8年越しの花嫁
朝の陽射しは、真夏そのものだった。
駅前のロータリーでは、陽炎がゆらゆらと揺れている。
「お待たせ!!」
薄い水色のワンピースに麦わら帽子。
小走りでやってきた涼香が笑うと、
地面の熱気さえ、少しだけやわらいだ気がした。
「いや、全然。俺も今来たとこ」
ランはいつも通りの調子で笑う。
だが、胸の奥はどこか落ち着かない。
(“今来たとこ”って……テンプレすぎだろ、俺)
――
二人が向かったのは、駅前のシネコン。
冷たい空気が、火照った肌をなでる。
「アクション映画って、スズあまり見たことないけど」
「爆発ばっかりだよ。スカッとするぞ」
――そのはずだった。
チケット売り場に着いた瞬間、目当ての作品が“満席”の赤い札に変わる。
「………違うの見よっか」
「そうだね!!夏木君は他に何が見たい?」
「俺のは見れなかったし、涼香ちゃんが見たいやつにしよ」
「ん~……じゃあ、これ!!」
指差したのは、ゴリゴリの恋愛映画。
「お、おう」
(マジか……)
暗転した劇場。
スクリーンが白く弾けるたび、
涼香の横顔が淡く照らされる。
ランは、スクリーンに集中するふりをしながら、
隣に座る彼女の表情を、そっと盗み見た。
――来てよかった。
理由は分からない。
ただ、そう思った。
――
映画が終わり、夏の陽射しが再び世界を焼く。
近くのカフェで冷たいドリンクを頼むと、涼香は目を輝かせた。
「面白かった~!」
「そうだな」
席に着くなり、映画の感想を口にする。
物語は、病に侵された彼女と、周りに反対されながらも結婚式を挙げる青年の話だった。
式を辿り着くまでの葛藤や苦悩。
リアルな演技に、ランも気づけば少し目頭が熱くなっていた。
「あの後……やっぱり亡くなっちゃうのかな」
「どうだろ。生きててほしいけど……描かれてないってことは、そうかもしれないな」
「……でもさ」
ストローを指で回しながら、涼香が言う。
「描かれてないってことは、“分からない”ってことでもあるよね」
「……そうだな。“分からない”。最後まで見ないと」
その言葉に、
世界をまっすぐ見つめる、涼香らしい透明さを感じる。
「でも、もし自分が病気だったら……」
ぽつりと、涼香がつぶやく。
「スズは結婚式、したくないかも」
「えっ……そうなの?」
正直、意外だった。
「だって、好きな人を一人にしちゃうのに、
一生外せない鎖を巻き付けるみたいで……」
ランは、一瞬言葉を失った。
「主人公は、その鎖を巻くことに意義を感じたんじゃないかな」
「意義?」
「“死ぬまで愛する”っていう呪いを、
覚悟に変えてでも、伝えたかったんだよ」
「……それって、後悔しない?」
「後悔することを、“恥”だと思えるくらい、好きだったんじゃないかな」
涼香は、少し考えてから、ふっと笑った。
「そっか………素敵だね」
「まぁ、周りに止められたりしたら、逆に燃えるってのもあるしな」
「それだったら、すごーくやだ」
二人で笑った。
――
夕方、二人は川沿いへ足を伸ばした。
風がビルの熱気を流し、柳がさらりと揺れる。
「夏って、嫌いじゃないんだ」
涼香が呟く。
「暑いけど、空が綺麗で……
どっちも、を取れない所が好き」
「詩人だな」
ランは照れ笑いしながらも、その言葉が胸に残った。
(“どっちも、取れないか”……
柊と寧々が抱えてるものみたいだ)
一瞬、あの夜の花火が脳裏に蘇る。
――けれど、ランは首を振った。
今日だけは、目の前の彼女を見る。
「俺は……全部取りたいけどな」
空を見上げたまま、つぶやく。
「病気が治らないなら、俺が治す方法を探す。
結婚式を反対されたら、全員が来てよかったって言わせる式を作る。
誰かが不幸になるなら、俺が頑張って幸せに変える」
“俺は欲張りだから”――
ふと、柊の言葉が蘇る。
「お兄さん、詩人だねぇ」
涼香が笑う。
夏蝉の声が遠くで続いていた。
「なあ、涼香ちゃん」
「ん?」
「今日……ありがとう」
それだけ。
でも、精一杯の本音だった。
涼香は少し驚いたように目を丸くし、
すぐにふわりと笑った。
「お安い御用さ」
その笑みは、
花火より静かに、ランの心を焼いた。
――
駅まで戻る頃、空は群青色に染まっていた。
街のネオンが、ちらほら灯り始めている。
「今日はありがと。楽しかった」
涼香が軽く頭を下げる。
「こっちこそ」
夜風に涼香の髪が揺れる。
ランはその瞬間を、無意識に目で追った。
「修学旅行、楽しもうね!」
笑顔で手を振る彼女を見送りながら、
ランの胸の奥に、理由の分からないざわめきが残った。
――“何か”が起きる。
修学旅行の向こうに、そんな予感がひそんでいる。
夏の夜風は、
そのざわめきをそっとかき混ぜていった。




