も。


全部、どこかで「卒業」に向かっている。


前まで当たり前だったものが、

一つずつ“最後”に変わっていく。


最後の大会。

最後の文化祭。

最後の冬。

最後の卒業式。


そう思うだけで、

胸の奥が少しだけざわついた。


柊と寧々は、もう迷っていない顔をしている。


二人で同じ未来を見ている人の顔だ。


見ているだけで分かるくらい、

穏やかで、強くて、揺るがない。


でも――

ラン君だけは、少し違った。


いつも通り笑ってるし、

いつも通り軽口も叩く。


でも、どこか遠い。


手を伸ばしても、

少しだけ届かない場所にいるみたいな顔をしていた。



――部活が終わった日から。



放課後。


校門の近くで、

壁にもたれかかってスマホをいじっているランを見つけた。


声をかける前に、気づかれる。


「お、涼香ちゃん」


いつもの調子。


でも、どこか力がない。


「なにしてるの?」


「いや、なんも。帰るとこ」


「じゃあ、一緒に帰ろ?」


少しだけ間があった。



「いいよ」



短い返事。


でも、その声は少しだけ柔らかかった。



歩きながら、

どうでもいい話をする。


授業のこと。

先生のこと。

クラスの噂話。


でも、どこかで分かっていた。


この人の心は、ここにない。




駅前の商店街まで来たところで、

私がふと思いついたように言った。


「ね、ちょっと寄り道しない?」


「どこ?」


「ファミレス」


「なんで急に」


「なんとなく」


ランは少しだけ笑った。


「なんとなくって」


「いいでしょ、たまには」


「まぁ、いいけど」




窓際の席。


ドリンクバーの氷が、

カラン、と音を立てた。


「部活、終わっちゃったね」


私がそう言うと、

ランはストローをくわえたまま天井を見た。


「だな」


軽い返事。


でも、視線はどこか遠い。



「寂しい?」


「……まぁな」


それだけだった。


でも、その一言の重さが、

やけに胸に残った。



「でもさ」



ランはコップを回しながら言う。



「毎日、部活があるのが当たり前だったからさ」


「終わった瞬間、急に暇人になった気分」


「なんか、俺の人生の半分くらい、サッカーだった気がするわ」



冗談っぽく笑う。


でも、その笑い方は、

少しだけぎこちなかった。



「じゃあさ」



私は、ストローをくるくる回しながら言う。



「これからは、別の半分を作ればいいんじゃない?」


「別の半分?」


「うん。サッカー以外の時間」



ランは少しだけ考える顔をした。



「……何したらいいか分かんねぇけどな」


「じゃあ、一緒に探そうよ」


「え?」


「暇人同士、ちょうどいいでしょ?」



ランは、少しだけ驚いた顔をして、

それから小さく笑った。


「暇人同士って、結構ひどいこと言うな」


「事実でしょ?」


「まぁな」




そのときだった。


窓の外に、

ぽつり、と水滴が落ちた。


一滴。


また一滴。


気づけば、

ガラスに細い線が何本も走っていた。


「……雨だ」


ランが小さく呟く。


気づいたときには、

外はもう本降りだった。




店を出たときには、

空は完全に灰色に染まっていた。


「うわ、やば」


ランが空を見上げる。


「傘、ある?」


「ない」


「私もない」


二人で顔を見合わせて、

少しだけ笑った。



「走るか」


「だね」



駅までの道を、

二人で走る。


でも、途中で足を止めた。

どうせ、もうびしょ濡れだったから。


アスファルトを叩く音が、

まるで何かをかき消すみたいに響いている。



「……なぁ」



ランが、小さく言う。



「部活、終わったじゃん」


「うん」


「なんかさ……」



言葉が止まる。

視線が、地面に落ちる。


靴先で、水たまりを軽く蹴る。


「昨日まで、あそこが“全部”だったのにさ」


笑おうとする。

でも、うまく笑えない。


「今日、学校行ってもさ」


「やること、ねぇんだよ」


苦笑い。

自分でも、何を言ってるのか分からないみたいな顔。


「朝起きて、学校行って、授業受けて……」


「それで、放課後になっても」


少しだけ、声がかすれる。



「行く場所、ないんだよな」



雨の音だけが続く。



「部室、もう俺の場所じゃねぇし」


「グラウンドも、次の代のもんだし」


「なんかさ……」



一度、言葉を飲み込む。


それでも、止まらなかった。



「俺だけ、置いてかれたみたいでさ」



その言葉には、

強がりも、冗談も混ざっていなかった。


「三年間さ」


「ずっと、サッカーしてりゃ、それでよかったのに」


「終わった瞬間、急に――」


息を吸う。

でも、うまく吐けない。



「……俺、何もねぇなって思った」



ランは笑った。


でも、その笑い方は、

泣くのをこらえている人の顔だった。


「夢もねぇし」


「やりたいこともねぇし」


「進路アンケートも、真っ白だし」


「柊は、もう決まってるし」


「橘さんも、前向いてるし」



そこで、初めて私を見る。



「俺だけ、取り残されてる感じ」



肩も、髪も、もう完全に濡れている。



「このまま、なんとなく大人になってさ」


「なんとなく働いて」


「なんとなく生きて」


「なんとなく終わるのかなって思ったら――」


声が詰まる。



「ちょっと、怖くなった」



その笑顔は、

全然、笑っていなかった。




気づいたら、私は言っていた。


「でも」


ランがこちらを見る。



「今、空っぽじゃないよ」


「え?」



「私、いるじゃん」



言ってから、

自分でも顔が熱くなるのが分かった。


でも、止めなかった。


「サッカーがなくなっても、

 ラン君の隣に誰もいなくなるわけじゃないでしょ」


「だから……」



一歩、近づく。



「その空っぽ、ちょっとくらいなら、私が埋めてあげるよ」



ランの目が、

初めてはっきりと揺れた。


雨音の中で、

時間が止まったみたいだった。


「……あのさ」


ランが小さく笑う。


「そういうの、反則だろ」


「なにが?」


「今の俺に、それ言うの」


「だって本音だもん」



少しの沈黙。


それから、ランが小さく息を吐いた。



「……ありがとな」


その一言だけで、

胸がいっぱいになった。


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