ランの人生
ボールが床を転がる音が、やけに響く。
放課後の部室は、汗とテーピングの匂いが混ざっていて、
いつもと同じはずなのに、どこか静かだった。
壁に貼られた大会日程。
赤丸で囲まれた日付が、もうすぐそこまで来ている。
最後の大会。
その言葉を、誰も口にしない。
言った瞬間、本当に終わってしまいそうだから。
「なぁ柊」
ランが日陰に寝転びながら言う。
青空を見たまま、ボールを胸の上で転がしている。
「んー?」
柊はスパイクの紐をほどきながら答えた。
「進路アンケート、書いた?」
「いや、まだ」
「だよな」
沈黙。
ボールが、コトン、と止まる。
「俺さ」
ランは青空を見たまま続ける。
「何したいのか、分かんねぇんだよな」
軽い口調。
でも、声の奥が、少しだけ重い。
「珍しいな。お前がそんなこと言うの」
「だろ?」
ランは笑う。
笑っているけど、目は笑っていない。
「夢とか、目標とかさ。
昔は“なんかあるだろ”って思ってたけど」
ボールを持ち上げて、また落とす。
「三年になって、急に現実味出てきたら、逆に何も見えなくなった」
春の風が横切る。
カーテンが揺れて、外の声が遠く聞こえた。
「柊はさ」
ランは横目で見る。
「決まってんだろ。進む方向」
柊は少しだけ視線を逸らす。
「まぁ……うん」
「いいよな。そういうの」
羨ましさじゃない。
責めてもいない。
ただ、事実として言っているだけ。
「あのさ」
ランはぽつりと言った。
「柊と同じとこ行こうかな」
柊の手が、止まる。
「……え?」
「いや、なんとなくな」
ランは起き上がる。
「面白そうじゃん。柊の行く道って」
軽い冗談みたいに笑う。
でも、その言葉には、どこか慣れがあった。
「心配だしな」
「は?」
「お前、放っといたらどっか行きそうだし」
それはいつものランの言い回し。
でも――
その言葉の裏に、影があった。
柊は、気づかない。
「でもさ」
ランは続ける。
「今回くらい、自分のこと考えないとなーって思って」
ボールを指で回す。
くるくると、意味もなく。
「何したいか分かんないのって、別に悪いことじゃないよな?」
柊は少し考えて、言う。
「全然。むしろ普通だろ」
ランは、少しだけ安心した顔をした。
「なんかさ、高校三年って、“答え持ってないとダメ”みたいな空気あるじゃん」
「あるな」
「でも俺、今、マジで空っぽ」
手に持つボールを見る。
「でも、焦ってないんだよな。不思議と」
それは本心だった。
迷っているのに、絶望していない。
「たぶんさ」
ランは笑う。
「やりたいことが見つかるまで、もう少しだけ時間が欲しいんだと思う」
時計が、カチ、カチ、と鳴る。
「最後の大会、終わったらさ」
ランは歩く。
「ちょっと真面目に考えるわ。俺の人生」
柊はランを見て、笑った。
「おせぇよ」
「うるせぇ」
いつも通りのやり取り。
だが、刻一刻と進んでいる。
終わりが。
大会が終われば、
部活も終わる。
部活が終われば、
言い訳も終わる。
ランはバレないように、ぽつりと言う。
「………まぁ、なんとかなるだろ」
その言葉は、
楽観でも、逃げでもない。
まだ何も決めていない人間の、本心だった。




