連戦連勝の男でも振られることはある
ランが立ち去ってからしばらく、柊はその場から動けずにいた。
「ランが………寧々を好きになったってことか?」
「いや、おかしい。だってあいつは……」
柊の思考は堂々巡りを繰り返し、答えの出ない問いに囚われていた。
ランの言葉は、ただの“からかい”なのか――それとも。
けれど、世界は立ち止まらない。無情にも、時間は前へと進んでいく。
――
「橘さん達、お待たせ」
「どこに行っていたの? もうカレー作り始めたわよ」
「ごめんごめん、宣戦布告してた」
「せ、せんせんふこく…?」
「こっちの話。
さあ俺は何を手伝えばいい?」
「じゃあこの玉ねぎを切って頂戴。
みんなメイクを崩したくなくて、玉ねぎを切りたがらないのよ」
「何その理由、おもろいなこのグループ」
六人グループのカレー作り、本来なら男女比は釣り合うはずだった。
だが、ここには男子が二人だけ。
一人は加賀見という強面男子で他の男子が近寄らず、もう一人は夏木歩――女子人気抜群の爽やかイケメン。
結果として、女子ばかりの偏ったグループが誕生してしまった。
橘寧々は思惑もあったためランから誘ったのだが…
「夏木君! 玉ねぎ切るの上手~!」
「よくお料理するの??」
「すごい手際~!」
黄色い声援に、心底「クソつまんねえな」と毒づきたくなる衝動を堪えながら、ランは笑顔で対応する。
「おい、作ったら俺んとこ持ってこいよ」
唐突な加賀見の一言に、現場の空気が凍りつく。
「やだよ。働かざる者は食っちゃダメ、って知らなかった?」
思わず毒を吐いたのは、女子たちに苛立っていたせいもある。
「あ? 後から来たくせに偉そうにすんな」
「じゃあお前より早く来た奴は、お前に対して何言ってもいいってことになるな」
「うるせえな、屁理屈をこねるなよ」
「ちょっと、そこまでだよ」
今にも殴りだしそうな顔の加賀見と、へらへらしているラン。
二人の距離がじわりと近づいていく――その間に、橘が割って入った。
「あなた、夏木君が来る前から何もしていないじゃない。
人に命令する前に自分で動きなさい」
「チッ、うるせぇな……。何すりゃいいんだよ」
女子相手に強く出られない加賀見は、渋々指示を受け入れる。
作業が落ち着き、カレーが煮える間――
ランは、ぽつんと一人でいた橘に声をかけた。
「さっきは止めてくれてありがとう。
でもやっぱり危ないから、男子には正論パンチしない方がいいよ」
「ええ………そうよね。 昔、よく言われたわ。
でも加賀見君は、女の子には強気でいける子じゃないから安心して」
「え? もうクラスメイトの性格把握してんの? すご」
「ううん、そんな大したことじゃ………」
橘の歯切れの悪さに、ランは微かに違和感を覚える。
「ところで、橘さんは自由時間なにするの?」
「そうね、スズと何かするか、自室の子と遊ぼうと思ってるわ」
「広場には行かない方がいいよ」
唐突な“禁止宣言”に一瞬驚いたが、何となく予想はできていた。
「……柊君?」
「そう。さっき、あいつに連れてきてほしいって言われたんだ」
「そ、そう。 なら自室にいることにする。
教えてくれてありがとう」
「違うね。正解は――俺と一緒にいること」
季節は春。日差しは暖かくなってきたが、風が吹くと肌寒さを感じる。
その風のように、さらりと口説いてくるラン。
その言葉に、なぜか心が動かないことに、橘自身が驚いていた。
「あ、あなたは……何を言っているの?」
戸惑いしかなかった。だって、この人は――
「柊に対して、俺が橘さんを”気になっている”って言ったんだ。
それに信ぴょう性をもたせるためには、一緒にいる方が自然だろ?」
「柊君に勘違いをさせて、どうするの?」
「簡単に言えば――あいつに“折れてもらう”しかないから」
「……」
「俺が頼んだ“作戦”も、正直あまり効かなかった。
だから今度は、俺が”悪役”になる番だ」
その言葉は、橘の胸に鋭く突き刺さった。
まるで、自分がしてきたことをそのままなぞるようで。
橘には、ランから任された役目があった。
“寧々は柊を嫌っている”――そう涼香に思わせる役目。
無意識に仲間割れを誘導しようとした。
でも、どうしても心がついてこなかった。
涼香のことが心配で、言葉が優しくなってしまった。
だから今、ランがその役割を引き継ごうとしているのだ。
彼は昔から、誰かのために自分を犠牲にできる人だった。
だからこそ――
「やめて。あなたが傷つくの、見たくない」
「俺が? 傷つく?
別に本当に付き合うわけじゃない」
「ううん。彼とあなたは――ずっと友達でいるべきなの。ずっと一緒にいるべきなの」
――私が、いなくなるから。
言葉にはしない。
けれど、その沈黙には確かな決意と哀しみが宿っていた。
私がいなくなっても、
あの人の隣には、あなたがいてくれたら。
それだけで――救われるから。
どこか遠くを見るような視線で、橘はそう告げた。
まるでそれが、自分の中でとうに決まっていたことだと言わんばかりに、迷いのない声だった。
「……どう? これが“正解”でしょ?」
首をかしげるその仕草は、まるで
“答え合わせを終えた少女”のようで――
けれど同時に、“一人で孤独に夜を歩く女性”のようでもあった。
触れたら消えてしまいそうなほどの儚さと、
それでも触れずにはいられない美しさが、そこにはあった。
俺の心の奥で、何かが小さく震えるのを感じた。
だけど、それに気づいてしまったことは――
彼女には知られたくなかった。
「……そうだね、満点だよ。
――流石、橘さん」
そう言った自分の声が、自分のものじゃないみたいに遠く感じた。




