愛が、ほしい
――昔のことを、思い出す。
あの頃の僕は、
いつも下ばかりをみていた。
「周りの人に迷惑をかけてはいけない」
それが、親から教わった唯一の“正しさ”だった。
「愛している」よりも、
「頑張れ」よりも、
ずっと多く聞いた言葉。
その言葉を、
十字架みたいに背負って。
誰の視界にも入らないように。
誰にも邪魔にならないように。
倒れても、誰にも迷惑をかけないように。
下を見て、
地面を見て、
世界を見ていた。
咳をすれば、血の味がした。
体育はいつも見学。
教室の天井のシミの形なら、全部覚えている。
世界は、
驚くほど狭かった。
でも――そんな僕の世界を、勝手に壊したのが、あなただった。
「大丈夫? 顔色、悪いけど」
道端で、いつものように体調を崩し、うずくまっていた僕に声をかけてくれた。
声をかける人は、他にもいた。
「平気?」
「救急車呼ぶ?」
でも、
誰も足を止めなかった。
誰も時間をくれなかった。
それが普通だと、分かっていた。
みんなには、みんなの世界がある。
そこに僕はいない。
僕の世界には、
僕しかいない。
だから、
「大丈夫です」
この言葉だけは、
誰よりも上手く言えた。
蓋をするための言葉。
存在を消すための言葉。
なのに。
「いや、大丈夫じゃないでしょ」
そう言って、
あなたは僕の肩を支えた。
汗で額が濡れているのに、
それでも笑っていた。
――眩しかった。
光が強すぎて見えないのか、
溢れてくる涙のせいで見えないのか、
分からなかった。
ただ、
一つだけ、確かだった。
僕の世界に、
初めて“土足で踏み込んできた人間”がいた。
それが、
どういう意味を持つかも知らずに。
そこからだ。
僕の胸の奥に、小さな光が灯った。
初めて思った。
――明日が、来てほしい。
次の日も、その次の日も。
あなたに会えるだけで、世界が少し広がった気がした。
校庭を見下ろすだけだった窓辺が、初めて“明るく”見えた。
土色だけの世界が、
少しずつクレヨンで塗られていくように。
赤いストロー。
青い看板。
黄色い街灯。
あなたを探すようになってから、初めて知った。
世界は、こんなにも色で満ちているのだと。
「あぁ……次の季節は、何色なんだろう」
四季を感じることが、あなたを感じることと同じになっていた。
夏には焼けた肌が。
冬には白い息が。
それだけで、万華鏡を覗いているみたいだった。
あんたと話す時間が、僕の命そのものだった。
――違うな。
あなたが、
僕の命を“預かっていた”。
だけど、ある日。
あなたの隣に、見知らぬ人がいた。
笑って、話して、肩を並べて歩いていた。
(誰………だろう)
それが最初の違和感だった。
そして気づけば、あなたと話す時間が減っていった。
僕の方を、向いてくれなくなっていった。
「また今度」
「今、ちょっと用あるから」
――“また”は、二度と来なかった。
――
僕の世界には、椅子が二つしかない。
ひとつは、
ぼろぼろの木の椅子。
もうひとつは、
金ぴかに輝く椅子。
どちらに座るかなんて、一目瞭然。
でも、それでよかった。
僕には似合わない、その色は。
遠くから見ているだけで十分だった。
……そのはずだった。
「嘘だ」
「嘘だろ?」
「嘘だって、言えよ」
「なんで」
「なんで……!!!!!」
「なんで、それに座っている!!!!!!」
見えてしまった。
遠くから。
はっきりと。
二人で向かい合って、
笑っている姿が。
あの、
ぼろぼろの木の椅子に。
僕に“ぴったり”だったはずの椅子に。
「……座るな」
「そこに、座るなよ」
「なんで、そんな椅子に座って」
「なんで、楽しそうなんだよ」
「僕にも……」
声が、震える。
「僕とも、座ってくれよ……」
あの光は、
僕を照らすためのものじゃなかった。
ただ、
一瞬だけ見せられた――
残酷な幻だった。
だから僕は、
願ってしまった。
時間よ、止まれ。
これ以上、
奪うな。
これ以上、
進むな。
僕の世界を、これ以上進めないでくれ。




