終わったはずの恋が、運命を巻き戻す
と、「まあ、そんな感じで……人生で最初で最後の、一目ぼれだったんだよ。」
ついつい話し過ぎたな――そう思いながら、グラスに残った最後の酒をゆっくりと飲み干した。
「めちゃめちゃいいじゃないですか!漫画みたいな出会い方ですね、続き聞かせてください!」
林が食い気味に、目を輝かせながら聞いてくる。
「うーん、特に続きなんてないよ。普通に付き合って、普通に別れた。大学で終わった、よくある話さ。」
「え、どうして別れちゃったんですか?」
「……そうだな。いろいろ、あったんだよ。」
それを合図にするように、店員を呼び、財布を取り出した。
「明日も仕事だし、そろそろ帰るぞ。」
もっと聞きたそうにする林と、隣でぐらぐらと頭を揺らす田中を横目に、席を立つ。
――
帰り道。
夜風に当たろうと、桜の並木道を歩く。花びらが舞い落ちる歩道橋で、林が不意に言った。
「あーそうだ、パイセンって昔と性格が違うって聞いたことあるんすけど、マジっすか?
オラオラ系だって聞きましたけど。」
「………おい、誰だそんなこと言ったのは。どうせ、あいつか。」
苦笑交じりに答える。中学時代からの腐れ縁。アイツ以外に、俺の昔を話すような奴はいない。
「先輩めちゃ優しいし、後輩思いで、女子にも距離感ちゃんとしてて、まさに理想の上司of男性って感じじゃないすか。でも、本当は違うみたいな?」
そこまで力説されると、照れくさくて目線に困る。だが、俺も少し酔っているせいか、昔の話をする気になった。
「俺は……振られたんだよ。大学四年の時に、突然な。」
「え?」
「結婚も考えてた。自分の夢もあって、努力もしてた。……けど、理由もわからないまま、終わった。」
一呼吸置いて、空を見上げる。
「俺さ、なんにでもなれると思ってたんだ。目標を掲げて、有言実行で、それが当然だって。
……だけど、そんな俺は、自己中だった。」
「だから思ったんだよ。『いい奴になろう』ってな。」
少し笑ってみせる。
「運のいいことに、近くに“性格のいいグッドボーイ”がいたからな」
――
後輩と解散したのち、酔い覚ましに一人で思い出深い公園へ足を運んだ。
満開の桜が、まるで夜空を囲い込むように咲き誇っている。
ベンチも、ブランコも、この大きな桜の木も。
かくれんぼしていてスカートが見えていて大笑いしたあの日のことを、今も鮮やかに思い出せる。
彼女が笑って、時々怒って、黙って、また笑って。
思い出は柔らかく、でも胸の奥に棘のように残っている。
ここは――俺が振られた場所だ。
人生がひとつ、確かに折れた場所。
桜の風が舞い、視界が淡く染まると同時に、ふと疑問が頭をよぎった。
(なんで俺は、振られたんだろう? 大学卒業後に結婚しようって、待たせる提案が悪かったのか?)
(……それとも、他に好きな人が?)
思考は堂々巡りを繰り返す。
まるで夢の断片のように、掴もうとしても指の間からすり抜ける。。
最後に見た彼女の顔だけが、なぜか鮮明に焼き付いていた。
あれは、本当に「さよなら」の顔だったのか。
なにかを言いかけて、飲み込んだような。
痛みと、覚悟が滲んだ、泣く寸前の笑顔。
その後、何人かと付き合ったが、あれを超える関係は築けなかった。
あの日の出来事が、心の奥にしこりのように残っていた。
「しかし、今あの子は何をしているのかさっぱりわかんないな。あいつに聞いてみるか」
気分を変えるため、ブランコに腰掛けて、中学時代からの友人・ランに連絡を取ってみる。
「なんだよ、俺より先に帰りやがって。嫁・子供より先にお前としゃべりたくないわ」
「すまんな、今日は飲みがあって先に帰ったわ、ところで俺の高校時の元カノ覚えてる?」
「覚えてるけど……何まだ未練あるの?いいおっさんがいつまでも、きもっちわるい」
おい、泣くぞ。今思い出の公園でライフポイント減ってるのに。。
「違うわ、そういうことではないけど。ただ、今何してるか気になって」
電話の向こうで、ランの声が一瞬、微かに変わった。
「あ~俺あの子に口止めされてんだ。お前に”今何してるか”言うなって」
「……は?」
頭が真っ白になる。そんな話、聞いたこともなかった。
「そ、それってどういうことだ。俺が振られた後ストーカーになるとでも言っているのか」
「そうなんじゃないか? でもまあ、今の仕事は知ってる。“人を助ける仕事”してるってよ」
「あの子はあの子なりに、ちゃんと頑張ってるよ」
意外だった。穏やかで、控えめで、でも……人を助けるような強さもあったのか。
「そうか。教えてくれてありがとう。もう聞かないよ」
電話を切っても、頭の中の疑問は晴れない。
(俺は……あの子に、そんなに嫌われてたのか?)
あの日の彼女の顔。
最後、俺に何を言ったのか――どうしても、思い出せない。
まるで、もやがかかったように。
その瞬間、激しい頭痛が襲ってきた。
ズキズキ、ズキズキ……
まるで何かが中から引き裂かれるように、鋭い痛みが脳を締めつける。
「痛っ……くそ、なんだこれ……」
立っていられず、地面に崩れ落ちた。
視界が滲んでいく。
冷や汗が止まらず、指先が震える。
「まだ……まだ、終われない……!」
俺は、あの子に謝りたかった。
聞きたかった言葉がある。
届けたかった想いが、まだ、あるんだ。
だけど、意識は遠のいていく。
頭の奥が焼けるように熱くなって、世界が反転し始めた。
「くそっ……これで、終わりかよ……
終わってたまるか……俺は、まだ……」
そして俺の視界が、完全に暗転したそのとき――
ひとりの女性が、物陰からそれを見ていた。
彼女は手を口にあて、肩を震わせながら泣いていた。
届かなかった想い。
伝えれなかった本心。
あのとき、彼女が言えなかった“最後のひとこと”。
そのすべてが、彼女を縛っていた。
「 」
彼女は、何かを呟いた。
けれどそれは風にさらわれ、誰にも届かない。
そして――
彼女は、夜の道路に飛び出した。
その顔には、「また何もできなかった」と言うような、絶望と後悔が張り付いていた。
――
目を覚ました瞬間、頬に風を感じた。
自転車のハンドルを握る感触、坂を上るあの感覚。
どこか懐かしい、少し幼い声が、後ろから届く。
「ちょ、柊、チャリこぐの早いって~~!」
あの春の匂いが、空気に混じっていた。