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春一つ、やり直せたなら  作者: タナカ


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味噌ラーメンの夜に

明日が「境界線」――。


そう口にした自分の言葉が、

じわじわと胸に重くのしかかっていく。


不安と恐怖が、心の中で混ざり合い、

眠れない夜を形づくる。



「………寝れねーなぁ」



柊は、静まり返ったホテルの廊下を一人歩いていた。


風呂上がりの生ぬるい空気。


熱の残る身体が、落ち着く場所を探してうろついている。


部屋に戻って目を閉じても、

“明日”だけがまぶたの裏で膨らんでいく。


――外に出たい。


ロビーを抜けると、港町の夜がひらけた。


街灯の光が風に揺れ、歩道をぼんやり照らしている。


潮の匂いが、昼より少し濃い。



――コンビニでも行くか。



そう思った矢先、ホテル前のベンチに座る人物が目に入った。



「……あれ?」


「……お、柊?なんだずいぶん遅い時間に」



聞き慣れた、だらしなくも包容力のある声。


「……わかばちゃん?」


いつもの白シャツに茶色いコートを羽織り、

缶コーヒーを片手にした担任がそこにいた。



「なにしてるんだ。消灯時間、とっくに過ぎてるぞ」


「ごめん。ちょっと夜風に当たりたくて」


「部屋で恋バナでもして夜更かししてれば、いつの間にか寝れるだろ」



担任の口から出ていい提案じゃない。


柊は思わず苦笑した。



「みんな寝ちまって、困ったんだよ」


ふっと、わかばちゃんは笑いながらベンチを叩く。


隣、空いてるぞってことらしい。



「で」



わかばちゃんが横目で見る。



「どうした? 悩みでも?」



――“悩み”という言葉に、胸が小さく跳ねた



「……まあ。そんな感じ」


「ほぉ、それはそれは。“青春”だな。悩みがちゃんとあっていいじゃないか」


「……はぁ。俺は、悩みなんか持ちたくない」



わかばちゃんは空を見上げた。


欠けた月が、雲の端に引っかかっている。



「なぁ、ラーメン食いに行こうぜ」


「……今から?」


「夜のラーメンは心に染みる。悩みを抱えたガキにはな、ラーメンが一番だ」



めちゃくちゃだな……と思いながらも、不思議と悪くない気分だった。



「わかばちゃん、おごってね」


「おう。教師の権力見せてやる」



気づけば柊は、先生の隣を歩いていた。




少し離れた場所にある、夜まで空いているラーメン屋に向かう。


建物は古くて、店主自ら改造したって言っている妙な看板と、少し埃っぽい香りのする店構え。


こういう店は旨い――俺の中の経験がそう告げている。



「いらっしゃい」


「おっちゃん、味噌二つ」


「はーい少々、お待ちを」



まるで常連のような立ち振る舞いに、一人アウェイを感じる柊。


席に座るなり、わかばちゃんが切り込む。



「ほいで、悩みって恋か?」


「………うるさ」



ラーメンを待ちながら、セルフで水を入れるわかばちゃん。



「高校生の悩みなんか恋か、進路だろ」


「進路かもしれないじゃん」


「高二でか? しかもお前、もう進路固まってるだろ」


「………まあな」



進路相談はまだしていないが、この担任はよくわかっている。


柊が“迷わない”性格であることを。



「さっさと橘に告白して、振られろ」


「なっ…………!」



……アウトすぎる。


柊が言葉を失っていると、

わかばちゃんは平然と続けた。



「失敗も全部、成功に変えりゃいいだけだ」


「……俺、それあんま好きじゃないんだよな」


「それって?」


「”失敗は成功の基”とか、”やらない後悔よりやる後悔”とかさ」


「やって後悔するかどうかは、結果が出るまで分からない。

 やらなくて後悔するかも、同じだ」



ちょうどラーメンが届く。


湯気と香りが、遅れて襲いかかってきた。


柊は箸を割り、スープをすする。


――優しい味だった。

胃より先に、胸の奥がほどける。



「つまりさ――」



柊は湯気の向こうで、静かに言った。



「後悔って、あとから貼る“ラベル”だと思ってる」



わかばちゃんの視線が、少し真面目になる。



「“あんなことしなければよかった”

