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春一つ、やり直せたなら  作者: タナカ


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未来の約束

夜の帳が、街をゆっくりと包み込んでいく。


港の灯りが波間に揺れ、昼の喧騒が嘘みたいに静まり返っていた。


ホテルの外に出ると、潮の匂いが少しだけ強くなる。


風は冷たく、空には欠けた月が浮かんでいた。



柊は、スマホの淡い光に照らされた画面を見つめていた。


ホテルの下で、壁に寄りかかり空を見ている人がいた、



「お待たせ…」


「……柊君」



振り返ったのは、橘寧々だった。


声が、思っていたよりもかすれている。


張り詰めていて、それでもどこか柔らかい目。



「それで、用事って何?」



”長”としての距離を保つように、寧々は真っ直ぐ言葉を落とした。


柊は一瞬だけ迷い、唇を噛む。



「………」


「………?」



呼び出したのに何も言わない柊に、寧々が小さく眉を寄せる。



「………っ」


「え?」


「…今から独り言を言うから、寧々は気にせず聞いてほしい」


「………え、う、うん?」



戸惑いながらも、寧々は頷いた。


会話ではなく“独り言”のために呼び出されたことに、首を傾げながら。



「俺は……昔から、好きな人がいる」


「……!」



寧々の瞳が、わずかに揺れた。



「その人とは……幸運なことに、付き合うことができた」


「でも……俺のせいで、その人は苦しみ続けてる」



「………苦しんでいない」



柊の独り言に、

寧々の独り言が重なる。


それは反射だった。


心の奥に沈めていた声が、勝手に溢れただけ。



「俺のために苦しむくらいなら……」


「いっそ離れて、楽しく生きてほしいって思ったこともある」


「……そんな逃げを、考えたときもあった」



風が、二人の間を通り抜ける。



「でも……やっぱり捨てきれなかった」



柊の声が、わずかに震えた。



「俺が、その人を笑わせて、幸せにするって夢を」


「一人で歩けなくなっても、俺が手伝う」


「ご飯が、少ししか食べられなくなっても……」


「その“少し”のために、料理を覚える」



言葉を重ねるたび、

胸の奥が熱を帯びていく。



「それくらい……」


「自分の世界が、まるごと変わってしまうくらい、好きなんだ」



夜風が、その熱を奪うように吹き抜けた。



「だから……諦めることを、捨てた」


「代わりに――」



柊は、夜を見据える。



「絶望を照らすライトを、拾った」


「どんなに暗い夜でも……照らし続けるって、決めた」



寧々は、柊の横顔を見つめていた。


その光は、

かつて知っていた彼と、何も変わらない。


――でも、違う。


“今”の柊は、

もう“知らない未来”を見つめている。



記憶が、溢れ出す。


見るも無残な結末になった柊。


愛していた姿が枯れはて、言葉も目線も向けてくれなくなった。


その姿を、知っているから。


涙が、自然と頬を伝う。


止まらなかった。


彼の言葉の一つひとつが、

心の奥に刺さって、古い痛みを呼び覚ます。



「……明日、未来を変える」


柊が、言う。



「だから……一緒に、生きてくれ」



その声は、祈りのようだった。


風が吹く。

匂いが、音が、思い出を運んでくる。


彼と過ごしたあの日の温度が、一瞬だけよみがえる。


寧々は静かに目を閉じ、息を吸う。



――そして、踵を返した。



「………」


「………」


「あなたは……分かっていない」


「………え?」



背中越しに、静かな独り言が落ちる。



「未来を変える難しさを」


「歩けなくなった姿を」


「食べ物を拒む、胃袋を」


「光を失っていく……あの瞳を」


「それを……隣で見続ける、辛さを」



月光が、彼女の髪を照らす。



「あなたは…知らない」



「もう見たくない、と思うことが……」


「自分を嫌いになり続けることを……」



寧々は、空を仰ぐ。



「未来なんて…」


「都合のいい幻想だって、私は知っている」



柊は、何も言えなかった。


その言葉の全てが、彼女の”過去”そのものだから。


寧々は、振り返る。



「でも………」



静かに、微笑んだ。



「私も、もう捨てたの」


「恐怖に怯えて、助けを求める……”昔の私”を」



その笑顔は、温かかった。



「私も拾ったのよ――」


「好きな人と見る、“夢”を」



あの教室で語り合った夢。


それは、柊だけが語ったもの。


寧々の夢は、まだ語られていない。



でも、確かに――

彼女は、その続きを抱いている。



まだ、言わない。


言うのは、今じゃない。



「……いいもん、拾ったんだな」



柊が、少し照れたように言う。



「まだよ」



寧々は、くすりと笑う。



「私も……まだ、安売りできないから」



ふっと、笑い合う。


その笑みは、少し泣きそうなほどに優しかった。



「じゃあ………少し、俺の話を聞いてくれないかな。橘寧々さん」



「はい。なんでしょう。柊守愛君」




――


「――本当にそうなってくれるかしら?」


「んー多分。俺の予想が正しければ、明日が俺の未来を決める”境界線”だと思う」


「………」


その言葉の重さを、

誰よりも理解している寧々は、すぐには頷けなかった。



「………分かったわ。信じるわ」


「ありがとう…」



その「ありがとう」は、どこか祈りに似ていた。




――

「じゃあ……また明日」


自室の部屋に戻る前に一緒に来てくれた寧々に、小さく手を振る。


「うん、また明日」


寧々も振り返して、数歩進む。


けれど、すぐに立ち止まった。



「………待って」


「どうした?」


「明日二人で会うって、何時かしら?」


「夜ご飯を食べた後の時間にしよう。その時に大事な話がある」


「…分かったわ。また、明日ね」


「うんじゃあ」



柊はしばらくその背中を見つめていた。


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