 “こうなるなら、やっとけばよかった”」


「結局それって、過去の自分にバツをつけてるだけだ」


「だから俺は、後悔って“自分の否定”だと思ってる」


一拍。


「行ったことに後悔しないってのは、

 自分を信じられてるってことだとも思う」



「ほいで柊は、“後悔”は思い込みだと?」



ラーメンをすする手を止めずに聞いてくる。



「ああ。思い込みだね」



ずずっと、すする。



「失敗が成功になる事はないって俺は思ってる」


「例えば、パチンコに10万円負けた。でも、“この失敗で明日の俺は運があがった”」


「これは果たして成功に変えれたって言えるか? わかばちゃん」



「思わないなぁ。言いがちだけど」



「そうなんだよ。結局は、“思い込み”がすべての結末を彩ってるんだよ」




「だから今の俺は、まだ“答えの途中”にいるだけなんだと思ってる。

 結末が出たとき、初めて全部に意味がつく。それまでは進むしかない」



「それで柊は、“思い込み”アンチなのか」



「まぁ。“結果“によって左右される”過程への想い”なんてクソだからな」



ここで、柊の声がわずかに沈む。



「でも……今の俺は、それが怖い」


「取り返しのつかない未来になるかもしれないって思うと、

 正直、怖い」


「もしこれを“後悔”って呼ぶなら……

 俺は弱いのかもしれない」

 


わかばちゃんは黙って聞いている。



「……それでも」



柊は、丼の底を見つめながら言った。



「進むしかないって分かってるんだ」



食べ終わり、湯気の消えた丼を見つめながら、わかばちゃんが席を立つ。



「おっちゃん、ご馳走様」



――

外はすっかり深夜。


吐く息が白い。



「さっみーなー!」



店を出ると既に12時を回っていた。


ラーメンで火照った身体に、夜の冷気が突き刺さる。



「昼は暑いのにな」


「それが秋のいいところだろ」



わかばちゃんが笑い、車の鍵を投げてよこす。



「すまん。車で待っとけ」


「えっ……まあいいけど」



わかばちゃんは手すりにもたれ、タバコに火をつけた。



「………」


「……生徒の前はダメじゃね?」


「だから、私は”車に戻れ”と言ったのだ」


「勝手に見ている柊が悪い」


「横柄すぎる…………」



暴論なのに、なぜか笑ってしまう。


柊も隣に並び、夜の空気を吸い込んだ。


そして、不意に聞いた。



「……わかばちゃんが“後悔”するときって、どんな時?」



純粋な疑問だった。


この大人が、どんな道を歩いて、今の考えに辿り着いたのか。



「そうだな」



わかばちゃんは煙を吐き、少しだけ遠い目をした。



「私の人生、後悔だらけだよ」



照れもせず、

むしろ懐かしむみたいに言う。



「結果だけ見て、過程を呪ったこともある」


「大学落ちて、家族と縁切れて……路頭に迷ったやつも見た」


「助けられたかもしれないのに、私が支えきれなかった」


「……後悔してるよ」



柊は黙って聞く。


わかばちゃんは灰皿に吸い殻を落とし、続けた。



「でもな」


「その結果を見て立ち止まることは――過去の私が許さない」


「立ち止まったら、また“後悔”が増えるって知ってるから」



夜風が、煙をさらっていく。



「前向きっすね」



前向きかぁと、煙を出しながらつぶやく。



「私が前にも言った通り、人生の道はいろんな方向にあると思っている」


「でもな、進むためには前を向かないと人は歩けないんだよ」



「だから、嫌でも前を向かないといけない。

後悔に足を引っ張られて、後ろばっか見ていたら――過去にしか生きられない」



「“思い込み”でもなんでも、前を向かなきゃ、結果も何も、掴めない」



一拍置いて、わかばちゃんは笑った。



「つまりだ――」



「結果に左右される過程への想いはクソだ、って話」



柊は、思わず笑った。


――この人は、雑で、型破りで、

それでもちゃんと“大人”だった。




――

車に乗り込み、ホテルへ戻る。


数分後。

わかばちゃんが前を見たまま聞いた。



「で、柊の“悩み”は前に進んだか?」



柊は、窓の外の街灯を見ながら答える。



「……一歩だけ、前進」


「っふ。それは良かった」



笑い声が、車内に落ちる。


柊は目を閉じる。


明日が「境界線」。


怖い。

それでも――


さっきより少しだけ、

“前”が見えていた。


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